#019 風前の灯火
爺さんが敵の矢に倒れた。
三百歩離れた場所にいる敵を<気配察知>出来る筈なのにだ。
俺はその事実を、深い煙の中で反芻する。
恐らく、相手は<気配察知>を逃れるスキルか何かを有するのだろう。
(キリクがそんな感じのを持ってたな。確か、<気配遮断>だ)
<気配察知>と<気配遮断>。
ゲームでは、レベルやスキル熟練度の高い方が優先される。
つまり、矢を射込む敵はシド爺より能力が高く遣り手、と言う訳だ。
ゴブリンなのに?
いや、ゴブリンなのか?
それすらも分からない魔物と、俺はこれから対峙しなければならない。
俺は腕の中で、
「儂を……捨て……置いて……行け……。じゃが、む、村にだけは…………も、戻ってくれる……な……」
と血反吐を吐きながらうわ言を繰り返す爺さん。
彼は必死に、鼻と口を手で覆おうとしている。
そんな彼を、俺はじっと見つめた。
(煙が……いや、それを発生させた俺がそんなに臭いとでも?)
な訳ないか。
俺が村に逃げ込んだ結果、村の場所がゴブリンに知られるのが嫌なのだろう。
手は……声が響かぬ様にしているのだ。
そんな事よりもだ。
問題は背中に刺さった矢と傷口からの出血だな。
俺は爺さんを地面に降ろした。
細心の注意を払い、傷口がこれ以上開かぬ様にと。
(さて、どうする?)
ここに放置すれば、間違いなくシド爺は事切れる。
この爺は、非人だからと言って酷い扱いをしてくれた張本人。
一方で、偶然出会い人里まで導いてくれた第一異世界人でもある。
なので、何となく見捨てられない。
煙の外には決して相容れぬ敵であるゴブリン。
弓矢を構え、獲物を今か今かと待ち構えている。
(さぁ、どうする、俺?)
いや、
「フッ」
やるべき事は決まっていた。
ただ……
(落ち着け、俺。こういう時は問題を一つずつ、且つ速やかに対処しろ)
順番の問題だ。
俺は先ずはと、爺さんを俯せに寝かせ、刺さっている矢を思い切り良く引き抜いた。
「グアッ!?」
血が勢いよく溢れ出る。
その所為なのか、爺さんは気を失った。
(し、死んでないよな? ステータス・オープン。うん、状態はまだ重体だ)
急げよ、俺。悠長にしている暇など無いのだから。
俺は岩肌から回復苔を採取し、傷口に練り込む。
これで応急処置になる筈だ。
俺の靴擦れも立ち所に治ったからな。
で、次の問題は射手をどうするか、だ。
この間、相手に動きは無かった。
(撤退したか?)
いや、そんな筈は無い。
向こうの方が圧倒的に有利なのだから。
それに、射手のいる先には村がある。
どうにも存在が邪魔だ。
(ではどうする?)
俺は煙が薄くなりつつある周囲を見渡し、打開策を模索する。
手近にある物と言えば、爺さんの弓矢に狩猟用ナイフ。
それに俺の手斧と短剣、長槍、長剣、短剣数本だ。
ああ、気絶したままのゴブリンも居たな。
今や口から白い泡を吐き出し、痙攣しているがな。
引き寄せステータスを見てみると、状態が呼吸困難に変化していた。
(気絶したまま泡を吹くなんて、無茶しやがるから……)
だが、瀕死には非ず。
ならば、これを用いよう。
俺はゴブリンを長槍の先に吊るし、右手一本で腰だめに構えた。
(くっ、流石に重いか……)
だが、ギリギリ何とかなる重さだ。
いくら小さいとはいえ、小学校高学年程度の身体つきをしているのにな。
ステータス〝力強さ〟が上がった影響だろうか。
一方の左手には長剣を握った。
これで準備万端。
後は、更に煙幕増量とばかりに——
「<煙よ!>」
くっ、い、硫黄臭い! は、ハンカチ! だぁ、両手が塞がってる!?
