#007 ボスゴブリン
女村長は新たに鉈を得た。
そして今や、ゴブリンのボスと対峙している。
互いの距離は近そうで遠い。
ボスゴブリンが一歩、また一歩と女村長に近づく。
すると、周囲のゴブリンが声を揃えて吠え始めた。
ゆっくりとした低い声音で。
次第に、吠える間隔が短くなる。
まるで、陸上競技における手拍子の様に。
(……と、思わず見入ってしまったが、助けようにも多勢に無勢。煙幕を張って逃がそうにも、囲まれてる状況ではね)
そうこうする間に、二者の距離が一足の間合い程に。
すると突然、ボスゴブリンは身に纏っていた獣皮を脱ぎ捨てた。
刹那、露になる。
他のゴブリンと一線を画する、筋肉質な体が。
(凄い背筋だ。加えて、尻肉の何という発達具合。ゴブリンと言うか、もう鬼だな。緑鬼。この位置からだと見えないが、腹筋もバキバキに割れているんじゃ無いか?)
案の定、
「くっ……」
腹部に目を向けていた女村長の顔が、見る間に青くなった。
その様子が面白かったのか、ボスゴブリンが更に腹部を突き出す。
周りを囲むゴブリンがまるでやんやと言わんばかりに囃しだした。
(ボスの勝利を確信しているようだ)
俺にはそう感じられた。
分からんでもなかった。
鉈を持っているとはいえ、女の細腕だ。
ボスの発達した筋肉を越えて、内臓に達する致命傷を与えるのは至難の業と思われたからだ。
(これまでの遣り取りを見るに、レベルが高い筈も無く)
となると、急所を狙うしかない。
(首や手首の動脈か)
難しいところである。
(なら、柵の中に戻るか?)
それもまた難しい。
有るかは分からないが、ロープや梯子を出して女村長を救おうとした場合、それがゴブリン側の手に落ちたりでもしたら。
もう目も当てられないだろう。
つまり、最善は女村長がゴブリンのボスを討つことなのだ。
(いや、それしか手立てが無い)
万事休す、である。
と俺が考えている間に、彼女が打ち掛かった。
「あんっ!?」
と言う間に、奪われる鉈。
女村長は背に柵をピタリと貼り付けるまでに、追い詰められた。
(おいおい、どうする気だ……)
俺は思わず小屋の陰から身を乗り出す。
刹那、彼女は「!?」俺を確かに見た。
その間にも伸ばされたボスゴブリンの手。
今にも、女村長の肩に届こうとしている。
「村長に薄汚れた手で触れるな!」
赤毛の女が、柵の上から木桶を投げ付けた。
それは見事にボスの顔を捉える。
思わぬ痛みに一鳴きするボスゴブリン、為した女に対し怒りを露わにした。
「村長、今の内に!」
言い終わる前に、女村長はボスゴブリンの脇を駆け抜けていた。
(上手い連携だ!)
だが、その行く手を一匹のゴブリンが立ち塞がる。
(拙い、捕まる!)
ゲームオーバー、俺は間違いなくそうなると感じた。
そこに、何処からともなく風切り音が。
「ギャ、ギャ……」
気が付くと、行く手を遮ろうとしていたゴブリンの頭に矢が生えていた。
(もしや、爺さんか!?)
俺と同じ様に驚き、周囲を探るゴブリン達。
その隙に、女村長はゴブリンの包囲を抜けた。
そんな彼女の向かう先は——
(こ、こっちに来ただと! 俺にアレを擦り付ける積りか?)
と思いきや、俺が隠れる建物を通り過ぎて行く。
(ビックリしたなぁ、もう。でも、このままなら逃げ切れそうだな)
刹那、
——ゴギャァアアアアアアア!
ボスゴブリンによる耳を擘く吠声。
(うっ!?)
俺は、心臓を鷲掴みされる感覚に襲われた。
そしてそれは、女村長も同じだったらしい。
「ひぃっ……」
彼女は胸を抑えながら、盛大に転んだのだ。
「痛っ……」
と今にも泣きそうな顔をして、足首を摩る女村長。
転んだ拍子に酷く挫いたらしい。
そんな彼女に、ボスゴブリンが軽い足取りで迫った。
「いや! お願いだから来ないで!」
必死の懇願。
だがそれは、
「ギャギャ!」
相手を喜ばすだけに終わった。
ボスは口から溢れ出る涎を手で拭い去ると、女村長の足元に駆け寄ったのだ。
その風に乗って届いたのだろう、悪臭が俺の鼻を突く。
余りの臭さに、鼻がひん曲がるかと思った。
(参ったな。この臭さでは、俺の煙魔法では悶絶させられない可能性が高いぞ)
その間にも事態は推移する。
「や、止めて!」
女村長の上に、ボスゴブリンが今にも圧し掛かろうとしていたのだ。
一対一の鬼ごっこは早くも終盤に差し掛かっていた。
(ん、待てよ? 他のゴブリンは何故来ない?)
