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#001 なるほど、ここは異世界か

「うっ……」


 耐え難い臭いが、突然俺を襲う。

 まるで、卵が腐りに腐った様な。

 理由は直ぐに知れた。

 目の前に広がる赤茶けた地肌から、白煙が幾筋も立ち昇っていたからだ。


 荒涼とした風景。

 煙の噴出口付近だけが、薄黄色に彩られている。

 いつか見た、箱根大涌谷の様に。


「最低の景色だ」


 煙を目にすると嫌でも思い出す。

 火に塗れ、大量の煙と灰を撒き散らしながら崩れ落ちた、嘗ての我が家を。


 俺は学ランの尻ポケットからハンカチを取り出し、鼻と口を覆う。

 臭気による痛みが和らいだ。

 途端に薄れる煙への注意。

 代わりに、新たな疑問が頭を占めた。


「ここは何処だ?」


 それもその筈。

 一時避難先として借りたアパートへと、帰る道すがらだったのだから。

 なのに、今や地獄谷のど真ん中に立っている。


「確か、いつも通り聖羅(せいら)と一緒に……」


 いや、違った。

 しつこく聖羅に付き纏うクラスメートをあしらった後、突然背後からタックルをくらったんだ。

 で、気が付くと視界を占める現風景。


(我ながら訳が分からないよ)


 ここに至るまでの記憶が、まるで無い。

 もしかしなくても、記憶障害だろうか?

 ……有り得るな。


「要するに頭部を強打した事による脳震盪、ないしは高次脳障害により正気を無くして彷徨い、今ここに至った……って訳だ」


 どうやって此処まで辿り着けたのか、何故誰も俺を保護しなかったのか、が不明だがな。


「しかし、これからどうしたものか……」


 思わず大きな溜息が出た。

 ここが何処の地獄谷だか分からない。

 日本には、地獄谷と称される観光名所が幾つもあるからだ。


「……その割には人の気がまるで無いな。最近噴火したとか?」


 確かめようにもスマホが無い。

 それどころか財布すら無かった。

 唯一の所持品は左手首にある、腕時計だけである。


「これが、アウトドア用GPSスマートウォッチなら現在地が分かったのにな」


 刹那、俺は目を疑った。

 腕時計のカレンダーが、タックルを受けた日を示していたからだ。


「あれから少なくとも一月は経っているのか?」


 俺は確かめる為、手を顎に当てた。


「髭は……思った程伸びて無いな。記憶は無いがちゃんと剃っていたと言う事か?」


 続いて髪と衣服を確認してみる。


(髪は整い、靴には泥一つ付いていない。とてもこの谷間を登って来たとは思えないな。寧ろ、あの瞬間から時間が経ってないみたいだ)


