人は死ねばどうなるのか?仏教編 ③
(大乗)仏教において、死者が死後、三途の川を渡って計7人の王による裁判を経て生まれ変わりの世界が決められる49日間の「冥土の旅」を終えたあと、
その先に待っている「六道輪廻」がそれぞれどのような世界になっているかについての説明。
ひろさちや氏の『よくわかる仏教の知識百科』を参照しています。
◆ 「六道輪廻」の世界
(大乗)仏教においては、人は死後、三途の川を渡って計7人の王による裁判を経て生まれ変わりの世界が決められる49日間の「冥土の旅」へと向うが、
最終的に、7人目の泰山王の開く第七法廷で、死者は最終的に次に生まれ変わる世界が決定されることとなる。
その際、泰山王は、死者に「六つの鳥居」を示し、その一つをくぐらせて次の生まれ変わりの世界へと導く。
そこで選んだ先がその人の「輪廻先」となるわけだが、
それぞれの輪廻先である「六道輪廻」の世界とは、どのような世界になっているのか?
● 「須弥山」世界
死者が六つの鳥居をくぐった先には「六道輪廻」の六つの世界が待っているが、その世界は「須弥山」という山を中心とした世界にある。
須弥山は海抜8万由旬、水面下に8万由旬という高山で、「由旬」とは古代インドの距離の単位"ヨージャナ"からきたもので、1由旬は約10キロメートル。
したがって須弥山は海抜80万キロメートルというとてつもなく高い山で、幅も8万由旬で同じだけの距離がある。
そしてこの須弥山を中心として、「四つの州」と「九山八海」がある。
四つの州とは、東の「勝身州」、西の「牛貨州」、南の「贍部洲」、北の「倶盧洲」。
九山八海は、須弥山を中心に内側から順に、持双山、持軸山、檐木山、 善見山、 馬耳山、 像耳山、 尼民達羅山 、鉄囲山と並び、
そしてそれぞれの山脈の間に八つの海がある。
なお、いちばん外側の鉄囲山とその内側の尼民達羅山とに挟まれた海だけが海水の海で、残りの七海は淡水の海とされているという。
●「金輪」「水輪」「風輪」
この「須弥山」を中心とした「九山八海」と「四つの州(大陸)」はさらに、直径約120万由旬、高さ32万由旬の円筒形である「金輪」という土台の上に乗っている。
そしてこの金輪がさらに、直径約120万由旬、高さ80万由旬ある「水輪」という円筒形の土台に乗っている。
さらにこの金輪と水輪は、厚さ160万由旬、円周にいたっては阿僧祇由旬もあるという巨大な円筒形をした「風輪」という土台の上に乗っているとされる。
「阿僧祇」とは10を64乗した単位で、「阿僧祇由旬」とはそれをさらに10万倍にしたもの。
「風輪」の大きさは現代科学の考える宇宙の大きさよりもはるかに巨大なものであり、またこれらがさらに「虚空」に浮かんでいるというのが、仏教の考えた世界観・宇宙観となっている。
そして、このように須弥山が中心にそびえたつ仏教の世界観・宇宙観を別名「須弥山世界」とも呼ばれる。
◆ 地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道
須弥山世界に広がる「四つの州(大陸)」と「九山八海」の中に、死者が生まれ変わりを生きる「地獄道」、「餓鬼道」、「畜生道」、「修羅道」、「人道」、「天道」というそれぞれの「六道」が存在する。
● 「地獄道」
「地獄」は、須弥山世界の四つの州のうちの一つ、南の「贍部洲」の地下5万キロの深さにあるとされる。
一つだけではなく、上下8層の構造に分かれ、そのビルディングのワンフロアがすべて一辺が1万由旬(10万キロ)で、、さらに最下層のみは一辺が8万由旬という巨大な大きさになっている。
地獄は最下層から、
①、等活地獄
②、黒縄地獄
③、衆合地獄
④、叫喚地獄
⑤、大叫喚地獄
⑥、焦熱地獄
⑦、大焦熱地獄
⑧、阿鼻地獄
という構造になっている。
この「地獄」には、生前に罪を犯した罪人を責め苦しめる刑罰の執行人が棲んでいる。
これがいわゆる「地獄の鬼」で、
牛頭人身で「牛頭」と呼ばれると鬼と、馬頭人身で「馬頭」と呼ばれるニ種族が存在する。
いずれも、刑罰の執行に関しては情け容赦のない獄卒たちとなる。
● 「餓鬼道」
「餓鬼道」は須弥山世界の四つ大州のうち、南に位置する三角形の大陸である「贍部洲」(「閻浮提」ともいう)の下、500由旬にあり、長さ広さは3万6千由旬。
餓鬼界には閻魔王がいて支配している。
餓鬼道は、物おしみをしたり、むさぼり食ったり、他人をそねみねたんだ者が落とされてくる世界。
餓鬼道では地獄に落とされた罪人たちと違って、獄卒たちに直接手を下されて責めを受けることはないが、ここでは欲しくてもその欲しいものがいつまでたっても得られない渇望の苦しみを味わわされ続けるる。
餓鬼の寿命(=刑期)は500歳。といっても餓鬼世界の一日は人間世界の1ヶ月に相当するため、人間の時間感覚では1万5千年もの刑期になる。
餓鬼にはさまざまな種類がいて、地下に棲む者、人間界に棲むもの、天界に棲むものとがいる。
餓鬼は大きく三種類に分けられ、
最も苦しいのが「無財餓鬼」で、これは食べ物自体が食べようとしても食べ物が青白い炎となって内臓を焼き尽くしてしまう。
