#009 人に非ず
怒りの所為か、髪が逆立ったのを感じる。
怒髪天を衝くとは正にこの事だった。
「違うな。儂はこう言ったのじゃ。〝ヌシが狩った獲物は村で全て引き取る事にした。明日の日の出前に村を出て行って貰いたい〟とな」
「それを〝約束を違え全てを取り上げる〟と言わずして、何と言う!」
今にも腸が煮えくり返りそうだ。
「都合により、条件を改めたのじゃ」
「俺が従う理由はない。そもそも、俺は村を襲ったゴブリンを倒した。見ての通り頭に怪我を負ってまでな。寧ろ、怪我が癒える迄、面倒を見て貰っても良い筈だ!」
それにだ、何で俺は頭を怪我したんだ?
確か、ボスゴブリンに襲われかけた女村長を助け様として……
痛む頭をおして記憶を手繰り寄せ始めた、まさにその瞬間、
「失礼する!」
件の女村長が部屋の扉を勢よく開けて現れた。
俺の大嫌いな匂いを微かに纏って。
「コリン、何で入ってきた!」
「村長は私。他所者と取引するなら、お爺様ではなく私の役目よ!」
「経緯も知らずに出来るか!」
「扉の向こうで知ったわ!」
爺さんが「ぐぬぬ」と歯嚙みする。
女村長が「ふふん」といった態で俺に向き直った。
「ここからは私が相手をするわ。良い?」
「駄目だ、と言ってもそうするんだろ?」
「そうね。もう一度言うけど、何故ならば私がこの村の長だから。それに貴方が黒奴族、いえ、〝非人〟だからよ」
「非人!?」
言うに事欠いて、人に非ず、だと?
「そんな目をしても駄目よ。勿論、惚けても駄目。貴方が寝ている間にステータスを検めさせて貰ったから」
この世界では、寝ている者のプライバシーを侵害しても許されるらしい。
油断も隙も無いな。
とは言え。
「人のステータスを断りもなく見たとして、だからどうした?」
「所属が記されてなかったわ。それが非人の証でなくて、何だと言うの?」
つまり、村や町などのコミュニティに確りと属していれば、所属の欄が埋まる。
所属があれば、非人では無い、と言う事なのだな?
確かに、ゴブリンのステータスには記述が無かった。
だが、例えば……
「両親が世を旅する行商の類を営み、旅の最中に俺が生まれ、俺の所属を記す前に旅先で流行り病に倒れた、と言ったら?」
な場合はどうなんだ。
「それは貴方の両親が悪いわ。所属無き者は人に非ず、と昔から決められているもの」
決まり……規則か、はたまた法律か。
どちらでも大差ないな。
「それに我が子を大事に思うなら、何かしらに生まれてすぐ所属出来るよう、手配しておいて然るべきよ」
親が、身内が馬鹿だと救われないのは何処も一緒。
「世知辛いな」
「身元の不確かな者に甘い対応は出来ないわ。下手したら付け上がるもの」
「違いない」
「なら、分かるでしょう? 非人である貴方に対して、当初の約束を守れない訳が」
「しかも、多くの村人が、俺が非人だと知り得た後だから尚更、か」
「そう言う訳よ」
元村長が後見しているとは言え、村長として未熟なのは見た目の年齢から明らか。
だと言うのに、非人如きに強く出られないとなると今後に差し障りが出る。
故に、先の話に繋がった、と言う所か。
「とは言え、全て渡さないってのは無いんじゃないか? そうだろう、爺さん?」
意表を突かれたのか、話を振られた爺さんは目を丸くした。
やがて、苦渋の表情を浮かべつつ、
「……この辺り一帯の森で狩が許されておるのは、村唯一の猟師である儂だけじゃ」
と口にする。
女村長がその後に続いた。
「つまり、貴方は村の狩場を荒らした事になっているのよ」
「村の狩場って。丘を三つ四つ越えた先にある、川を更に渡った森の中までがこの村の狩場だって言うのか?」
広過ぎるだろ、俺は暗にそう指摘してみる。
だが、女村長は違う点に気を取られた。
「境川を渡ったですって?」
眉間に皺を寄せて爺さんを睨む女村長。
一方の爺さんは「余計な事を口にしおって」と言わんばかりに、俺を睨み付けた。
「……ええ、そうよ! 古の森もタリス村の狩猟場よ!」
「そんなに力んで言う事か?」
俺の疑問に、爺さんが答える。
「あそこはクラウド・ドラゴンの餌場でな」
「クラウド・ドラゴン?」
「クラウド・ドラゴンとは、古より死の山火口を寝ぐらとする巨竜の事よ。言い伝えでは、神々が手すがら作りし古竜の一体。その逆鱗に触れたら国が滅ぶと言われているわ」
続いて女村長が補足した。
