30話「予知少女の苦難」
ユウリと言う少女の人生は、まさに苦難の連続だった。
「あの、ユウマ氏の娘さんか」
「祖父は伝説のネタ魔術師で、父は宴会芸魔法の第一人者」
彼女の一族の悪名は、ヨウィンの津々浦々にまで響いていた。
曰く、学会を侮辱する者。曰く、生涯をネタに生きる者。
「きっとあの娘は、歌を歌い始めるぞ。学会をお遊戯会と勘違いしているに違いない」
「気にすることはない、慰安芸人だと思えば良いさ。気分転換には良いだろう」
ユウリは年に不釣り合いな聡明さと思慮深さで、齢7つの頃に新たな学説を提唱するべく学会の門を叩いた。
しかし、そんなユウリを歓迎する者は少なかった。
「外れの会館で、夕方に3分だけ時間をあげよう。そこで評価を得られたなら、もっと良い場を用意できるとも」
彼女が数年をかけて纏めあげた『未来を見通せる魔法』の発表の場は、飲んだくれた男どもが寝そべる小さな部屋で、3分ほどの短い発表に終わった。
何故なら彼女が発表の場として与えられたのは、打ち上げ用の宴会場だったのだから。
しかし、ユウリはめげなかった。彼女には、諦められぬ理由があった。
彼女の心の奥底にあったのは、亡き母の笑顔であった。
ユウリは、火災で母を失った。ユウリ自身も、死ぬ思いをした。
────あの悲劇を回避する術はなかったのか?
もし火災が発生するのが分かっていれば、母の命は助かった筈。
もう二度と、あんな悲しい思いをしたくない。だからユウリは、未来を知る魔法の研究を始めた。
もっとも当時は未来を知る魔法など眉唾でしかなく、ユウリの研究が受け入れられるのはもう少し先の事である。
そして父親、ユウマはと言えば。
「ママについては、残念であったな。だが、私はユウリが助かっただけでハッピーだ!」
「……」
父は、母の死んだ日も普段と変わらぬ様子だった。
「葬式の準備をしないとな。ユウリ、手伝うが良い」
ウキウキとして葬式の準備をする父親の手には、楽器が握られている。
……冷たい人間だと思った。ユウリの父からは、妻が死んだことをあまり気にした様子が見えない。
母の葬式は、つつがなく終わった。
喪主であるユウマは、葬式の最中すら笑顔を絶やさなかった。
参列者に『研究成果を見てくれ』と言って、墓場で人形にオーケーストラを演奏させて喝采を浴びて機嫌良くなっていた。
式の終わり、ユウマはこう言って笑った。『今回の学会の金賞は、私で決まりだ』と。
父は、自分の宴会芸でウケを取ることが母親の葬式より大切だったのだ。
ユウリは、そんな父親に激しく失望した。
「ユウマにも理由はあったのだ」
父と親しくしている研究者に、その不満を打ち明けてみた。
さすれば、意外な答えが返ってきた。
「君のお母さん……。クウリ女史はね、ユウマの底抜けに明るい魔法に惹かれて婚約を決めたのだそうだ」
「ママ、が?」
「だからユウマも、きっとクウリ女史が大好きだった芸の魔法で送りたかったんだろう。ユウマは、そういう男さ」
父親は魔法学会でネタ研究者としてバカにされてはいるものの、一方でファンも多かった。
類まれなセンスを持って芸を紡ぐ、生粋の魔法芸人。
魔法には色々な用途がある。ならば、魔法を使って観客を楽しませる魔導士が居ても良いじゃないか。
そんな頭の柔らかい考えの研究者は、毎回のユウマの発表を聞きに行き、それを心から楽しみにしていた。
彼の芸の、クオリティは高いのだ。
「それでも、ボクは悲しかった」
それを聞いてみて、父の気持ちは分からんでもない。だが、ユウリとしてはもっと静かに母を送ってやりたかった。
目いっぱい涙を流して、母に別れを告げたかった。
父の下らない芸のせいで、母親の葬式の日、ユウリは1粒の涙も流せなかった。
「……はぁ」
ユウリは、ひっそりと父親を怨んだ。
しかし、父親がユウマと言う点で良い所もある。とにかく彼は、大金を稼いでくるのだ。
大した成果が出ていない研究者は、万年金欠であることが多い。実際、ユウマの研究には資金提供の話など出たことが無く、本来であればユウマは赤貧学者の筈だった。
しかし、彼は非常に質の高いパフォーマーでもある。ユウマは時折、貴族のパーティに呼ばれて日銭を稼いでくる事があった。
それでユウリは、貴族ほどとはいかぬまでも、比較的裕福な生活が出来ていた。
「金はある。知識を得るツテもある」
自分の夢を叶える環境は整っていた。
ユウリは父親の知り合いの研究者の協力を得て、とうとう未来予知の魔法の研究を始めた。
母親を失うに至った火災。その悲劇を二度と繰り返さないようにする魔法。
「未来予知は、精霊の専売特許ではないのか?」
「精霊なんてモノは、伝承でしか伝わっていない眉唾な存在だ。少なくともボクには見えないし分からない。そんな存在を真に受けて、未来を知る術を諦めるなんてことをしたくない」
