#042 ヘビースモーカー
俺はゴブリン・ジェネラルに追われた道を駆け戻る。
「こっちで合ってるのか、イーノス!?」
「間違いありません!」
木々に覆われた森の中を、祈祷士イーノスと共に。
彼が見た予知、起こり得る可能性の高い未来を妨げる為にだ。
問題は、相手がゴブリン・キングらしい事。
俺達が死に物狂いで逃げるしかなかったゴブリン・ジェネラルを、幾匹も率いるであろうゴブリンの王だ。
命懸けの戦いどころでは無い。
蛮勇ですら無い。
このままでは無駄死にだ。
ヴァネッサが命の恩人であるとは言え、明らかに無謀だ。
だと言うのに、俺達が向かうのは、
「本当に何とかなるんだろうな!?」
「ええ、僕を信じて下さい!」
イーノスへの信頼が非常に高いからだ。
(頼むぞ、イーノス! 俺はまだ、死ぬ訳には行かなくなったんだからな!)
俺は落ちた枯れ枝を踏み折り、地を這う根を蹴りながら森の中を駆け抜けた。
◇
その頃、四天ヴァネッサの前には無数のゴブリンがいた。
その様子まるで、サバンナの地を埋め尽くしながら大移動するヌーの群が、川を前にしているかの如く。
なのに、彼女は関心を示さない。
ただ、
「<千変万火>」
と口にするのみ。
次の瞬間、夥しい数の火が現れ、二者の間を埋め尽くしたかと思うと、矢を型取りゴブリンを襲い始めたのだ。
木々の合間を縫う様に。
その様はまるで大蛇。
幾匹もの白く輝く大蛇が、競う様にゴブリンを喰らい始めた。
蛇の牙に貫かれたかの様に、火の矢に射抜かれた魔物は地に伏し、やがて霧散する。
「……愛しい人の頼みとは言え、本当につまらない」
ヴァネッサはつい先程までルイ達に見せていた、花の様に咲き誇っていた顔を、今や能面の様に冷たく変えて、そうに口にした。
刹那、
——ゴギャー!
万の火に覆われた先から、数匹のゴブリンが現れた。
それらは、いずれも鎧を身に纏っているだけでなく、白銀色に輝く武器や中には盾を手にしている。
「もしや、ミスリルか?」
女神の顔が、再び咲き始めた。
「少しは楽しめそうだな」
そして、
「<炎よ>!」
炎の波がゴブリンを襲う。
それにより、前に出ていた数匹のゴブリンが消えた。
残るは、
「貴様、随分と禍々しい鎧を着ているな。もしや、統率者か?」
ゴブリン・キングとその左右に侍るゴブリン・ジェネラルだけとなる。
「おや、片腕が無いな? どこぞに忘れて来たのか?」
束の間、女神と王の視線が交わった。
「燃やし尽くせ、<炎獄>!」
——ゴギ!
眩い光が柱となって空を貫く。
その輝きは、離れた場所を駆けるルイ達の目にも映った。
◇
突如現れた光の柱。
それから発せられたであろう熱が、俺の肌にまで届く。
間違いない。
ヴァネッサとゴブリン・キングが矛を交えたのだ。
「イーノス!」
「ええ、急ぎましょう!」
俺達は光の柱を頼りに、矢の如く走った。
やがて、不自然に出来た広場突き当たる。
そこは、生えていただろう木々は消し炭となり、地面は焦土と化していた。
そして、目鼻を突き刺す悪臭。
正に、
(この世の地獄……)
である。
「うっ……」
俺はハンカチを取り出し、口鼻を覆った。
イーノスもまた、腕で庇う仕種を取った。
そんな場所であるにも関わらず、動く者の姿が有る。
それは……
「ヴァネッサ様!?」
「待て、イーノス! 迂闊に近づくな! まだ魔物が健在だ!」
地に倒れ伏し、肩で大きく息する女神と、腕の無い側の半身が焼き爛れるも、それ以外のダメージが見て取れないゴブリンであった。
(な、何と言う、存在感。ゴブリン・キングか? あんな化け物と女神は戦ったと言うのか……)
そのヴァネッサは上半身を起こそうとするも途中で力尽き、
「ま、魔力切れ……だと……」
仰向けに倒れた。
ゴブリン・キングはそれを見届けた後、焼け爛れた方の足を引き摺りながらヴァネッサへと近づく。
その口元からは涎が溢れ出ていた。
(こっちに見向きもしない)
もしかして、俺達に気付いて無いのか?
