#010 イーノスとアーマン
老シャーマンが、
「入るぞ」
とだけ言い放ち、部屋の中に足を踏み入れる。
途端に、部屋の温度が数度下がった気がした。
その後に若い方も続く。
「村長、その者の前を空けよ」
老シャーマンの鋭い声には、有無を言わせぬ力があった。
「あ、アーマン殿……」
見かねたシド爺が何かを口にしようとするも、
「年寄りは黙っておれ!」
石をぶつける様に言う。
シド爺は目を見開き、ワナワナと震えるも腰を下ろした。
(何だコイツ。随分と偉そうな奴だな)
それが俺の率直な感想だ。
老いた方が俺の前に腰をおろし、踏ん反り返る。
若い方がその隣に座し、口を開いた。
「僕の名はイーノス。横に居るのは父であり……」
親子か。
どおりで良く似ていると思った。
髪型なんて、二人共某映画に出て来るエルフにそっくりだもんな。
「祈祷士の師でもあるアー……」
刹那、
「イーノスは黙っておれ!」
と老シャーマンによる一喝。
(こぇー)
などと思っていると、その矛先が俺に向いた。
「非人、このアーマンが裁定に異を唱えているそうだな」
「(何!? と言うことはコイツが俺から全てを奪おうとする元凶か?)お前が俺の……」
と口を開いた途端、目にも留まらぬ速さで振り抜かれた杖が俺の額を打った。
鈍い音が部屋に響く。
頭の中に火花が散った。
「ぐあっ!?」
「父さん!」
「アーマン殿!?」
「非人は問われた事だけを答えよ!」
俺は頭を抑えながら、
(ば、馬鹿な。まるで反応出来なかった……)
一人愕然としていた。
「今一度問う。貴様は裁定に不服があるのか?」
「ふざけ……はがっ!?」
答えだけを口にしても打たれる。
一体全体、俺が何をしたと言うのか。
「非人は黙って受け入れよ!」
何と言う理不尽。
俺の心の奥底で、怒りの炎がメラメラと燃え出した。
「何だその目は!」
と言いながら今一度杖を振り被った、正にその瞬間、アーマンが激しく咳き込み始めたのだ。
まるで、今にも死にそうな勢いで。
「父さん!」
「アーマン殿!」
「アーマン様!」
「アーマンザマァ!」
つい本音が出てしまった。
「……ゲホッ、ゲホッ、お、おのれ〜」
紫色に変色した顔の老人に睨め付けられる。
だが今は何一つ恐ろしく感じなかった。
「父さん! ここは僕にお任せを! コリン、シドさん、父さんをお願いします!」
「イ、イーノスゥゥウウウ!」
と部屋の隅に引き摺られていった父親に変わり、俺の前に折り目正しく座したイーノス。
「改めて、僕の名はイーノス。この村の祈祷士を継ぐ者です」
仕切り直しする積もりらしい。
このまま進めるべきか、席を立つか、それが問題だ。
(とは言え、俺は背に腹を変えられない身。仕方がない、か)
「魔石の件ですが……」
おっと、そうはいくか!
「その前に、村の祈祷士とは?」
「やはり、知りませんか。人が集う場所では自ずと問題が起きる。それらに対処するのが僕達祈祷士なのです」
へぇー、裁判官みたいなものかな?
「時に、〝クラウチ〟が君の属する部族名ですか?」
「(部族名では無く家名だ! と訂正するのも面倒か)……まぁ、そうだ。ルイが俺個人を示す」
「やはりそうでしたか」
「納得頂けて何よりだ」
「それにしても、死の山を越えてこちらまで来られたのは大変だったでしょう。特にあの山の火口は古竜の寝ぐらですから」
「(何が、「それにしても」なんだ?)……ああ、まさかこの世にあれ程大きく、あれ程恐ろしい生き物が存在し得るとは思いもしなかった」
もっとも、火口を囲む尾根から森へと降りる際に、遠目に見た程度だがな。
「ああ、成る程」
「……何が?」
「いえ、こちらの話です。お気になさらずに」
そう言われると、逆に物凄く気になるがな。
「時に、古の森で魔石を幾つか得たとか」
来たな。
一体どんな論法で俺から魔石を巻き上げるのやら。
「ああ、森で得たのは全部で十個。ステータスを見たら分かる様に全てバンパイア・モスからだ」
「存じてますとも。その後、シド元村長と森で出会い、村に一番近い丘にまで連れられた」
「その通りだ。付け加えるなら、森で俺が仕留めた熊と、その熊が屠った猪を橇で運んでな」
「そして、村の危機を察知したシド元村長と別れた」
「ああ」
「その際、シド元村長は何か言いませんでしたかな?」
「ここでお別れだ。畑を抜けた先に道があり、それを辿れば他の村がある。そこに向かえ、と言われたかな」
「なのに、貴方は村の門を潜った。何故でしょう?」
「出会ったばかりで変だとは思うが、シド爺の身が心配だったのだ。門の中に転がるゴブリンの死骸と、奥から届く喧騒、それに立ち昇る忌々しい煙を目にして尚更な」
「だから、村に入ったのですか」
「そうだ」
「誰の許しも得ずに」
「門番など一人も居なかったかぞ?」
「だからといって、勝手に入りますでしょうか?」
「んん?」
何を言い出すんだこいつは?