幼いユウリはそう言うと、自ら精霊について文献を読み漁り始めた。
「きっと、過去の精霊使いは予知魔法のノウハウを持っていた。しかし『自分が予知した』と言うのではなく『精霊が予知した』と言う事により、周囲に説得力を持たせていたんだ」
「……はぁ、成程」
「既に、簡易ながら未来予知の術式は勘案してある」
ユウリはそう言って、自ら考案した未来視の魔法の基礎理論を父親のファンの研究者に見せた。
それは、
「む。……む、これは正しいんじゃないか?」
「そうだろう、そうだろう」
「凄いな。その年で、大したものだ」
本職の研究者が唸ってしまうほどに、完成度の高いものだったという。
最初の学会は悲惨な扱いを受けたユウリだったが、徐々に彼女の研究は認められてきた。
それに伴って、ユウリの発表の場は端っこの会館から本議会へと移されていくことになった。
「この予知魔法の精度はいかほどなのかね」
「試行回数18回、的中は同じく18回です」
「予知した未来を変えようとするとどうなる?」
「……そうなれば、未来は変わります。この魔法はあくまで、現時点で最も高い未来の可能性を示しているに過ぎない」
最初は絵空事であると馬鹿にされていた『予知魔法』は、ある程度の精度を誇る本物だと周知されてユウリの扱いは変わった。
ネタ魔導士の娘ではなく、天才少女研究者として広く名が知られることになった。
「彼女の術式を、私の研究室で再現実験したがかなりの的中度だった」
「ユウリ女史の言う通り、精霊なんて存在しなかった。過去の精霊術師は、きっとこの術式を使って予言をしていたに違いない」
精霊とは魔力の総称であり、今まで信じられていた『人の魂の集合体』なんて事は真っ赤な嘘。
精霊の力を借りずとも、人間には未来を知る術がある。
ユウリが編み出したその魔法と学説は、ヨウィンの学会を大きく揺らした。
占魔法、予知魔法という分野が新たに開拓され、多くの学者がそれを研究対象に加えた。
「彼女は、天才だ」
「あの父親から、彼女のような娘が生まれるものなのか」
古代魔法を研究していたグループは、ユウリの結論で『研究が100年分は進んだ』と言って大喜びしたという。
「……イリーネ。君の昇華係数、つまり魔力の変換効率は桁外れに高いんだね」
「100%、と言われましたわ」
「そうか。熟練の魔術師が生涯をかけてなお辿り着けない境地に、君は既に至っているんだね」
ガリウスのパーティーから帰ったあと。
俺は、天才少女ユウリから呼び出しを受けていた。
「精霊に愛された者、本物の精霊魔術の使い手。イリーネが嘘をついていないなら、君が見た映像はきっとボクが求めてやまない『本物の予知魔法』に相違ない」
「ユウリ、さん?」
彼女は、少し疲れている様に見えた。
見れば、1日かけて集めたのであろう、さまざまな資料が机の上に乱雑に積み上がっていた。
「教えてくれ、嘘をつかないでくれイリーネ。君が見たのは、聞いたのは、本当に妖精のような形と意思をもった存在だったのか?」
その言葉には、少し懇願のような感情が混じっていた。
俺は、どう答えるべきなのだろう。ガリウスの話によると、俺の経験は彼女の研究を真っ向否定するものらしい。
……父の悪名で学会から虐げられたユウリが、なお諦めず自身の努力で手にした『研究者としての名声』を、失ってしまうかもしれない。
「……事実ですわ」
「そうか」
だが、嘘をついて何になるだろう。
ユウリの立場を慮り、嘘を公表する方がきっと良くない。
「あー……。そうか、そうだったか」
「ユウリ、さん?」
「イリーネ。君が見えたその『不思議な光』の詳細について、説明する約束だったね」
ユウリはそう言うと、数枚綴りの紙切れを裏向きに俺へと差し出した。
「それは、知人の論文だ。ボクの研究ではないモノだ」
「は、はい」
「そこに、恐らく答えが書いてある。……ただ悪いが、ボクの口から説明してやる気が湧かなくててね」
少しなげやりな口調で、ユウリは俺から視線を切った。
「後は、これを読んでくれ」
研究者とは、説明が好きな存在である。
そんな研究者たるユウリが、資料を手渡すだけで説明を終えた。
それはきっと、彼女自身────
「……ふぅ」
────耐え難い虚無感に、襲われているからに他ならない。
「では、拝読させていただきますわ」
「ああ」
……森の光。精霊の存在、未来を知る魔法。
それらの、俺の身に起こった不思議な現象の答え。
それが、この論文に書かれている─────
序論。
本魔法を実践する際には、周囲にしっかりと観察者を用意すること。何故なら、自らを痛め付けるという魔法の性質上、事故とは切り離せぬ魔法であるからだ。
あと、見られている方が気持ちがいい。
議論。
本魔法には、縄が必須である。縄の長さに関しては、身長の倍以上、数メートルもあれば良い。
