第4話 下僕2号
目の前の階段を上る。
上り終えると、そこに待ち構えていたのは大きな虫達だった。
正確には虫型の魔物だ。
頭部に赤く細い八つの目を持つ、人間サイズの蟻の様な魔物。
それが5匹、狭い通路に群れていた。
此方に気づいた魔物達は左右に分かれた下顎をカチカチと打ち合わせ、威嚇してくる。
魔物に特段恨みがあるわけではない。
その為相手から仕掛けて来なければ手を出すつもりは無かった。
が、通り道はこの一本のみ。
他に出口への道は無い。
明かに此方を警戒している相手を問題なく抜けていくのはまず無理だろう。
その場合は当然始末する。
此処は奴らの巣なのだろうが、どんな理由があろうと仕掛けてくるなら話は別だ。
威嚇など一々取り合わず俺は無視して進む。
無造作に近づくと、魔物の一匹が大きく雄叫びを上げて飛びかかって来た。
俺は左手を素早く横に振り、そいつの頭部を粉砕する。
その衝撃で魔物の体は吹き飛び、辺りに緑の体液を撒き散らした。
「首を失っても動けるのか」
首を失った魔物の体が起き上がり、ふらふらと歩き回って壁にぶつかる。
この状態なら害はないだろうが、目障りなので他の4体を始末するついでに魔法で吹き飛ばす事にした。
右手を握り込み、拳を握って前に翳す。
頭の中で素早く魔法構成を構築し、そこに魔力を込めて右手へと送りむ。すると黒く輝く稲光が右拳で弾け、黒い紋様が浮かび上がる。
「連帯責任だ。纏めてあの世へ行け。暗黒滅陣砲!」
握っていた手を開いた瞬間、通路に凄まじいエネルギーの本流が駆け巡る。
エネルギーは黒い閃光となって狭い通路内を蹂躙し尽くし、全てを吹き飛ばす。
魔法の嵐が収まった時、通路内にはもはや何も残ってはいなかった。
「ギィィィ」
デーモンが情けない声をあげて起き上がる。
どうやら魔法を放った余波で吹き飛んでしまっていたようだ。
「ちっ」
分かっていた事ではあるが、その余りの虚弱さに思わず舌打ちしてしまう。
「まあいい……」
俺は奴とは違う。
不要だからと言って、切り捨てて途中で放り出すような真似は絶対にしない。
まあ次からは少し気を付けてやるとしよう。
俺が歩き出すと、その後ろをデーモンがかなり距離をあけておどおどと付いてくる。俺が自分のせいで不機嫌になった事に気づいたからだろう。
一瞬気にするなと声をかけてやろうかとも思ったが、止めておいた。
切り捨てる様な真似はしないが、甘やかすつもりも毛頭なかったからだ。
甘やかせば調子に乗る。
それが生き物というものだ。
通路を少し進むと開けた広い空間へと変わる。
ざっと見渡すが先程の魔物達の姿は見当たらなかった。
初めからこの場所にはいないのか、先程の衝撃で遠くへ逃げたのか。
まあどちらでもいい事だ。
俺は気にせずそこを通り抜けるようとする。
すると――
「ま、まって」
声をかけられ歩みを止める。
壁面にある罅から少年……いや、女が飛び出し俺に声をかけて来た。
「た、たすけて 」
女はか細い声で俺に救いを求める。
俺はそんな女を具に観察した。
右腕欠損に、大量失血による軽いショック症状。
成程、人間ならいつ死んでもおかしくない状況だ。
このままこの女を放っておけば間違いなく此処で死ぬだろう。
「断る。他を当たれ」
「え……」
だが助けてやる義理などないため当然断った。
そんな俺の言葉を聞いて女は絶句し。
その表情が縋るようなものから、信じられない物を見るような驚きの顔へと変わる。
どうやら助けて貰えると思っていたようだが、その根拠は何処から来ていたのか甚だ疑問だ。まあ放っておいて問題ないだろう。
そう判断した俺は女を無視して歩みを進める。
「ま、まって…お願い……わたしこのままじゃ……死んでしまう。お願いだから……助けて…」
女はぽろぽろと涙を流し必死に縋って来る。
「邪魔だ 」
「お願い……何でもするから……助けて……」
目障りな事この上ない。
敵対行動をとらない相手を殺す気は余りないが、こうも目障では――
女を始末しようかと考えた矢先に女が悲鳴を上げる。
此方の殺気に気づいたのかとも思ったが、どうやら違う様だ。
「ひっ!?ま、魔物……」
「魔物?」
女の視線を追って振り返る。
だが魔物など何処にもいない。
俺の背後にいるのは配下のデーモンだけだ。
どうやらこの女は深刻なダメージの影響で幻覚が見えているのだろう。
恐らくもう先は長くないな。
「わ……私はあの赤い魔物にやられたの。は……早く逃げなくちゃ……」
赤?
