15話「あかん! これじゃ患者(猿)は死ぬゥ!」
「もう、本当に無茶をして。私が居ないと、このまま野垂れ死だったわよ」
俺の頭上から、優しげな声がする。
ひりつくようだった全身の痛みが、麻酔でもかかったかのように和らいでいる。
「ぁ……、お嬢、さ……」
「まだ喋っちゃだめ。物凄い重傷なのよ、貴方。抉れて足りない体の組織を、私の魔力素で代用して何とか生きながらえているレベル」
後頭部に柔らかい感触。
目が霞んで、前が見えないけれど。どうやら俺は、サクラに膝枕されながら治療を受けているらしい。
「お疲れ様、ありがとう。貴方は、英雄よ」
そんなサクラの、優しい言葉を聞く限り。どうやら俺は、あの糞ったれの怪物を仕留める事が出来たようだ。
「お嬢……。ヤツは、どう、なって」
「首から上は、綺麗に消し飛んでいるわね。上半身もズタボロ、動く気配はないわ。間違いなく死んでいる」
「そ、か……」
俺の残り魔力全てを振り絞った必殺の『精霊砲』は、無事に魔族をぶっ殺したみたいだ。
流石の怪物も、体の中からの攻撃には脆かったのだろう。
食われる寸前に体内から消し飛ばす。多分、これ以外に俺があの化け物を倒す術はなかったと思う。
「なぁ、俺の身体は治るのか?」
「安心なさい、治るわ。この私が近くにいた幸運を喜ぶのね」
「そっか。サンキューな」
しかも、なんと俺の身体は快復するらしい。すげぇなこのお嬢様、右半身消し飛んでるのに治せるのか。
並の術者じゃねーな。
「すごかったわよ、貴方。あんな怪物と殴り合うなんて、人間とは思えなかった」
「何せ、俺はお猿さんだからな」
「……そうだったわね」
まぁ実際、かなり無茶をしたよな俺。肉体強化を掛けたとはいえ、ほぼ生身であの化け物相手に肉弾戦をやった訳で。
今、こうして原形をとどめたまま治療を受けれているのも奇跡に近い。
「もし、また同じような怪物が襲ってきたら。猿仮面は、また戦ってくれるかしら?」
「そうだなぁ。出来れば、二度と御免だな」
「そりゃあ、そうよね」
少なくとも、もっともっと強くなるまでは戦いたくねぇな。今日の勝利はマジで偶然の産物だし。
あんなの相手にしちゃあ、いくつ命があっても足りやしない。
「……なぁ、まだ目が見えねぇんだが」
「目は別に焦る必要ないから、後で治すわ。それより、貴方の命に係わる臓器がズタズタなのよ」
「ああ、そうなの」
「肺が握り潰されてるなんて初めての経験だから、治し方がよくわかんないのよ。右腕も何とかくっつけようと頑張ってるんだけど、損傷が激しくて……」
せやな。自分の肺を握り潰すとか、世界広しと言えど俺くらいしかやらんわな。
「……でも安心なさい、絶対に治してあげるから」
「ありがと」
「眠ければ、眠っていて良いわよ。マスターに言って、運んでもらうようにするし」
……そうか。俺はもう眠っても構わないのか。
じゃあ、お言葉に甘えても良いかもしれない。
「それに、お礼を言うのは私の方だわ。部下の仇を取ってくれて、ありがとう」
「どういたしまして、だ」
「これでせめて、私を守って死んでいったあの子達の魂も浮かばれる」
その言葉の後、ポタリと肩に涙の雫を感じる。
サクラは、俺の頭上で泣いているようだ。
「ねぇ、猿。貴方の仮面、取っても構わないかしら」
「駄目だ、馬鹿を言っちゃあいけない。この仮面だけは外せない」
「あらら、意固地ね。まったく最期くらい……、いや。何でもないわ」
彼女は、少し涙声になりながら。ギュッと、俺の掌を握りしめた。
「じゃあ、約束するわ。サクラ・フォン・テンドーの家名に賭けて貴方の仮面を取ったりしない」
「頼むぜ、本当に」
「ええ、約束。だから、もうゆっくり寝ていなさい」
そう言うと、サクラは俺の掌を握りしめたまま。心地よい子守唄を、ゆっくり吟んじ始めた。
「眠れや、眠れ────」
それは何処か儚げで、哀愁の漂う子守唄。
母親に抱かれて眠っている様な、独特の安心感。
「ああ、何だ。本当に眠くなってきた」
もしかして、魔法的な作用もあるのだろうか。サクラの歌を聞いた俺は、ドンドンと深い眠りに誘われていく。
意識が遠のく。傷つき疲れた体から意識を投げ出し、心が楽になっていく。
────ああ、心地が良い。
「ヴぉっ……」
む。
何だろう、今の声は。
「ヴォォォォッ、ぉオぉ……」
……また、聞こえた。
「なぁ、サクラ。何か、聞こえないか?」
「気のせいじゃないかしら? 良いから、もう眠ってしまいなさい」
「そう、か」
気のせいなのだろうか?
