第8話 暗雲
「ふぅ、やれやれ」
豪勢な椅子に腰を沈め、男は気だるげに首を左右に倒す。
年齢は50代前半と言った所だろうか。
仕立ての良さそうなグレーの制服に身を包み、左の胸元には幾つもの勲章が飾り付けらていた。
彼の名はガイゼル・パーミッション。
ルブラン国首都防衛のトップに立つ将軍位の男だ。
「随分とお疲れのご様子ですね」
亜麻色の髪を首元でウェーブさせている制服姿の女性が、執務椅子に腰かける男にコーヒーカップを差し出した。
男はその湯気が立ち上るカップを手に取り、口元まで持ち上げ香りを楽しむように深呼吸する。
「いい香りだ」
「この安物がですか?」
将軍に安物?
そう思うかもしれないが、ガイゼルと言う男はコーヒーの香りの違いなど分かる繊細な感性は持ち合わせていなかった。
その為、経費削減の名目で彼自身の指示の元、安物の粗悪品が使われているのだ。
「重要なのは何が淹れてあるかではなく、だれが淹れてくれたかだ。見目麗しい愛しのローリエが淹れてくれれば、いつだってそれは最高級品さ」
ガイゼルが軽くウィンクする。
女――秘書のローリエ――はそんな男の視線を冷ややかに受け止めた。
「その発言。セクハラぎりぎりですよ、将軍」
「ははは、こいつは手厳しいな」
将軍は楽し気に笑いながら再びコーヒーに口を付ける。
そしてそのまま一気にカップを煽り、ごくごくと喉を鳴らして飲み干した。
「さて、悪いが会議を開くので皆を集める手配を頼む。それも出来るだけ至急に」
ガイゼルからの指示を聞いてローリエは表情を硬くし、その綺麗な眉間に皺を寄せた。
国防の頂点に立つ将軍が急遽開く会議。
それはこの国に重大な事態が差し迫っている事を意味するからだ。
「何かあったのですか?あ……いえ、忘れてください。申し訳ありません」
言ってから彼女は自分の失態に気づき、頭を下げて言葉を撤回する。
只の秘書でしかないローリエが、会議の内容を知る必要などは全く無い。
そんな彼女が国防上の機密を問うなど、秘書としては失態と言っていいだろう。
「ははは、気にしなくて構わないさ。可愛い姪の質問とあらば、おじさん何でも答えてあげちゃうよ。それに聞かれなくてもローリエには話すつもりだったからね」
失態を恥じ、顔を伏せるローリエにガイゼルは朗らかに笑いかける。
この年まで独身であった彼にとって姪であるローリエは我が子同然に等しい。
そんな目に入れても痛くない程愛おしい姪に対し、彼は猛烈に甘かった。
「将軍。そう言う訳には……」
「良いって良いって。但し他言は無用だ」
そう言うとガイゼルは立ち上がり、ローリエの瞳を真っすぐ見つめる。
「確定情報ではないんだが。どうやら我が国にレーヴァテインが入り込んだ様だ」
「んなっ……」
その名を聞きローリエは思わず絶句する。
だが彼女の反応は至って自然な物だ。
自分の住んでいる国にレーヴァテインが出現したと聞かされれば、きっと誰もが絶句するに違いない。
6年前、隣国であるゼーヴァの遺跡にて発見された前時代の兵器。
それがレーヴァテインだ。
古代の超兵器であったレーヴァテインには、現代では既に失われている多くの技術が詰め込まれていた。その為、ゼーヴァ国では国を挙げての研究が行われる筈であった。だが研究の開始と同時に、一人の研究者によってレーヴァテインは奪われてしまう。
強奪犯――カミール・レインブラ――は、その後奪ったレーヴァテインで大規模な破壊活動を国内で始める。名門の出であった彼が何故国を裏切り、その様な凶行に走ったのかは定かではない。ただ一つ言える事は、彼がゼーヴァにとって途方もない脅威へと生まれ変わったという事だけだ。
彼の奪ったレーヴァテインの力は凄まじく、ゼーヴァの主力部隊と単騎で渡り合える程であり。その姿と圧倒的強さから、レーヴァテインは黒い悪魔と呼ばれゼーヴァの人々を震え上がらせた。
その破壊活動は2年という長きに渡り、このままではレーヴァテイン一機によって国が滅ぼされるのではないか?そう近隣諸国に囁かれる程にゼーヴァは追い詰められる。恐らくそのまま破壊活動が続いていれば、ゼーヴァは間違いなく滅びていただろう。
だがその活動も4年前を境に唐突に終わり迎える。
本当に突然、唐突に。
どこに消えたのか。
何を企んでいるのか。
何一つわからぬまま時が過ぎ。
そして4年の沈黙を破り、レーヴァテインは再び姿を現したのだ。
隣国であるここルブランに。
「まだ確定情報ではないんだけどね。もし確定だったら……」
レーヴァテインの名を聞き、顔を青ざめさせるローリエにガイゼルは言葉を続けた。
「その時は仕事を止めて、よその国へ避難するんだ。いいね」
もしと付けてはいたが、情報はほぼ確定で間違いないだろう。
だからこそこの段階で逃げるよう彼は口にしたのだ。
「そんな!私だけ逃げるなんて!」
彼女は軍人である。
秘書官という特殊な立場ではあるが、間違いなく軍人だ。
そんな彼女に叔父であるガイゼルは国を見捨てて逃げろと言う。
当然彼女はその言葉に反発する。
「情報が確かなら、この国は相当危険な状態になる」
ガイゼルは愛しい姪の両肩を優しく掴み、真剣な表情でローリエを正面から見つめる。その瞳には有無御言わさぬ強い意志が込められていた。
「無くなった弟達に、僕は君の事を守ると誓ったんだ。だから……頼む」
「そんなの…… 」
「頼む……」
「分かり……ました」
ローリエは、叔父の嘆願に小さく頷いて答えた。
国を捨てて逃げるのは、等卑劣極まりない受け入れがたい行為だ。
だが幼い頃に両親を失い、これまで親代わりとなって自分を育ててくれた叔父の苦し気な表情を見せられては、首を縦に振るしかなかった。
「でも、ひとつだけ約束してください。絶対に死なないって」
「勿論だ。可愛い姪の花嫁姿を見るまでは死ねないさ。約束する」
そう力強く答えると、彼はローリエを優しく抱きしめた。
「セクハラですよ。将軍」
「今は将軍じゃなくて伯父さんだからいいの」
「もう、ほんと伯父さんは調子がいいんだから」
国に暗雲が立ち込める中、二人は強くお互いを抱きしめあう。
そして今交わしているこの抱擁が、ローリエにとって伯父との最後の抱擁となる事を彼女はまだ知らない。