第6話 レーヴァテイン
「森か……」
洞窟を出るとそこには森が広がっていた。
辺りは暗く、天を見上げると星空が木々の隙間から垣間見える。
「もう夜かぁ。どこか体を休める場所を探すしかないわね」
アムが目を凝らし、辺りをきょろきょろと見回す。
疲れても居ないのに休むと言い出した彼女の意図が分からず、聞いてみる。
「何故だ?」
「いや、危ないでしょ。夜の森は。周りが全然見通せないからいきなり魔物に襲われたりするし。だから森を抜けるのは朝になってからじゃないと」
「見えないのなら気配を感じれ取ればいいだけの事。第一魔物如き、襲って来る様ならば蹴散らせばいいだけだ。いくぞ」
「ええ、ちょ……」
俺はアムの言葉など取りあわず、暗い森の中へと迷わず歩みだす。
目指すは東。
アムの話ではここから東に今いる場所――ルブラン国――の首都、ルブラントが有ると言っていた。俺はそこを真っすぐ目指した。
暗い森を歩きながら思い出す。
ダンジョン内で聞いたアムの話を。
神に祝福されし栄光の時代、神栄歴1000年。
それが今の暦らしい。
そして俺の知っている暦は、神去りし光無き時代と言われた太陰歴だった。
俺の持つ記憶は断片的であやふやな物が多い。
まあ奴の一部でしかなかったのだから、それは当然の事なのだが。
だが事暦に関してははっきりと覚えていた。
つまり少なく見積もっても、俺が奴に切り捨てられてから既に1000年以上は経っているという事になる。
1000年か……
随分長く眠っていた物だ。
そこで一つ大きな疑問がわいてくる。
1000年以上も眠っていながら、何故今更目覚めたのかという事だ。
それだけ馬鹿みたいに長い期間眠っていたのだ、目覚めるには何かきっかけがあったはず。何の意味も無く唐突に目覚めたというのは考え辛い。
目覚めた時の事を思い出してみる。
封印の間に誰か別の者はいなかった。
あったのは扉だけだ。
あの扉に何か……
遠くから聞こえる異音に気づき、俺はそこで考えを途切らせる。
それは何か巨大な物が木々を薙ぎ倒す音。
そしてその音は確実に此方へと向かってきていた。
「何か来るな」
「え?何かって?」
「知らん、とにかくでかい何かだ」
近づいてくる相手からは、聞いた事の無い様な振動音が伝わって来る。
正体不明の相手か……
俺は歩みを止め、じっと聞き耳を立てた。
1000年もの時が経っている以上、未知なる脅威が発生している可能性は十分考えられる。まあそんな物にいきなり出くわす可能性は小さい気もするが、一応万一の事も考えて俺は身構えておく。
「な、なにこの音?」
「来るぞ、少し下がっていろ」
俺の言葉とほぼ同時に目の前の木々が吹き飛び、巨大な生物が姿を現した。
それは優に10メートルを超す巨人。
全身黒光りする鋼の外皮を纏い、その眼は両耳の辺りまで届く程横長の単眼だ。
長く伸びた耳はエルフを彷彿とさせ、口元はマスクの様な物に覆い隠されていた。
「そんな……レーヴァテイン……どう…して……」
「あれを知っているのか?」
アムの方を振り返ると、彼女は真っ青な顔色でその場にへたり込んでいた。
「私の……兄……」
「お前の兄か?あまり似ていないな」
アムと目の前のデカ物を見比べる。
サイズは元より、見た目もまるで違う。
どう考えても別種の生物にしか見えないのだが、ペナルティが発生していない以上、アムは嘘を吐いていないという事になる。
つまり今の人間は成長するとあのような姿に変わるという事か。
この1000年で随分と進化した物だ。
「やあ、アミールじゃないか。驚いたよ。まさかお前が生きていたなんて」
「……」
アムは兄の問いには答えず、両手を抱えガタガタと体を震わせている。
どうやら兄妹仲は余り良好ではないらしい。
「一人っきりじゃ寂しいだろう?今お兄ちゃんが、父さん達の所にお前を送ってあげるよ」
「い……いや……」
アムが今にも泣きそうな表情で首を振り、手をばたつかせて後ずさる。
余程親に会うのが嫌なのだろう。
どうやら親子中も悪い様だ。
「それは困るな。こいつは俺の僕だ。勝手にどこかに送る事はこの俺が許さん」
別にアムが居ようが居まいが大した問題ではない。
だが自分の所有物を勝手にどこかへ運ばれると聞いて、黙って見逃してやれるほど俺は寛大では無かった。
「何だお前は?」