い、痛い! 目が痛い! 思わず目が霞む程に!
だが、ギリギリ堪えられる!
そして、俺は射手が潜んでいるだろう方向に向かって、脱兎の如く駆け出した。
——ヒュンッ!
煙から出た途端、風切り音が森に鳴り渡る。
直後、俺の右腕が衝撃を感じた。
槍先に吊り下げられたゴブリンに、矢が刺さったのだ。
「お、重っ」
言葉とは裏腹に俺の口が歪む。
射手のいる方角が大凡分かったからだ。
走る角度を修正し、更には速度を上げる。
と、同時に、
「<煙よ!>」
この日三度目の魔法を発した。
煙は再び、俺を起点とした円状に広がり始める。
向かう先から、呻き声が微かに聞き取れた。
俺は更に速度を上げた。
槍先のゴブリンに二の矢、三の矢が次々突き刺さる。
が、俺は槍を支えする腕の力をこれでもかと力を込めた。
やがて、
「見つけた!」
煙の先に短弓を構えたゴブリンの姿が。
二本の矢を右手に持ち、内一本を弓に番え、今にも放てる構えをとっていた。
「うぉおおおおお!」
俺は最後の力を振り絞り、大地を蹴る。
矢が放たれた。
それは吊り下げられたゴブリンの頭を穿った。
が、俺は気にしない。
「このまま貴様も貫いてやる!」
だが、これは悪手だった。
槍先に吊り下げていたゴブリンが、突然霧散したからだ。
先の頭部に対する一撃で即死したのだろう。
「うぉ!?」
突如支えていた重みが消え、槍先が天を突く。
その隙を、射手のゴブリンは逃さない。
今一つ手にしていた矢を素早く番え、俺に向けて放ったのだ。
——絶体絶命!
俺自身、そう思った。
ゴブリンの矢に貫かれ死ぬ、と。
だが、俺の積み重ねた経験がそんな結末を許さない。
左手で握り締めていた長剣の、鎬に相当する箇所で迫る矢を萎やし、軌道を逸らすと同時に、
「とぉおおおおおお!」
突き入れたのだ。
「ギャ……ギャ……」
訳すなら、そんな……馬鹿な……、だろうか。
胸部を貫かれた射手のゴブリンは目を見開き、血を吐きながら崩れ落ちる。
俺はそんなゴブリンに屈み込み、右手を伸ばした。
勿論、互いの健闘を讃え合う為では無い。
他にも居るかも知れない射手から狙われ辛くなる様にと身を低くしつつ、
「<ステータス・オープン>!」
したかったのだ。
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名前:
種族:ゴブリン
性別:雌
出身:
所属:
年齢:6
状態:瀕死
レベル:5
経験値:183
ジョブ:レンジャー
スキル:悪食、弓術、短剣術、解体術、臭覚鋭敏、気配察知、気配遮断、奇襲
魔法:
体力:1/48
魔力:5/5
力強さ:16
素早さ:10
丈夫さ:8
心強さ:4
運:12
カルマ:23
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(ゴブリンが職に就いてる、だと……)
それもレンジャーに。
如何にも、猟師や狩人の上位職っぽい。
つまり此奴は、ゴブリン・レンジャー、って所か。
だが、当初の確認点である名前と所属は空欄だ。
(これは……どうなんだ?)
〝魔王の復活〟とやらの証拠にはなら無いかもな。
(そんな事よりもだ)
この場で暫く様子を窺おう。
まだ伏兵がいるかも知れないからな。
だが、新たな攻撃受けるどころか、他にゴブリンが居る気配すら感じられなかった。
俺と爺さん、二人掛かりの生き餌に食い付いたのは、都合六匹のゴブリンだけだったらしい。
その内の一匹がゴブリン・レンジャー。
奇襲スキルを有していた。
強敵だった。
もう二度と戦いたくと思える程に。
因みにだが、そのゴブリンから出た魔石はと言うと、
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名前:ゴブリンの魔石
価値:8
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苦労した割には低い。
しかも、ゴブリン・レンジャーの魔石、とも出ない。
非常に残念な結果である。
ま、種族がゴブリンのままだったからなぁ。
当然と言えば、当然なのかも知れない。
しかし、もうそんな事はどうでも良い。
調査は中止だ。
何故ならば、現場責任者である爺さんが重傷を負ったからだ。
いや待てよ。
俺の一存で中止にすると、村の奴らが約束を違えるかも知れない。
ならどうする?
