63話「レッサル決戦 最後の参戦者」
その剣士は、漆黒の羽織に身を包んでいた。
その衣装は手元の動きを悟らせぬため、夜闇に紛れて見つからぬため、出血しても目立たぬように。
「……」
寡黙な黒い剣士は、妹を手に抱いて無数の死体に囲まれ立っていた。
何より大切な宝物を、誰にも奪われることのないように。
『勘違いするなレイ。ここにいるリョウガは今や、我らに下ったのだ。自警団の長は捨て置いて、お前はカールとかいう剣士を追え!』
「……」
ボスは当初、レイが攻撃したのは『自分がリョウガの姿をしているから』だと考えた。
自分の『古代魔法』による洗脳が解けているなど、想像だにしていない。彼の扱う洗脳の古代魔法を知っている者など、そうそう居ないのだから。
学術都市で古代回復魔法をキッチリ習得していた回復術師の存在など、想定だにしていなかった。
『さぁ、行けレイ』
「黙れ」
レイの心は、自分が縛っている。
何が起きようと、自分が話した内容は素直に信じる筈なのだ。
『嘘じゃない、本当さ。ほら、よく私の目を見て────』
「黙れと言っている」
しかし、レイはその見苦しい言い分を一蹴し、静かに剣をリョウガに向けて構えた。
「……妹に剣を向けた奴の言葉なぞ、聞く耳を持たん」
その強い意志のこもった瞳を見て、ボスは『洗脳が解けてしまった事実』を悟った。
静剣レイ。
彼は、『国で一番有名な冒険者』の一人息子として生を受けた。
その冒険者とは、誰よりも鮮やかな剣技で名を馳せた伝説の剣豪『グラッド』、そしてその妻『フィオーレ』夫妻。
その名を聞けば盗賊は恐れおののき、兵士は畏敬を抱き、権力者は苦虫を噛み潰した様な顔になった。
『おお、勇者様の末裔だ……』
『何と凛々しい……』
この夫妻が民衆から絶大な支持を受けていたのには、もうひとつ理由があった。
彼らはそれぞれ、数百年前の『勇者』の血を引く冒険者だったのだ。
先祖返りのように、かつての勇者を彷彿させる能力を持って生まれた『平民』たる彼らは、民衆にとっての希望であった。
そして、夫妻も民衆の期待に応えた。例え依頼料が安くとも、彼らは真に困っている者を助け続けた。
『レイ、お前もきっと俺達の様に強い剣士に育つだろう』
『……そう、なってやる』
『いい返事だ』
そんな両親の背中は、幼いレイにはとても大きく映った。
『ならばレイ。決して、その力の振るい方を間違うなよ』
『ああ……言われるまでもない』
父親に剣の手ほどきを受けていた時、レイはこう誓った。
『……俺の剣は、悪を挫く為に振るう』
────その誓いは、いつしか幼い日の記憶として過去のものとなった。
「────」
レイは、胸の中で眠る妹の顔を見た。
顔は青ざめ、首には深い切痕があり、息苦しそうに肩を揺らしている。
『ち、奴らに何かされたな? 仕方あるまい、それでは……』
「────」
レイは、自分が持っている短剣を見た。
父親から一人前の証として贈られたその剣は、民の血で赤黒く染まっている。
『全員でかかれ、再教育だ』
「「ヴォォォ!!!」」
死体となった兵士達が、再び咆哮を上げる。
先ほどのカールと同じように、レイを物量作戦で討ち取るつもりのようだ。
「────ああ、汚れたな」
黒い剣士は自らの体躯を、四肢を呪った。
彼の身は逃れえぬ『醜悪な楔』を打ち付けられ、両親に顔向けできなくなった。
「汚れて、汚れて、腕が腐り落ちそうだ。こんな手で、妹を抱きしめているのか俺は」
彼の周りには、賊が殺到している。
だというのに、レイはいつまでも呆然と自分の手を見つめたまま。
「……すまん、父」
そう言ってレイは、襲い来る賊と賊の間の隙間をすり抜けるように滑った。
レイは、自分が悪党族の衣装を身に付けている事を利用して、軍団に溶け込んだ。
突如として目標を見失った賊は、混乱して互いに斬り合いになっている。
『馬鹿者、何をやっている!』
目立たず、敵陣の懐へと潜り込んだ剣士。
近接戦闘のスペシャリストに、こうなってしまえば敵うべくもない。
『何処だレイは何処に────』
やがて、賊のそこかしこから血飛沫が飛んで。
剣士による、制圧が始まった。
「待ってろレヴ」
妹は、きっと賊のボスに何かをされている。
彼女を治すには、サクラという回復術師の元に届けるしかない。
『まだレイは見つからないのか! この無能ども!!』