既存の自虐魔法では、精々痛みを与えられるのが限界であり、拘束されてしまう嗜虐を楽しむことはできなかった。しかし、本魔法の開発により、我々は手軽に拘束プレイを楽しむことができるようになった。
方法。
縄に細工は必要ない。本魔法の核は地面に用意する魔法陣であり、その構築に乗っ取ってヌルヌルと縄が体を這いずり回り、やがて卑猥な形状で縛り上げ────
「すまない読むのをやめたまえ」
「あっ」
ユウリは機敏な動きで、俺の手から論文を取り上げた。
「これは違うのだ。違う論文だ、だから内容は忘れたまえ」
「は、はぁ……」
「ああもう、こっちだ。こっちだった、ああもう」
ユウリってば、うっかり渡す論文を間違えたらしい。
何でそんな論文が机の上に置いてあったのだろう。ストレス解消にでも、使ったのだろうか。
「こちらだ。勇者の伝承において、事実と根拠に基づいた『精霊』という存在に関するレポートで────」
「あら。なんと、机の下に縄が……」
「余計なものを見つけるのはやめたまえ」
ふと気になって、机の下を覗くとユウリの背丈の何倍かの縄が有った。論文に記載されていた通りの長さだ。
「……イリーネは何も見なかった。良いね?」
「了解ですわ」
これ以上、この件に突っ込むなと言うユウリの鋼の意思を感じる。
よし、話を戻してあげよう。
「ユウリさん、ガリウス様はこうおっしゃいましたわ。私に、今回の一連の経験を論文として報告しろと」
「ああ、その方が良い。ボクからも、全面的に協力しよう」
「ユウリさんは、それでよろしいのですか?」
「無論だ。それが真実であるというのであれば、ボクは受け入れて先に進む」
そうはいっているものの、ユウリの顔にははっきり『納得がいかない』と書かれていた。
きっと、まだ消化しきれていないんだろう。精霊が存在していて、予知魔法は精霊の専売特許で。
人間がいかに努力しようとも、精霊の予知にはかなわない可能性が示唆されて。
それは、ユウリの夢を否定するような事実だから。
「……事実を否定するのは、詭弁者だ。事実を受け入れて、昇華し、発展させることが研究者の生業なのだよ」
でも聡明なユウリは、俺の話を本当だと感じているんだ。だからこそ、激しく傷ついているのだろう。
きっと今も、頭の中で俺の体験の矛盾点を探しているに違いない。
「ねぇ、ユウリさん。頼みたい事があるのですが」
「何だね? 君の発表に関しては、微力ながら力を貸すことはもう約束したよ?」
「そうではありませんわ」
うん。ユウリには一宿一飯の恩がある。
彼女のお陰で、リタを助けられた。彼女のおかげで、俺達はこの街でスムーズに行動できた。
なら、少し恩返しもしておかないと。
「明日、お時間はありますか?」
「明日かい? ああ、特に予定は入っていないが」
ユウリが明日、フリーなのを確認。
よし、これは好都合。
「明日、私とデートいたしませんか?」
「……ヘ?」
そのまま俺は、ユウリの肩を掴んで笑いかけ、勢いのままデートに誘った。
「……え、デート?」
「そうですとも。私と1日ほど、お出かけいたしましょう」
俺はキメ顔で、今世初めて女の子を外出に誘った。人生で初のデートだ。
まぁ男に誘われて遊覧はした事あるんだが、あれは貴族行事なのでノーカン。
「えっと、それはどういう」
「ユウリさん。貴女の望み、きっと私が叶えて差し上げますわ。なので、明日貴女の時間をくださいな」
「……え」
ユウリはパチクリと目を見開いて、俺を見つめている。
そして声を震わして、クールな彼女に似つかわしくない素っ頓狂な悲鳴を上げた。
「ええええええええ?」
「あの、ユウリさん?」
「あいいや、ボボボボクはその、あれえええ?」
「何を動揺してらっしゃるんですか?」
「デートって、その、え?」
む、デートという言葉がまずかっただろうか? 可愛らしく顔を真っ赤にして、ユウリは俺を見上げている。
そうか、彼女は思春期初めの女子。少し、多感なお年頃なんだろう。
「そう気負わずともよろしいですわよ。少し遊びに行くだけですわ」
「あ、遊びに……?」
「そうですとも」
まぁ、俺の中身は男性よりなので、デートでも間違っていないが。
「勿論、来てくださいますわよね?」
「……ふぁ、ひゃい!」
断られても困るので、少し意地悪だが顔を近づけて迫ってみた。
ちょっと意識しているユウリなら、これで押し切れるだろう。
「明日、楽しみにしておきますわ」
「あ、あ、えと……。わ、わかった、よ」
「良い子ですわ」
よし、押し切った。
さーて、明日が楽しみだ。
「あう、遊びって、どんな遊び……? ボクは明日どうされてしまうのだ……。あの性癖が知られてしまったし、まさか、まさか……」
その晩。
筋肉令嬢は筋トレの後にさわやかな睡眠を得て、思春期少女は悶々と一晩を過ごしたという。