「例えばですが、黒奴族である貴方にも家、ああ、洞穴の類ではありませんよ、壁と屋根で仕切られた家屋の事です、があるとして、中には誰も居りません。そこに顔も名前も知らない者が勝手に入ったなら、貴方は許せますか?」
イーノスは微笑みながら一息に言い放った。
それも極論を。
そっちがそう来るなら……
「状況による。家主が知らなくとも家人の一人と顔見知りで且つ、家に物盗りがいる状況ならば許されて然るべきだ」
冷静に答えているつもりが、背に嫌な汗を覚えた。
「ええ、そうでしょう、そうでしょう。今回の場合、家主は村の代表たる村長と言う事になるのでしょうか」
やられた。
家主を村長の立場に置き換えられたら、人扱いされない俺は……
「聡明な村長なら如何なる状況であろうとも、非人の許しなき入村は大問題と感じる。そうだろう、コリン?」
イーノスの問いに、女村長は小さく頷き返した。
「それに、火事場泥棒と言う言葉も有ります」
目を糸より細め、頬を緩めるイーノス。
その表情を目にしただけで、俺はイラッとした。
だと言うのにだ、彼は事もあろうに……
「……待て、その懐から取り出した筒で何をする気だ?」
「これですか? さて、何だと思います?」
筒の先端に乾いた草を入れたかと思うとそれに火を点け、筒の反対側から煙を吸い始めたのであった。
そう煙草だ。
俺が最も嫌悪する代物だ。
嫌な臭いと、その元である煙が部屋を満たしていく。
頭に血が昇った所為か、俺は再び頭痛を覚え顔を歪めた。
決して、目の前の親子による謂れなき中傷や非人扱いに激情したからではない。
俺は一つ深呼吸を入れ心を落ち着かせてから、口を開いた。
「貴様!」
おっと失言。
いや、思った以上にムカついてたので仕方がない。
隅の方で、老いた方まで煙草を吸い始めてるしな。
「言った通りだ。非人など、所詮はこの程度よ」
この老シャーマンの言い様。
まるで俺が、お前らの術中にまんまと嵌ったみたいだ。
……嵌ったのか?
「漸く本性を見せましたか。コリンが、非人が村の恩人だと妙な事を言うから、余計な手間を掛けさせられましたが」
女村長を信じろよ!
「やはりあの時、手加減するのでは有りませんでした」
「……あの時?」
イーノスとやら、何だよ、あの時って。
「覚えていないのですか。貴方が一際大きなゴブリン倒した後の事です」
……俺があのボスゴブリンを倒した?
「コリンの腰が抜けているのを良い事に、襲おうとしていましたよね? 僕はその際に発せられたコリンの悲鳴を聞き駆け付け、貴方の頭を後ろから打ち据えたのです」
何だと!? 本当に俺があのゴブリンを!?
加えて、事実なのか? あんな状況下で俺が女村長を襲おうとしていたと言うのは。
考えられないのだが……
俺が事の真偽を問い質すかの様に女村長に目を向けると彼女は、
「あれは、その……」
再び言葉を詰まらせる。
凄く怪しい。
「勘違いじゃないのか? ゴブリンの襲撃が起きてる最中に、俺が女を襲うなど……正気の沙汰とは思えないのだが」
「それを為そうとしていた貴方が言いますか!」
「だからこそ、考えられん。おい、女村長!」
「な、何だ!?」
「重ねて問う! 俺がお前に手を出したのは本当か?」
「わ、私の胸元に手を伸ばしたのは神に誓って本当だ」
待て、この世界には神様もいるのか?
「そ、それに驚いて私は思わず叫んでしまい……」
何でそんなに挙動不審で且つ自信なさげなんだ? 村長ならしっかりしろ! そして俺の無実を晴らせ!
「聞きましたか、非人! 理解しましたか、非人!」
「非人、非人、煩い! それと、聞いたがやはり理解出来ん! 俺が……」
「コリンがどう感じたかが重要なのです!」
そんな馬鹿な!
爺さんに助け舟を期待した訳でもないが、唯一味方になってくれそうな気がしたので目を向けてみる。
すると、一瞬目が合った後、悲しげに首を振った。
「じ、爺さん!?」
「儂はシドじゃと言うておる。お前とは血の繋がりなどない」
「こっちも、そんなつもりで言ってない」
「なら、シドとだけ呼べ」
「俺は、俺の好きな様に人を呼ぶ!」
「自分勝手な奴じゃな」
一方、シャーマンの親子は互いに頷き合い、
「父さん!」
「ああ、やれ」
何を!?
「では、この村の祈祷士を継ぐ者として、また、コリンの許婚として沙汰を下します! 黒奴族のルイ・クラウチは罰として魔石を含めた全ての所持品を村に納めた上、明日の日の出前に村から追放とします!」
俺に対してとんでもない宣告をした。
「全ての所持品だと!?」
俺は慌てて身体を、続いて周囲を検める。
薄く粗末な肌着以外、何も身に付けていなかった
辺りを見ても、学生服はおろか、ワイシャツも肌着も下着も、靴下すらも無いのだ。
(こ、こんな貧相な肌着姿で村を追い出されるのか?)
しかもだ——
「と、時計が無い!?」
「時計、ですか?」
「俺の左腕に巻いてた装飾品だよ!? あれは色んな思い出が詰まった、大切な代物なんだぞ!」
「ああ、あの奇妙な腕輪の事ですか。それならば……」
イーノスが左腕の長い長い袖を捲る。
許し難い事に、そこには俺の腕時計が巻かれていた。
「耳をそばだてると妙な音がしていましたので、魔除けの類かと。ならば祈祷士の私が頂いてもおかしくありませよね?」
「大切な時計だと言ってるだろうが! 返せ!」
「なりませんねぇ」
「何でだよ!」
イーノスは煙草の煙を俺の顔に吹きかけてから、
「沙汰が下ったので、今では私の時計です」
と嗤いながら言った。