いや、警戒する程でも無いからだろう。
力の差が有り過ぎてな。
なら、どうする?
こんな時は……
「ルイ君」
「何んだ? 良い手でも思い付いたか?」
「僕が囮になります。その間にヴァネッサ様を……」
「無理だな。アイツは俺達を歯牙にも掛けていない。俺やお前が行く手を阻んだ所で、アイツの歩みは止められない」
「で、ではどうしろと!?」
一つだけ良い手が浮かんだ。
「俺に考えがある」
俺はイーノスに考えを伝えた。
「それでは、ルイ君が一番危ない目に!」
「なら、他に案があるか?」
「……浮かびません」
と答えたイーノスが唇を噛む。
血が少し、滲んでいた。
「なら決まりだ。ヴァネッサ様を任せたぞ!」
俺はゴブリン・キングの前に立ち開かる。
剣を中段に構えて。
イーノス対して「無理だ」と言い放ったと言うのにだ。
——ギギ
ゴブリン・キングは鼻で笑うも、足を止めない。
片足を引き摺る音だけが、森に響いていた。
やがて、ゴブリン・キングが俺と目と鼻の先に迫る。
「や、やばい。し、死ぬ。殺される……」
(足を震わせろ! 殊更情け無い顔をしてみせろ!)
手にする剣を震えながら上段に構えた。
(お前は俺と剣、何方が気になる?)
ゴブリンの目が剣を追った。
(そうだ、それで良い!)
それだけでなく、
——ゴギャ!
真似したのか、一本しか無い腕を振り上げた。
(遊んでやがる……)
思った通りだ。
羽虫を払うのに、全力を出す訳が無いからな。
その直後に、
「<奇跡を>!」
イーノスの祈りが辺りに轟く。
と同時に、
——ギャギャ!?
ゴブリン・キングの足元が大きく崩れ、その体がストンと落ちていった。
口を大きく開け、目を剥きながら。
(掛かった!)
そう、落とし穴である。
俺はイーノスに、人喰い熊の穴ぐらを封鎖した様に、祈祷魔法で地中に穴を掘らせたのだ。
問題は穴を設ける場所だった。
が、それは俺が立ち開かる事で解決する。
いくら俺が、ゴブリン・キングにとっては虫ケラ以下の存在だとはいえ、殺す時にはその前で足を止めるだろうからな。
思った通りに、奴は足を止めた。
後は、手筈通り、である。
「やりましたか!?」
そう叫んだのはイーノスだ。
だがそれだけは、口にしてはならなかった。
(ちょっ、それフラグ!)
案の定、落し穴に落ちる最中に、ゴブリン・キングの振り上げていた拳が俺の足首を掴んだからだ。
——ゴギャーッ!!
次の瞬間、
「グアッ……」
俺はどうやられたのか、焦げ付いた大地に打ち据えられていた。
「う、ううう……」
更にはそのまま背に飛び乗られ、首にゴブリンの汚らしい腕を回されそうになる。
俗に言う、馬乗り固めだ。
このまま俺の首は捥がれるのだろうか?
「いけない!」
イーノスが叫んだ。
すると、土の中から木の根が現れ、ゴブリン・キングに向かった。
(祈祷魔法か!)
だがそれは、
——ゴギャ!
の一声で力無く落ちた。
それどころか、
「ま、魔力が……」
イーノスまでもが、その場に倒れ込んだのである。
(な、一体何が!?)
答えは意外な者が教えてくれた。
「ま、<魔力吸収>だ」
女神だ。
彼女は、目に見える肌と言う肌に、玉の様な汗を浮かべていた。
「こいつは……そのスキルで私と祈祷士の魔力を奪い取り、身動きを封じたのだ」
それは、魔法使いを封じる最善手である。
つまり、このゴブリン・キングは<魔術師殺し>でもあったのだ。
(そ、そんな……)
俺の魔力もか?