背後から、ボスの怒声が響いている。
かつて自分を救ってくれた……、自分を救ってくれたと『信じていた』女の声。
「レッサルで見捨てられ、悪党に利用され」
静剣の刃に、もはや正義はない。
レイは何もかも堕ちぶれた、外道の一人。
「レヴに知られたら、嫌われるだろうな……」
だから何だというのだ。外道に落ちようと、悪に染まろうと、レイは妹だけは助けて見せるつもりだ。
敵陣の中を切り分けて、兄は妹を抱き進む。
無数の賊は、目に光の無いまま剣を振るう。
「……」
数十の賊の首を飛ばし、やがてレイは囲みを抜けた。
こうなれば話は早い。ひたすら、レッサルを目指して駆け抜けるのみ。
『囲みを突破された!? ……おのれ、恩知らずめ!!』
苦しそうに喉を掻く妹。
傷口を放っておけば、細菌が入って重傷となってしまうかもしれない。
腐っても、ここはレイの故郷。彼は土地勘のある森の中を、太陽の方角を頼りにまっすぐ駆け抜けた。
やがて森を抜けて、静剣はレッサルへと辿り着いた。
荒廃してボロボロになった城門が、レイの前に聳え立っている。
「……門を開けてくれ!」
「げぇぇえ!! 静剣が、静剣が出やがったぞ!」
「落ち着け、お前たちと敵対する意思は無い!! お前らの仲間を連れてきた!」
そう言うと、レイは静かに妹を門の前に横たわらせた。
自分が、レッサルの住人から歓迎されないことは重々承知だった。レイだって、レッサルの人に思うところが無い訳ではない。
「カールと言う男の仲間の女だ。丁重に扱え」
「カールの旦那の? ……確かにその娘、旦那と一緒に居たような」
「この娘は洗脳を受けている。まず、カール陣営の回復術師に見てもらってくれ」
そう言い終えると、レイは再び立ち上がった。
「もうここに用はない、俺は去る。後は任せた」
「えっ? お、おいお前!」
これで、彼の『兄』としての責務は果たした。
妹は、もう自分の居場所を見つけている。そこに、悪党たる自分が入り込む余地はない。
「……あの女と、決着を付けてくる」
レイは、名残惜しそうに妹を一瞥し。
血濡れた剣を握りしめ、再び森の中へと走り出した。
『あなたは、死霊術師に操られていたのよ』
マイカ────レヴの仲間の少女は、そう言った。
『俺は、俺は……! 何てことを』
『後悔は後にしなさい。今、まだあなたの妹が賊に捕らえられているのよ』
『……っ!』
正気に戻ったレイに、マイカは手短に情報を伝えた。
『……殺してやる。あの女、俺の剣のサビにしてやるっ!!』
『だめよ。……あの魔術師は、殺されても死なない。殺した相手に、乗り移れるそうよ』
『何?』
マイカは、レイに『レヴを奪還して戻ってくる事』だけを頼んだ。
何故なら、レイは元々賊に洗脳されていた身である。せっかく味方になったレイが返り討ちにされ、再度洗脳されたくなかったからだ。
『レヴさえ戻ってくれば、後はどうにでもなるわ』
『……承知した。妹は、俺に任せてくれ』
そして、レイは律儀にその約束を果たした。
敵陣にたった一人で切り込んで、レヴを奪還しレッサルへと運んだ。
これで、家族への義理は果たした。
後に残った仕事は、『ボスに落とし前を付けさせる』のみである。
レイは森に身を潜め、息を殺した。
目的はただ一つ。悪党族のボス────つまり、今は『リョウガ』の首である。
────聞けば、悪党族のボスはカールに乗り移れなかった際『このままでは消えてしまう』と言ったらしい。
そう、ボスを殺す方法はちゃんとあるのだ。
それは奴に気付かれぬまま首を狩り、そして捕捉される前に撤退する事。
そうすれば、ボスの周りに生者が居ない限り『ボスは誰にも憑依できずに死んでしまう』だろう。
「木の上から奇襲をかけて殺し、そのまま木々を渡って逃げよう」
レイのこの作戦は罪のない少女を殺すことを意味している。
しかし、この他に悪党族を滅ぼす手段などないだろう。
────元々、リョウガを名乗る少女の心は壊れているのだ。
他ならぬ、レイ自身が彼女の兄を切り殺した事によって。
「俺の剣は、もう既に汚れきっている」
そんな残酷な役回りを、カール達の手に委ねるわけにはいかなかった。
無実の人間を斬るなんて言う外道を背負うのは、自分一人で十分なのだ。
何故なら、今のレイには誇りも誉も残っていないのだから。
