#041 ブレイザー
「喫煙者?」
誰かが問うた。
「魔法の煙で狼煙を上げた者だ」
女神以外の視線が、俺に注がれる。
「お前か」
女神が一歩俺に近づく。
すると、何故かイーノスが、俺と女神の間に割り込んだ。
「命を助けて頂いた上で大変失礼なのですが、貴女様の御名は? あぁ、重ね重ね失礼を。私の名はイーノス、祈祷士に御座います」
女神は一瞬目を丸くしたかと思うと、軽く微笑む。
「オォ……」
誰かがその笑みの余りの神々しさに息を漏らした。
「そうだったな。だが、戦場故に手短にさせて貰おう。私はヴァネッサ。火炎使いだ」
「炎使いのヴァネッサ……もしかして、四天のヴァネッサ様!?」
「知っているのか、マッシュ?」
「マシューです」マシューは自らの名を訂正し、先を続ける。「知っているも何も……」
だが、女神が遮った。
「ああ、そのヴァネッサだ」
「なら、先の矢は?」
「ただの<火矢>だが?」
(火矢……つまり火魔法? 俺の煙魔法と全然違う! 何をどうしたら、あの様に操れるんだ?)
「おお、あれがヴァネッサ様の……」
(それに、実体の無い火で頭蓋骨を貫通? 有り得ないだろ……)
俺の疑問をよそに、イーノスが話を進めていた。
「ヴァネッサ様が何故この様な場所にいらっしゃるのですか? 確か、遊撃の任に就かれたと耳にしましたが」
「とある者に頼まれてな。時に隊長の、エルマとやらは何処にいる?」
皆、途端に口を噤んだ。
「もしや、死んだか?」
誰も答えようとしない。
「こう見えても急いでいる身なのだがな?」
雲が太陽を隠す様に、女神の美しい顔に影が差し始めた。
堪らず騎士ミランの従士オルテガが、
「実は先の魔物との戦闘に際し、エルマ様は……」
戦意を喪失、見かねた従士の一人が彼女を抱えて帰還したと告げた。
「一度ならず二度までも、か。領主嫡子の婚約者候補筆頭であると伝えられたから、事のついでに助けに来たのだが……。終わったな」
女神がそのご尊顔を曇らせる。
どうやら、利害関係のまるで無さそうな女神すら落胆してしまう程の、致命的な失態を女騎士は犯したらしい。
(彼奴からは嫌な言葉を散々投げ付けられたが……婚姻が破談になると言うなら、流石に同情を禁じ得ないな)
「時間が惜しい」女神の顔が切り替わった。「私はこのまま敵陣深く切り込み、統率者を討つ。お前達はこのまま野営陣地に戻れ。務めは十分に果たしたと、私が口添えしよう」
「助かります」
とイーノスが答えた。
「では、また会おう」
女神が手を掲げる。
俺達もまた手を振り返そうとしたのだが、女神の姿は既に無かった。
「……言葉に言い表せない程、凄かったな」
色々と。
「ええ、本当に」
少し離れた所に居る兵士と従士もまた、興奮冷めやらぬ様子だ。
「四天のヴァネッサ様! 初めてお目に掛かれた!」
「エルマ様の従士になって、この日ほど胸の高鳴りが抑えられない時はありません!」
だが待て。
そもそも俺達は、もっと喜ばしい事があったじゃないか。
「おい、お前達! 気付いてるか!?」
「何をです?」
「あの絶望的な状況から生き残れた事をだ!」
「確かに!」
「それもこれも、全てイーノス殿のお蔭で御座います!」
「ええ、イーノス様の〝予感〟に助けられました!」
「正にイーノス様は命の恩人!」
そう、イーノスが道を指し示してくれなければ、今頃は化け物に喰われていた。
故に、
「イーノス万歳!」
「祈祷士様、万歳!」
「イーノス様に、神の祝福を!」
俺達はイーノスを中心として、輪になって抱き合った。
つい先日まで非人とまで蔑まれていた俺を含め、従士兵士の身分を差を忘れて。
喜びを爆発させたのだ。
ただ一人、再び青い顔をし始めたイーノスを除いて。
「どうした、イーノス。お前も一緒に喜ぼうぜ」
俺が誘うも、彼は焦点の合わぬ目で虚空を見つめながら、
「い、いけない」
と呟いた。
「ん、何が?」
「ヴァネッサ様! そちらに行かれてはいけない!」
「……祈祷士様?」
「ヴァネッサ様がどうされたと言うのだ?」
「イーノス! おい、イーノス! しっかりしろ!」
俺がイーノスの体を揺さぶると、虚ろだった彼の目が正常に戻る。
それが、俺を捉えた。
「ルイ君! ヴァネッサ様が大変な事に!」
続いて、気が触れたかの様に喚き始めた。
「落ち着け、イーノス! 一体、何を見たんだ?」
「これが落ち着いていられますか! ヴァネッサ様が、ゴブリンの王の慰み者にされてしまうのですよ!」
ゴブリンの王って、もしかしなくてもゴブリン・キング?