とてもおぞましく、恐ろしく、憎々しい声がどこかから聞こえてきている気がするんだが。
「本当に、大丈夫なのか? 周囲を見渡してみてくれ、サクラ」
「大丈夫よ、周りには何もいないわ猿仮面。きっと、トラウマになったあの怪物の声が幻聴として響いているのよ」
……そうか、何もいないのか。
そういや、サクラは土魔法で周囲の人間の場所を把握していたな。じゃあ、彼女が何もいないと言えばそこそこ信頼できるんじゃないか?
激戦で精神が張り詰め過ぎていたか。心配のし過ぎだな、もう寝てしまおう。
「おォオオお、ヴォおォオぉ!!」
……。
そんな、訳があるか。これが、幻聴なはずがあるか。
聞こえた。はっきりと今、俺はあの怪物の咆哮を耳にした────
「サクラ。違う、これは幻聴なんかじゃない!」
「……幻聴、だってば。いいから寝なさいよ、まったく」
「早く、早く目を治してくれ! 近くに、近くにまたアイツが────」
サクラは、もう疲れているんだ。きっと、怪物の声を聴きたくない余り、今の咆哮を幻聴と切って捨ててしまっているんだ。
くそ、まだ息があるのかアイツは────
────血糊が剥がれ、瞼が開いて視界がクリアになる。
目元を腫らして、大粒の涙を貯めながら、優しく俺の手を握りしめるサクラお嬢様が目に入る。
「寝てて、良かったのに」
その、サクラの背後には……。
「おォオヴぉオお────」
「ヴォおォ、ヴォオぉ!!」
「ヴォォォオゥ……っ!!」
群れが居た。
毛むくじゃらの化け物が、地平線を埋め尽くすような数で。
何十、何百、何千という恐ろしい大群をなして。
「……は?」
奴等は俺達のいるこの場所へ、街の遥か遠くから唸り声と共に迫って来ていたのだった。
「貴方は馬鹿ね。せっかく、アレの存在を知らず眠れることが出来たのに」
「え、あ、ぁ」
「きっとそこで死んでるのは、群れをはぐれた馬鹿な個体だったってことね。あの化け物の群れこそが、本隊なのでしょう」
俺は、その光景が信じられなかった。
あれだけの思いをして、奇跡に奇跡を重なり合わせて、やっともぎ取った奇跡の勝利だというのに。
────敵は、魔族は、俺の想像をはるかに超える戦力でこの街を襲撃しようとしていたのだ。
「逃げ、ないのかサクラお嬢様」
「あれだけの数相手に、何処へ逃げようって言うのよ」
「……違いない」
そうか。サクラは、これを見ていたのか。
だから、サクラは執拗に俺を眠らせてしまおうとしたのか。
俺が、あの化け物を倒した英雄になるという心地よい結末のまま、その命を終わらせることが出来るように。
「すまんサクラお嬢様、俺はもう戦えそうにない」
「知ってる。満身創痍だもの、貴方」
「ああ。神様って奴が実在するなら今すぐ殴り飛ばしてやりたいぜ」
どれだけ、人をバカにするつもりだ。最初から、人間に勝ち目なんてなかったんじゃないか。
どれだけ奮闘しようと、どれだけ努力をしようと、決して勝てない相手。俺が命がけで戦ったあの勝負を、嘲笑うかのような魔族の数。
本当に、運命を司る女神様は性格が悪いらしい。きっと、必死で魔族1匹を討ち取った俺の姿を見て、『無駄な事をしている』とせせら笑っていたのだろう。
「俺の戦いは、まるきり無駄だったって事かよ」
「そんなことはないわ」
あまりの敵の多さに、あまりに残酷な結末に、自暴自棄になりかけたその時。サクラは、俺の背中から腕を回して抱き着いてきた。
「言ったでしょう。貴方は、私の大切な仲間の仇を討ったのよ」
「……」
「小さな頃、私の世話をしてくれたジョージ。お菓子作りが得意なマイクに、喧嘩っ早いけど優しいピート。そんな大切な皆を殺した憎い魔族は、貴方の手で討たれたの」
その、サクラの声は震えながらも確かに感謝の情で溢れていた。
「たとえ、今から殺されるのだとしても。貴方が、私の家族の魂を救ってくれたことに変わりはない」