俺の言葉に反応し、奴の光る瞳が此方を捉える。
その表情から感情は読み取れないが、その不機嫌そうな声から俺に不快感を抱いている事は間違いないだろう。
まあ妹が下僕にされて喜ぶ兄も居ないだろうから、それも仕方のない事。
だがその程度で気圧される俺ではない。
俺はその冷たく無機質な視線を真正面から受け止め、はっきりと宣言する。
「俺はこいつの主だ」
「主?ああ、主人と言いたい訳か。成程、結婚したんだねアミール。おめでとう、お兄ちゃん嬉しいよ」
巨人が此方へと掌を向ける。
その掌に電光が走り、中心部分の透明な瘤が光り輝いた。
「これはお兄ちゃんから2人への細やかなお祝いだ。さあ、受け取ってくれ」
掌の輝きが強くなる。
どうにも嫌な予感がした俺は咄嗟にアムの頭部を掴んでデーモンへと走り寄り、デーモンの横にアムを放り投げて振り返る。
同時に光が視界いっぱいに広がる。
その光に目を細めながら、素早く魔法による障壁を展開した。
「お兄ちゃんからの祝砲だ!! 」
感極まった声と共に、奴の手から光が放たれる。
衝撃と共に魔法の障壁が軋む。
その圧倒的破壊力にまるで悲鳴を上げているかの様だ。
「思ったより強力だな」
障壁に亀裂が走る。
相手のパワーに押されて決壊するのはもう時間の問題だった。
対処としては飛んで躱すのが最も簡単なのだが……
ちらりと背後を振り返る。
僕2体は尻もちを付いたまま動かない。
恐怖で腰を抜かしているのだろう。
俺が躱せば奴らは確実に死ぬ事になる。
俺は軽く溜息を一つ付き、右手に魔力を収束させた。
手を覆った魔力は剣の様に鋭く鋭利な形へと姿を変え、まるで腐った臓腑を思わせる赤黒い色へと染まる。
そして俺は右手を掲げ。
魔法の障壁が決壊すると同時に、剣と化した右手を振り下ろした。
「次元断!」
剣の描いた軌道に罅が入り、空間が砕け散る。
裂かれた空間はぱっくりと漆黒の口を開け。
光も、音も、そこに存在する全てを飲み込み喰らい尽くす。
「ひいぃぃぃ!」
「ぎぎぃぃぃぃ!」
その吸引力に引き寄せられた2人の体が浮かび上がる。
俺は悲鳴を上げて飛んでいく二人を捕まえ、大きく飛びのいた。
「手間のかかる奴らだ」
空間を砕き食い破るそれは轟音を響かせ、徐々に拡大していき此方へと迫ってくる。その光景に恐怖した下僕二匹は、ガタガタと震えながら俺に強くしがみ付いてきた。本当にうっとおしい。
世界を蝕む不快な音が突如鳴り止んだ。
それと同時に際限なく広がるかと思われた虚無は、俺の目と鼻の先にまで迫った所でぴたりと止まる。そしてまるで時計の針を逆回転するかの様に小さな点へと収束し、最後は小さく弾ける様に消滅した。
強大な爪痕だけを残して。
「驚いたね。まさかアミールがこんな化け物と結婚していたなんて。お前は一体何者だ?」
「俺の名はスレイヤー。神を殺すものだ」
「神を殺す?ははは、こいつは良い。傑作だ」
人が真面目に答えてやったというのに不快な奴だ。
さっきの攻撃といい。
下僕の兄だろうとこれ以上見逃してやる程俺は甘くない。
「暗黒滅陣砲!」
俺の手から放たれた黒い閃光は、クレーターを挟んで向かいにいた奴を直撃する。攻撃を受けた奴は、周りの木々バキバキとへし折りながら吹き飛んでいく。
「暗黒滅陣砲!」
俺は地に伏す奴に容赦なく追い打ちをかける。
だが奴は魔法が当たる直前大きく飛び跳ね、上空高く飛び上がった。
そしてそのまま背中から青い炎が噴き出し、奴は空中で静止する。
「全くとんでもない化け物だね。不完全とはいえ、僕のレーヴァテインをこんなに傷つけるなんて。しょうがない、ここは素直に引かせて貰うよ。この借りはレーヴァテインが完成してから返すとする」
ふざけた奴だ。
逃がすつもりは更々ない。
此処で殺す。
空中の奴を叩き落とそうと手を向ける。
だが魔法を放つよりも早く、奴の全身から黒い霧が勢いよく噴出される。
黒霧は瞬く間に辺りに広まっていく。
「毒か……」
霧に触れた樹木が一瞬で灰色に枯れ、ぼろぼろと崩れ落ちるのが目に入る。
その様子を見て、俺は攻撃を断念し防御魔法を展開する。
別にこの程度の毒なら全く問題ない。
だが下僕の2人は、少なくともアムの方は触れただけで確実に命を落とすだろう。
まったく本当に厄介な足手まといを拾ったものだと、俺は大きく溜息を付いた。