見ると、配下のゴブリン達は小路には入らず、遠巻きに見ている。
ボスの邪魔にならぬ様、自制しているのだろうか。
(いや、違うな)
半数以上は周囲の家屋に警戒の目を光らせていた。
(なら、ボスゴブリンの動きだけに気を払っていれば良い)
そのボスゴブリンが女村長に手を伸ばす。
それを、彼女は倒れた姿勢のまま強かに蹴り付けた。
しかし、ボスは気にも留めない。
何度か繰り返し、その度に軽くいなしたかと思うと、今度は逆に蹴り出された足を掴み上げ、
「あっ……」
女村長をひっくり返してみせた。
(鮮やか!)
思わず感心するほどに。
見ていたゴブリン共も同じ思いなのだろう、吠え声が幾つも重なった。
まるで木霊の様に。
(などと悠長に考えている場合ではない!)
既にボスゴブリンは十分な体制を整えていたからだ。
何の? ナニのだ。
そう、とっくに分かっていた。
ボスは女を生きたまま喰らおうとしているのではない、と。
もう一つ別の意で食おうとしていたのだ。
(自然界ではまずあり得ない異種交配。流石はファンタジー、もとい異世界、と言ったところか)
とは言え、女が俺の目の前で暴漢魔に、というかモンスターに襲われるのを黙って見ていられるか? と言うと、否である。
俺は忍び足で、且つ素早くボスゴブリンに近づいた。
建物の影から突然現れた俺に驚く、ギャラリーと化していたゴブリン。
それらが一斉に息を飲んだのが、見ずとも分かった。
次の瞬間、背後から奇声が起こった。
一瞬肩を竦ませ、何事かと振り返るボスゴブリン。
だが既に、俺は一足の間合い内にいる。
後は先の感情をぶつけるかの様に、手斧を振り下ろすだけだった。
「トォ!」
酷く鈍い音が辺りに響いた。
「あ……」
と表現出来なくも無い、妙な声を漏らした女村長。
ボスゴブリンの体から力が急速に抜け、彼女の上に崩れ落ちる。
と同時に、斧が刺さった頭から大量の青い血を噴き出した。
「……い、イヤァーーーッ!」
見る間に女の顔が青く染まる。
それも物理的に。
彼女の衣服もまた、青い体液が盛大に掛かった。
背後からもまた、悲鳴が轟いた。
発したのはゴブリン。
見れば緑色の体に、矢を生やしている。
次に辺りに響いたのは、
「キャー!」
黄色い歓声だった。
「ゴブリンの長を殺ったわ!」
「あの男じゃ! あの男が討ったのじゃ!」
「何者だ!?」
「村では見たこともない者ぞ!」
「あれは黒奴族じゃ!」
「他のゴブリン達が逃げ出したよ!」
「追え!」
「だが、闇雲に追っては危険ぞ!」
「それよりもが村長が心配だわい」
「そうじゃな! まずは村長の下に向かおうぞ!」
俺はそんな声を他所に、
「<ステータス・オープン>」
ボスゴブリンのスタータスを表示してみる。
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名前:
種族:ゴブリン
性別:雄
出身:
所属:
年齢:5
状態:死亡
レベル:5
経験値:121
称号:
ジョブ:
スキル:吠声、悪食
魔法:
体力:0/42
魔力:3/3
力強さ:14
素早さ:8
丈夫さ:7
心強さ:3
運:20
カルマ:24
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うん、最初に倒したゴブリンよりレベルが高いな。
あとは……力強さの数値が大違いだ。
そうこうしている間に、ボスゴブリンの屍は消え去った。
魔石を残して。
俺はそれに手を伸ばした。
その時、彼女は一体何を勘違いしたのだろう。
突然、
「いや、止めて!」
と叫んだのだ。
「襲わないで!」
「え?」
俺、今にもゴブリンに襲われそうになっていたコイツを助けたよな?
直後、
「む?」
俺は背後に只ならぬ気配を感じたと思いきや、
「ぐあっ!?」
後頭部に衝撃を受けた。
「僕のコリンに一体何をした!」
見知らぬ誰かからの、一方的な怒りを浴びながら。
俺はその場に崩れ落ちたのだ。