「これ以上汚れたとて、何も変わりはしない」
こうして、レイは森に潜む暗殺者と化した。
「……」
探す事、数刻。
レイは木々の陰に潜んだまま賊に見つかる事なく、とうとうリョウガの姿を捕らえた。
『あの恩知らずめ、本当に散々だ』
ボスは大層に不機嫌だった。
意味もなく近くの兵士の首を斬り飛ばしては再生し、悦に浸っていた。
よく見れば、賊の兵共は皆肌の色がくすんでいて生気がない。よくもまぁ、アレを生きていると認識していたものだ。
きっと、それを含めて認知を歪まされていたのだろう。
『こうなれば、全員でレッサルを襲撃してやる。魔力はまだまだ余裕が有るんだ、私を舐めたアイツらに地獄を見せてやろう』
ボスは随分と物騒な言葉を口にしていた。
悪党族が本気でレッサルを襲撃したら、甚大な被害が出るだろう。
あのカールという剣士を以てしても、物量差で最後には敗北するに違いない。
やはり、リョウガを殺すしかほかに道は無い。
『キッヒヒヒヒヒ!! ほら、お前達行くんだよ────』
リョウガは、自分に気が付いていない。
今が最大の好機だ。レイは木陰に身を潜めたまま、しっかりと剣を握りしめて。
「……オラぁ!!」
剣の間合いにリョウガが入った瞬間。彼は猛然と、その短剣を振りぬいた。
『キヒヒ、そろそろ来る頃だと思っていたよ』
「むっ!」
その彼がリョウガに向けて踏み込んだ瞬間、待っていましたと言わないばかりに雑兵が密集する。
どうやら、読まれていたらしい。
『お前自身が前に語っていたじゃないか。自分が一番得意な戦闘スタイルは暗殺だと』
「……ボス」
『敢えて、お前が斬り込みやすい隙を用意しておいたのさ。私は、お前の事を何でも知ってるんだよレイ』
魔術師はニタニタと嫌らしい笑みを浮かべ、賊に囲まれたレイを侮蔑した。
『貴様を人形にする時に、全て聞き出していたからねぇ』
「……貴様!!」
そう。洗脳を受けるときに、レイの手札は全て筒抜けにされていたのだ。
流石に悪党族を此処まで大きくした女、その用意周到さには舌を巻くほかない。
「貴様を殺しに来たぞ、ボス」
『悲しいねぇ、さっきまでは、あんなに忠誠を尽くしてくれていたのに』
「貴様の傀儡に成り下がっていた、この身を引き裂いてやりたいくらいだ」
『そんな勿体ない。まだまだ、私が利用してあげるというのに』
奇襲が失敗に終わっても、レイはまだ平然としていた。
悪党族の雑兵がいくら集まっても、レイに敵うはずがないのだから。
『なぁ、レイ、こっちに来なよ。もう一度、人を殺して蹂躙して、好きに気ままに生きていこうじゃないか』
「ああ、その通り。俺も、今から貴様を殺して蹂躙してやろうと思うんだ」
『寂しい事を言うなよ、私達は仲間だったろう?』
「今の俺がまだ、貴様の仲間と思っているのか?」
レイの手札は全てバレている。
だとしても、それは勝負を諦める理由にはならない。
「改めて宣言しよう。ここで貴様を殺して、悪党族に終焉を突き付けてやる」
『じゃあ、こちらも宣言しよう。数分後には、貴様は再び私に頭を下げて忠誠を乞うているだろう』
こうして、男と巨悪が退治する。
互いがその誇りをかける、命懸けの勝負が今────
「合意と見て、よろしいですね?」
────幕を切った!!!
「……え?」
「ただいまの勝負は、この私が見届け人としてジャッジさせていただきますわ!!」
互いに啖呵を切り合った瞬間、意気揚々とした声が戦場に響き渡った。
レイが突然の『何者かの乱入』に困惑して周囲を見渡すと、戦場にいつの間にか一人の少女が颯爽と駆けつけて来ていた。
『……えっ。お前、何?』
「……えっ? 何なんだ、あんた」
「私は、流離いの真剣勝負見届け人。正々堂々の勝負を司る者!!」
レイは、ソイツに見覚えがあった。
彼女は、確かレヴに拘束されていたカールパーティの貴族の女────
「その勝負、私が戦うに相応しい決戦の舞台を整えて差し上げましょう!!」
「あ?」
「それは、古代より伝わる伝統の決戦方法。魔法なんて無粋なものに頼らず、己の肉体のみで覇を競う漢の祭典」
彼女は、そう口上すると不敵な笑みを浮かべて。
何かに祈るように、天に向けその腕を掲げてその魔法を叫んた。
「古代闘技場よ、いざ咲き誇れ!!!」
その瞬間。
彼女の周囲から蒼く美しい結界が、音もなく湧き上がった。