 俺は辺りに視線を彷徨わせる。

 五感を研ぎ澄ませながら。

 照り付ける日差しを真上から感じた。


「太陽の位置からして今は正午前後。つまり、最低でも二十時間近く経過してる筈だ」


 俺は時計の針を直した後に、今一度辺りを見回した。

 白いガスの奥に、歪な形をした建物が目に入る。


「あれは、石造りのお堂?」


 足を滑らさぬ様、注意を払いながら近づく。

 どうか人が居ます様に、と願いながら。

 その期待は裏切られた。

 そこには人影どころか、長きに亘り、人の居た痕跡が全く無かったからだ。


「せめて、ここの住所が分かる何かが有れば」


 と中を検めてみると、有るのは奥に設けられた台座の上に置かれた大判サイズの書物のみ。


「随分と年季の入った本だ。中世ヨーロッパに作られた聖書みたいだな」


 当時は赤い皮で装丁されていたらしい。

 その面影が薄っすらと表面に残っていた。


 ただし、聖書ではない。

 表紙に十字架が刻まれてないだけで、俺はそう決め付けた訳ではない。

 タイトルを記すだろう位置に、見た事もない文字で<煙>と記されていたからだ。


「ん? ……何でこの文字が読める?」


 不思議に思いつつ、おずおずと表紙をめくってみる。

 抗えぬ何かが、俺にそうさせた。


「何だこれは?」


 最初のページにも、やはり見覚えの無い文字。

 それも余白を除いた一面にびっしりと書き込まれていた。

 もっとも、表紙とは異なり、まるで意味を解せない。


 癖のある字で綴られている所為ではない。

 意味の無い文字の羅列でしかなかったからだ。

 だと言うのに、何故か目が離せない。

 それどころか、一文字追う毎にそれが頭の奥底に積み重なり、何かが形作られていくのを感じた。


 全てを読み終え本を閉じると、今度は頭の中に出来た何かが激しく脈動を始める。

 と同時に、俺の五感が一斉に異常をきたした。


 視界が突如遮断されたかと思うと光が激しく明滅し始め、耳は聴覚試験の如く高周波数の強い音が俺を襲った。

 皮膚のあらゆる場所が針で突かれた様な痛みを訴え、鼻は様々な異臭を感じた。

 舌に至っては甘味・塩味・酸味・苦味だけで無く、辛味と渋味までをも含めた味覚を幾度も、幾度も覚えた。


 やがて、腹の奥底に何かが溜まっていく。

 そしてそれは、五感の異常が終わった途端、突然膨らみ始めた。

 腹の中に入れられた風船が無理やり膨らまされた感じ、と言えば良いのか。

 しかし、それで終わりではなかった。

 件の風船の表面から、


「!?」


 何か小さな生き物が生まれ、全身に広がって行くのが分かるのだ。

 体内に宿した卵が孵化し、虫が駆け巡る感じに。


(こ、これは、絶対駄目なやつだ! か、確実に頭がイカレ……る……)


 俺はその場に崩れ落ち、暫くの間悶絶し続けたのであった。


 一体、どれ程の時間を経たのだろうか。

 気がつくと俺は床に倒れていた。

 全身から玉のような汗を浮かべて。


「な、何だったんだ先のは?」


 答えは俺の頭が知っていた。


「え? 煙の魔法!?」


 と、その使い方を。

 魔力を代価に、煙を生ずるらしい。


(よりにもよって、目にするのも、嗅ぐのも嫌な煙か!)


 それだけでなく、周辺に存在する煙の有無も分かるとか。

 本当か?


(……ほ、本当だ)


 周辺で発生する煙の位置が手に取るように分かる。

 だが、これが分かったからと言って何の役に立つ?


(……待てよ。祖父(じじい)の寝タバコが分かるか)


 加えて、警察官や消防士には重宝されそうだ。


「……………………と言うか、本当に魔法!?」


 お堂の中で、俺の声が響いた。


「お、落ち着け、俺。こういう時は確か……」


 素数を数えても仕方がない。

 冷静に、一つ一つ確認していけば良いのだ。


 先ず第一に、本当に魔法が使えるのか。

 刹那、頭に不思議な言葉が浮かぶ。


(フーム……、煙……)


 これが呪文なのか?

 どうする? 忌々しい事に煙だぞ?

 だが、魔法だ。


 俺は好奇心に負けた。

 次の瞬間には、


「<煙よ出でよ(フームス)!>」


 と声を発したのだ。

 直後、体の気怠さに襲われる。

 と同時に、俺を中心に白煙が渦巻きながら現れたのだ。


「う、嘘だろ……」


 思わず、唖然とする俺。

 その隙を煙は逃さなかった。

 鼻やら口やらを一斉に襲い始める。

 結果、俺は激しく咳き込む事に。

 更には熱さと息苦しさ、鼻をつく異臭に膝を突いた。


「やっぱり煙は最悪だ」


 俺は今一度、口と鼻をハンカチできつく覆う。

 だが、煙の攻勢は止まない。


「い、息が……。か、換気が十分でない室内空間で大量の煙を生じさせたのだから、当然と言えば当然か。……あ、これ駄目だ。このままここに残ったら死ぬ」


 煙の満ちたお堂から飛び出すのに、然程時間を必要とはしなかった。


 以上の、危うく死に掛けた結果を鑑みるに、〝煙の魔法〟とやらは本物だ。

 初めて覚えた魔法が唾棄すべき煙を発するだけ、と言うのが納得しかねるがな。


(こんな如何にも最弱そうな魔法で一体どうしろと……)


 さて、次に確認すべきは当初の疑問、「ここは何処だ?」である。

 九九・九パーセントないと思うが、現実世界の可能性も僅かに残っていた。

 寡聞にも俺が知らなかっただけで、魔法が存在していた可能性もあるしな。


(何か決定的な証拠は無いものか……)


 三度周囲を見渡す俺。

 ただし、今度は並べられた二枚の絵の、間違い探しをするかの様にじっくりと。

 直後、俺は見つけた。


(影が二本伸びている)


 現実世界ならば、例外を除き影は一つの方向のみ。

 その例外も、強烈な照明が幾つも設けられた場所でなければならない。


(つまり……)


 俺は空を見上げる。

 そこには動かぬ(厳密に言えば動いてはいるが……)証拠が存在していた。

 ギラギラと輝く二つの光点が。


 太陽と月、な訳がない。

 太陽に並ぶ事はまだしも、月自体が強く光る筈がない。

 記憶を失っていた間に太陽が増えたとも考えられない。

 なら、答えは一つ。


「……なるほど、ここは異世界か」

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