いや、全身を激痛が襲ってはいるが、イーノスの様に突然気を失う程ではない。
と言う事はだ、俺の魔力は吸われていない。
(何故だ?)
そう思った瞬間、ヴァネッサの手に光が点る。
彼女は、小さな火矢を指先に現したのだ。
輝度は限りなく低い。
色も温度の低い、暗赤色である。
(あんな火矢しか。あれで攻撃しても、また魔力を吸収されたら意味が……)
(待てよ。何故イーノスの魔力は吸われ、俺の魔力は残っている?
(イーノスよりも俺の方がゴブリン・キングに近かったと言うのに)
(考えろ、そこに答えが有る!)
(もしや……魔法で攻撃したから吸われたのか? だから、魔法で攻撃していない俺の魔力は未だ残っているのか?)
(しかし、二度続けて吸収された筈のヴァネッサは、今指先に火の矢を灯している)
(……普通に考えれば、自然回復したからだ)
(つまり、吸収対象にするには条件が有ると言う事。しかもそれは……)
(俺の考えが正しければ、何とかなる。策も閃いた)
(だが問題は、俺にアレが出来るかどうか。いや、やるしか無い!)
俺は決意した。
それを感じとったのか、ヴァネッサの火矢が輝度を増していく。
——ギギギ
ゴブリン・キングが含み笑いした。
かと思うと、
「実二オロカ。コノ程度ガ人族最強、四天ト呼バレシ者ナノカ」
驚いた事に、人語を喋ったのだ。
女神の口が、顎が外れたかの様に開かれる。
それを目にしたゴブリン・キング、大口を開けて笑い出した。
その隙を逃す俺では無い。
俺は自身の背に跨るゴブリン・キングの口元へ手を伸ばし、
「<煙よ>!!」
渾身の力を込め、魔法を発した。
それも、ヴァネッサがして見せた様に指先から。
いや、指先から少し離れた場所、魔物の口内だ。
そこから、一気に煙が噴出する。
まるで、何本ものタバコを咥えた、重度の喫煙中毒者の様に。
——ギギャァ!?
口の中が煙の熱で焼け爛れていく。
だからなのか、それとも煙の臭いの所為か、ゴブリン・キングは顔を抑え、暴れ始めた。
その様子は正に七転八倒。
そこにヴァネッサの、
<貫け>
火矢が無慈悲に襲う。
「今度こそやったか!?」
先程迄の動きが嘘の様に、ゴブリン・キングの動きがパタリと止まった。
いやよくよく見てみると、四肢が小さく痙攣している。
(今ならステータス・パネルを……いや、止しておこう)
やがて痙攣も収まり、やがてゴブリン・キングの屍は消えた。
「倒した! 統率者を倒したぞ!」
とヴァネッサが力強く宣言した。
それを耳にした途端、俺はイーノスの下に駆け寄る。
体が自然と動いたのだ。
そして、倒れたままの彼を助け起こした。
「イーノス! 倒したぞ! だから、もう起きろよ、イーノス!」
イーノスの目が細く開いた。
「……うわっ!? なんだ、ルイ君じゃないか。一体何事で……あぁぁ!?」
「思い出したか?」
「ええ! つまり、あの魔物を倒したのですね?」
「ああ、ヴァネッサ様が倒して下さった!」
「いや違う」女神が微笑んだ。「ここにいる我ら三人が、あの怪物を倒したのだ」
女神が腕を大きく広げた。
俺とイーノスはそれに吸い込まれる。
まるで旧来の友の如く、互いを抱擁し合ったのだ。
そこに、
「ヴァネッサ様発見! 御無事です! それに、祈祷士様も健在!」
共にゴブリン・ジェネラルから逃げた斥候の兵士が現れる。
「おい、マシュー。俺は?」
「煙使いも健在?」
「なぜに疑問符?」
「いや、どう見てもボロボロだから……」
「言った通りに、治療士を連れて来てくれたんだろ?」
「勿論! ヴァネッサ様が待っていると伝えたら、腕利きを寄越して下さったよ!」
「だろ?」
こうして、死線を彷徨った、戦いの終わりが告げられたのであった。