折衷案と言う感じで安全圏である村の近くにまで退き、爺さんが目覚めるのを待つか?
「うむ、それが良い」
となれば、先ずは戦利品の確保と確認だ。
特にゴブリン・レンジャーの残した武具。
「この黒い弓矢は、如何にも何かありそうじゃないか」
ステータスを確認する。
出たのは、
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名前:ゴブリンの短弓
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「……そのまんまだな」
ちなみに、矢の方も「ゴブリンの矢」であった。
「一応持って帰るか」
何かと物々交換出来るかもだしな。
戦利品の回収を終えた俺は、未だ意識の戻らぬ爺さんを戦利品と共に背負子に乗せた。
「さて、行くか……とその前に」
やり忘れていた事を思い出す。
それは、
「<ステータス・オープン>」
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名前:シド
種族:人族
性別:男性
出身:カリトス
所属:タリス
年齢:66
状態:気絶、貧血
レベル:6
経験値:148
称号:タリス村元村長
ジョブ:猟師、村長、弓士、村人
スキル:解体術、気配察知、気配遮断、村民設定、弓術、生活、空腹耐性
魔法:
体力:10/48
魔力:4/4
力強さ:20
頑丈さ:9
素早さ:10
心強さ:4
運:52
カルマ:68
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おお、もう怪我が治ってる。
流石は、俺の靴擦れを一瞬で治した回復苔の効能。
そう、俺は状態を確かめたかったのだ。
決して、爺さんに黙ってステータスを見たかった訳では無い。
気になるスキルが散見されるがな。
さて、見るべきものは見たし、爺さんも動かせるみたいだし、そろそろ行くか。
俺は来る時に自身が付けた、足を引き摺った跡を頼りに村へと向かった。
大太陽が中天に昇り切る直前、つまり正午近く。
俺は村の近くの森の外れに辿り着いていた。
背負子から爺さんを降ろす。
すると、頃合いを見計らっていたかの様に、
「ん、んん………………こ、ここは何処じゃ?」
爺さんの気が付いた。
「村に近い、森の外縁部だと思う」
「な、何じゃと!?」
顔を蒼褪めさせた爺さんは、産まれたての子鹿の様にガクガクした足で立ち上がろうとした。
「落ち着けシド爺、まだ立ち上がるのは無理だ」
「チッ、ヌシにこんな醜態を見せる破目になるとは。で、一体何があったのじゃ?」
「覚えてないのか? 五匹のゴブリンを間引いた直後、俺の前に現れた爺さんは隠れていたゴブリン・レンジャーに背後から射掛けられたんだぜ?」
「何? ゴブリン・レンジャー?」
「ああ、俺が便宜上そう名付けたが、実際はただのゴブリンだ。ただし、ジョブに〝レンジャー〟と記されてたけどな」
「レンジャー? レンジャーとは何じゃ?」
「猟師や狩人の上位職だな」
「それが、レンジャー、じゃと?」
俺は頷き返した。
「ま、間違いない」
爺さんの声は震えていた。
「何が?」
「魔王の復活がじゃ」
「何で?」
「何故分からんのか!?」
「知るかよ!」
ま、この世界の常識が無いからじゃないの? とは思うがな。
「今までジョブを有する魔物だと、一匹たりともおらなかったからじゃ!」
ほらな。
て事はだ。
「村は、タリス村はお終いやも知れぬ……」
異世界三日目にして、最初の村は存亡の危機に。
俺の命運は風前の灯となった。