要するに、あの馬鹿でかい竜がクラウド・ドラゴンだったと。
その竜が火口にいるタイミングで俺が異世界転移してたら、一体どうなってたんだろうか。
「故に、古の森にはおいそれと近付いてはいかんのじゃ」
「であるならば、そんな森で俺が得たのだ。尚更譲る謂れが無い」
「言ったでしょ、貴方は非人だと。村の中では人扱いしない、いえ、出来ないのよ」
「人扱い出来ないから、何だと言うのだ?」
「〝人に非ずば取引すべからず〟じゃ」
「酷いな」
「ここではまだマシよ。王都に近くなればなるほど、非人の扱いは酷くなる。嘘だと思うなら、お爺様に聞いてごらんなさい」
爺さんに目を向けると、彼は嫌そうな顔をしてから口を開いた。
「事実、まるで人扱いされん。いや、虫ケラ同然じゃ。特に非人の孤児は悲惨でな。不用意に近づけは羽虫を払うが如く、斬り捨てられる。炊き出しと称して誘き寄せ、特に孤立している者を誘い出し、武具や魔法の試し射ちに使ったりもする。獣が相手だと気配を察知されて逃げられるので試し辛い、その点、子供なら扱い易いと言ってな」
「それだけでは無いわ。人攫いに捕らえられ、奴隷ないしは家畜として売られる場合もあるの」
おいおいおい、それが事実なら人の集まる集落に出られないんだが。
「その顔。自身の置かれた境遇がようやく分かったようね」
女村長が勝ち誇った顔を見せた。
(くそっ、何てムカツク顔だ。美形だから尚更だ……)
「この村に、奴隷として貴方を養う余裕が無くて良かったわね。ただし、この先は分からないわ。だから、明日一番に村を出て行って貰うのが貴方にとっても、私達にとっても良いのよ」
話は分かった。
非人である俺が村に居座るとロクな事ならない、って訳だ。
ま、毛皮や肉を持ち歩く考えはそもそも無かったから、それは良い。
だがな、魔石に関しては別だ。
「魔石までも取り上げるのは何故だ?」
「それは……」
女村長がこの日初めて口籠った。
「それは、とは何だ? まさか答えられないのか? 俺が村で命懸けで倒したゴブリンの魔石だけでなく、森で得た魔石まで取り上げる理由を!」
そう、爺さんから説明を受けたが、どうしても理解出来ないのだ。
何故魔石を全て取り上げられたのかを。
爺さんによると魔石は貴重らしい。
鍋を煮炊きする魔道具等のエネルギー源として。
バンパイア・モスから得た指先程の小さな魔石一つを、一世帯が一月で消費するとか。
アパートのガス代が大体一月当たり五千円だった。
取り上げられた魔石が全部で十二個(熊と猪は魔物ではないらしく、魔石は無かった)。
それを基に計算すると、計六万円を巻き上げられた事に。
幾ら俺が非人だからとは言え、この仕打ちは無い。
「魔石は返せよ」
俺は上半身だけでずいっと詰め寄る。
女村長と爺さんが身を小さくして顔を伏せた。
自分達に、正当性がまるで無い、と分かっているからだろうか?
「床に〝他人が命懸けで得た物を口先だけで奪う方法〟でも書いてあるのか?」
「……ある訳無いわ」
「なら、何か言え」
答えは税金です、とか言われたら困るけどな。
「それとも、適正な価格で買い取ってくれるのか?」
「それは出来ぬ」
「どうして?」
「〝非人相手に公平な取引すべからず〟もそうだけど、この村では物々交換が基本だから……」
金が、貨幣が無いらしい。
どんだけ未開の地なんだ、ここは。
ってか爺さん、俺に有り金全部譲るとか言って渡したよな?
あれもしかして、不用品の処分代りか?
……流石にそれは考え辛いのだが。
「それに……」
と女村長が言った。
「それに?」
「魔石に関しては、私の一存では決められないのよ」
「……はぁ?」
俺は首を捻った。
村の最高権威であろう村長に決められぬ事があるなど、理解出来なかったからだ。
直後、部屋の扉が勢いよく開かれる。
そこには、
「コリン、君に代わって僕達が道理を説こう」
長身痩躯の男が二人、並び立っていた。
一方は女村長と同年代だろう。
今一人は肌艶が悪い所為か、老人に見えた。
「イーノス!? それに、アーマン様まで!」
共に金髪に近い栗毛を長く伸ばしている。
老いた方の首元には無数の骨で出来た首飾りが。
衣服は上着の袖が長く手が隠れ、一方の手には屋内だと言うのに妙な形の杖を握っていた。
(まるでシャーマンだな)
室内に嫌な香りが漂い始める。
少し前にも、同じ臭いを嗅いでいた。