そこで女の言う魔物が配下のデーモンの事だったと気づく。
どうやら幻覚を見ていたわけでは無かったようだ。
「あれは俺の僕だ。問題ない」
「僕って……」
「さっき下の階で屈服させた」
「え?……嘘……屈服……え?……僕……」
女は俺とデーモンを交互に見つめ、恐る恐る聞いてくる。
「本当…に……?」
「しつこい奴だ。とっとと失せろ。これ以上俺にしつこく絡むならお前を――」
俺はある事に気づき、言葉を途切れさす。
それは匂いだ。
香しい匂い。
俺の記憶を、魂を揺さぶり。
口いっぱいに涎がたまる。
この匂いは間違いない。
俺の、かつて奴だった頃の大好物の匂いだ。
そしてその発生源は――
「お前、チェルダを持っているのか?」
「チェル……ダ?」
女は俺の言葉に何を言われたか分からない様な反応を示す。
とぼけているのか?
いや、女にそんな様子はない。
だとすると……
「お前の腰にかかっている物だ」
俺が指さすと、女は腰のベルトから包み紙に包まれたそれを片手で器用に外し。
手に取って此方に見せる。
「これ?」
「そうだ。それは何と言う?」
「チーズ……だけど……」
「チーズか」
やはり名称自体が変わっている。
俺は顎に手をやり考え込む。
この神殿は元々天使をモチーフにした姿のガーディアン達によって守られていた。まあそいつらは奴が全てなぎ倒してしまったわけだが。
問題はその後だ。
全体を見たわけではないが、5層や此処を見る限り相当数の魔物が入り込んでいるのが分かる。それもつい最近やって来たのではなく、かなり長い期間住み着いている様に見えた。
そしてチェルダの名称。
何年たった?
俺が奴から切り捨てられ、意識を取り戻すまでに一体どれだけの時が流れた?
そんな疑問が俺の頭を占める。
俺には情報が必要だ。
それでなくとも俺には記憶の欠落が多い。
まずは情報を集めなくては――
「おい 」
「は…はい」
「俺の僕になるのなら、お前を助けてやる」
別にこの女が欲しいわけではない。
だが命の対価がチェルダと情報だけでは余りにも安すぎる。
明かにレートの合わない取引。
得をする分には問題ないが、損をするのはいささか腹立たしかった。
正直女が何かの役に立つとは思えない。
それどころか足手まといになる可能性も高い。
だがそれでも、損をするよりはましだ。
だから俺は女自信を対価に求める。
「奴隷に……なれって事……?」
「有体に言えばそうだ」
「わ、私にはやるべき事があって……だから奴隷には……なれない……」
やるべき事……か。
俺にもやるべき事はある。
例え命と引き換えにしても成すべき復讐が……
「良いだろう。お前にするべき事があると言うのなら、それを優先する許可を与えてやる。俺の目的の邪魔にならない範囲でなら手伝ってやってもいい。だが嫌ならこの話はここまでだ。自力で何とかする事だな」
女は俯き、黙り込んだ。
しばし逡巡した後、彼女は顔を上げる。
「本当に……本当にその条件で…助けて……くれるの?」
「嘘はつかん」
付く意味もない。
何故ならこの女には最低限の情報とチェルダ以外期待していないからだ。
「わかったわ……それなら…それなら貴方の下僕にでもなんでもなってあげる」
「手を置け」
俺は掌を上に向け、女に差し出す。
女は怪訝そうな顔をしながらもその左手を俺の掌に重ねた。
「良いだろう。契約成立だ」
そう言うと俺は右手の人差し指に魔力を籠め、女の額へと押し付ける。
すると女の額に黒い魔法陣が展開し、その心を、魂を縛り付けた。
「……っ!?今のは……」
女は驚いたように左手で額の辺りに触れる。
「魂の隷属。魂の契約だ。これからお前は俺の僕だ」
「分かったわ……でも、ちゃんと約束は守ってちょうだいよ」
「いいだろう。約束してやる」
こうして俺は2匹目の役立たずを手に入れる事となる。