ゴブリン・ジェネラルよりも当然強いよな?
名前からして間違いない。
俺が相手では、手も足も出ないだろう。
だがな?
「ゴブリン・ジェネラルをただの火矢で屠れる女神……ヴァネッサ様がゴブリンの王如きに負ける訳が無い」
「いえ、負けてしまわれます!」
「何でそう言いきれる? もしかして、予感か?」
「いいえ、違います!」
違うのか。
俺は安堵した。
だが、次の瞬間には危機感を否応無しに煽られる事に。
「予知です!」
「予知ですと!?」
「知っているのか、従士オルテガ?」
「ええ。予知とは高位の祈祷士のみが得られるスキルです!」
「と言う事は……」
俺はイーノスの手首を掴み、
「<ステータス・オープン>!」
————————————————————
名前:イーノス
種族:人族
性別:男性
出身:ローダンテ
所属:タリス
年齢:18
状態:健康、興奮
レベル:10
経験値:910
称号:
ジョブ:祈祷士
スキル:予知、予感、荷箱、不幸耐性、空腹耐性、疲労耐性、生活、心労耐性
魔法:祈祷魔法
体力:15/47
魔力:20/28
力強さ:13
頑丈さ:30
素早さ:10
心強さ:28
運:54
カルマ:61
————————————————————
以前、イーノス自身がレベルは三だと言ってたよな?
僅か数日でレベル十にまで上がっただと!?
そして何よりも注目すべき点が、スキル欄に<予知>がある事だ。
「決まりです!」
イーノスの鼻息がますます荒くなった。
まるで胃の腑に燃え盛る薪があるかの様に。
無理やり蓋をしたら、その火は消えるのだろうか?
(……無理だな。その類の熱では無い)
ならばと、俺は熱を一秒でも早く吐き出させる。
「何がだ?」
「僕の見たものが、現実になると言う事がです!」
「つまり?」
「僕とルイ君が、ヴァネッサ様を救いに向かう事がですよ!」
「何故そうなる? 俺とお前の姿が予知で見えたのか?」
「違います! 見えたのはヴァネッサ様が辱めを受けている姿です!」
「じゃぁ、俺達が行っても助けられるとは限らないだろ?」
そもそもだ。
ゴブリン・ジェネラルに為す術なく弄ばれたのだから。
より上位であろうゴブリン・キング相手に、囚われの身となるであろう女神を救い出せる筈も無い。
だと言うのに、
「そうすべきだと、僕の予感が言ってるのです! 僕達が向かえばヴァネッサ様は助かる、と!」
とイーノスが断言する。
「お、俺も行く!」
「わ、私も……」
兵士マシューと従士ガイアが競うかの様に手を挙げ出すも、
「待て!」
と俺が声を張り、やめさせる。
その上で、
「助けに行くのは、俺とお前だけなのか?」
イーノスの目を俺は覗き込んだ。
「はい。僕の予感が告げます」
「それが〝最善〟な予感か?」
「ええ、他の誰一人傷付かない、最良の結果を約束します!」
なら仕方がない。
「従士オルテガ!」
「お、おう!?」
「俺とイーノスだけで女神ヴァネッサを救出に向かう」
「し、しかし、お前達だけでは……」
「最良の結果を得る為だ。仕方がない」
「ですが!」
と兵士マシューが叫んだ。
「分かってるって。だからこそ、お前達に頼みがある」
「な、何だ? 何でも言ってくれ!」
「それは……」
俺は彼らに告げると、
「本当に共に行ってくれるのですか?」
二手に別れた。
「今更それ言う?」
「すいません。思わず口にせずとも良いことを……」
「助けられるなら、行くしか無いだろ!」
名を知る人が傷付き、その結果何処かの誰かが悲しむ。
そう考えると、もう足を止められない。
それが俺の、性分、なのだから。