「お嬢……」
「だからこれは、せめてものお礼よ。このまま、あの化け物に食い殺される最期の時まで、この私が貴方を抱き締めていてあげる」
その言葉通りに、サクラは俺にしがみつくように、ギュっと抱き締めてきてくれた。
「一人で死ぬよりかは、寂しくないでしょう?」
……。
ああ、何て人間が出来てんだこの娘は。
本当は、今すぐ泣き出したいだろうに。喚いて、叫んで、発狂したいだろうに。
この女は、最期の死ぬ間際まで他人を気遣って行動していやがる。
「……恩に着る。本音を言えば、死ぬほど怖えわ今」
「私もよ」
「でもさ。最近出会ったばかりの奇縁だが、アンタと一緒に死ぬのは悪くないと思えてきた。最期まで、一緒に居てくれ」
「……私も、かな。だからこそ死を共にする相手の、顔くらい見せて欲しいものだけど」
あー。もう死んじまう訳なら、顔を隠す意味もねぇか。
「ええ。勿論そんなにコンプレックスなら、無理にとは言わないわ」
「あー。きっと腰抜かすぞ」
「……実はね、猿仮面。今、仮面の中身は美形でしたー、って展開を期待しちゃってる」
「なら仮面を取るのはやめる。その期待には応えられん」
「冗談よ、もう」
残念。仮面の中身は超絶美少女イリーネちゃんでした! という展開は彼女的にはどうなんだろうか。
なんか男を相手にするような対応のままだし、仮面の中身がイリーネだとバレてないっぽいけれど。
「はー。死ぬ前に童貞卒業したかったな」
「……。え、それ言うなら、あと10分くらい早く言っといてくれないと。さすがにもう無理よ?」
「言ってみただけだ。最初から期待しちゃいない」
そもそも生えてないしな。てか、10分前に言っとけばワンチャン有ったのか畜生。
「……ねぇ、猿仮面。もう、アイツらが来るわ」
「そうだな。ここで仲間が死んでるのを察知しているのか、真っすぐこっち目指してるな」
「最期に言い残す事、なんかある?」
「んー」
言い残す事、ねぇ。ここで何かを言い残しても、誰にも何も伝わらないのだけれど。
強いて言うなら────
「……まだ死にたくねぇよ、女神のクソッタレ。これかな」
「あら、意外。貴方って神を呪うのね」
「まぁ、実在するのを知ってるからな」
カールの夢に現れたとか言う女神は、本物だろう。
だというなら、本当に神が存在すると言うのなら、こんなふざけた結末から助けてくれよ。
「ここで何を叫ぼうと、家族に何も届かねぇし。だったら届く可能性のある相手に、文句ぶちまけるだけさ」
「それは道理ね。……私も、詰ろうかしら」
「良いんじゃねぇか?」
そんな馬鹿みたいな話をしてる合間に、群れはとうとう街の中へ入ってくる。
恐ろしい化け物は、もう此処に到着してしまう。
「神様のバカ」
「真面目に仕事しろや、バカ野郎」
……。
「私、まだ死にたくない」
「俺には、やり残したことがたくさんある」
…………。
「返して、私の大切な人達を。助けて、この街に残った人を」
「まだ、俺は妹が嫁に行く姿を見れてない。せめてそれまでは、生きていたかった」
…………畜生。
「────こんな結末なんて」
「────あんまりじゃ、ねぇか」
「悪い、寝てた」
そんな、俺達から零れ落ちた呟きに応える声があった。
「────そっか。もうここまで来てやがったのか」
ソイツの体躯は土を被り汚れていたが、その眼光は紅く燃え盛っていた。
重そうな低品質の大剣を、敵の群れに向けて真っ直ぐ構え。
剣士は静かに激昂し、全身から闘気を剥き出しに、毛髪を逆立てて怒っていた。
「持ち堪えてくれて、ありがとう」
静かな怒声が、闇夜に溶ける。
月明かりに、無数の魔族の光る目が照らされ。それに相対するは、矮小な人間ただ一人。
「……カール?」
「後は任せろ」
地平に魔族が満ちた時。女神に選ばれた勇者が、ようやく目を覚ました。