ついで「少財餓鬼」は、多少食べ物を食べることは許されるが、それは糞尿、嘔吐物、屍体、自分の脳みそ・・・等、不浄なものしか口にできない。
そして「多財餓鬼」になると、なんと例外的に多財餓鬼だけは天界の宮殿まで出入りすることが許され、あらゆる楽しみを享受でき、美味飽食さえ認められるという。
しかし「餓鬼」とは、満足も感謝も知らない生き物のことであり、そのためどんなに富める餓鬼であっても、とどまることを知らぬ欲望・食欲に、狂おしいばかりにさいなまされ、1万5千年もの間、ひとときも満足することなく生き続けなければならなくなる。
● 「畜生道」
「畜生」とは、牛や馬などの家畜のことをいい、大まかに①鳥類、②獣類、③虫類の三種類に分けられる。
畜生たちのもともとの生活環境は海で、そこから人間界や天上界の間に出てきて一緒に生きていくこととなるが、そこでは例えば人の足に潰されて踏み殺されるといった恐怖と苦しみが待ち受けている。
畜生道には、生前に嫉妬やねたみ、恨み呪いの心を持った者や、恥の心を知らない者たちが落とされるという。
● 「修羅道」
「修羅道」は、須弥山と持双山に挟まれた海から水深18万キロの海底にあるとされ、そこにはさらに「四大王」が君臨し、東西南北に分かれてそれぞれを海を支配しているという。
四大「修羅王」とは、
東の海、毘摩質多羅
西の海、娑婆羅
南の海、踊躍
北の海、羅睺羅阿修羅(らごらあしゅら:いわゆる阿修羅王のこと)の4人。
この四大阿修羅王は、それぞれに壮麗な水中大宮殿を備え、なかでも羅睺羅阿修羅王の宮殿は、縦横80万キロ、七重の城壁に囲まれ、内部には宮城や塔、庭園、美しい園林などが造られ、加えて宮城全体が七宝造りになっているという。
人間界よりさらに一段下の世界でありながら、修羅界がまるで天界を思わせる美しさを備えているのには理由があって、阿修羅王とはもともと正義をつかさどる天界の住人だったから。
事情があって天界を追放される破目になったが、もともと天界の神だったため、居城もそうした立派なものとなっている。
阿修羅の一族はもともとは、帝釈天が主として支配する「忉利天」と呼ばれる天界に住んでいた。
阿修羅は正義をつかさどる神といわれ、帝釈天は力をつかさどる神といわれる。
阿修羅には舎脂という娘がいて、いずれ帝釈天に嫁がせたいと思っていたが、舎脂に一目ぼれした帝釈天が、まだ阿修羅の正式な縁談の許可を得る前に、我慢できなくって舎脂を強引に自分の宮殿に連れ帰り、陵辱してしまう。
舎脂は帝釈天から陵辱されながらも彼を愛してしまい、のちに帝釈天の妻となるが、阿修羅はあくまで帝釈天の行為と娘の裏切りが許せず、帝釈天に戦いを挑む。
しかし何億回にも及んだというその戦いに、阿修羅はそのつど敗北し、そうするうちに、ついに彼は闘争の権化、執念の鬼と化してしまい、天界から追放される結果となってしまう。
ある時の戦いで、阿修羅の軍が優勢となり帝釈天は敗走するが、そこへ蟻の行列がさしかかり、蟻を踏み殺してしまわないようにと帝釈天は慈悲心から軍を止めた。しかしそれを見た阿修羅のほうは驚いて、帝釈天の計略があるかもしれないという疑念を抱き、撤退したという。
帝釈天には直情径行で粗雑なところがあったが、小さな生命を大切にする余裕があった。
しかし阿修羅のほうはその余裕すら失くして、戦いの鬼神と化してしまった。
自らの正義に固執するあまり、他人を許す心を失ってしまった。
そのため阿修羅は、天神でありながらも魔類におとしめられてもしかたない存在だと、判断されてしまったのだった。
以来「修羅道」とは、そうした妄執に取りつかれ、その狭量さゆえに他者を許す慈悲心を失った者が、容赦なく落とされる世界となった。
● 「人道」
「人道」とは、地獄と天界との間にある人間の住む世界のこと。
須弥山世界には、東の「勝身州」、西の「牛貨州」、南の「贍部洲」、北の「倶盧洲」という四つの大州(大陸)が存在するが、人間はまったく種を異にする者たちで四種族に分かれて、四州にそれぞれが分かれて住んでいる。
須弥山の東にある「勝身州」に住む人間たちは、身長4メートルで、平均寿命が250歳もある人間たちだという。
一方、西方にある「牛貨州」の人間は、身長4メートルで、平均寿命は500歳。そして貨幣の代わりに牛が使われているという。
また、北方の「倶盧洲」の人間は、身長16メートルで、寿命は1000歳。
ここは豊かな自然に恵まれ、物資も豊富で、四州のうちでもっとも素晴らしい州だという。
そして、四州最後の一つ、南の「贍部洲」に住む人間が"私たち人間"になり、この州こそが、私たちが一般に「人間の世界」と呼んでいる世界になるという。
この州には16の大国と、500の中国、そして10万の小国があるとされ、平均寿命はせいぜい100歳。
いわゆる私たち人間の住むこの「贍部洲」は、他の三州に比べ不公平な感じだが、しかしこの州の人間にだけ許された特権があり、それは「諸仏の現れるのはこの贍部洲だけ」というもの。
つまり贍部洲に住む私たち人間だけが、仏にまみえ、仏の教えを拝聴できる特権を持っているのだという。
● 「天道」
「天道」は六道のうちでも"快楽"の世界。天道は須弥山の中腹から始まる。そして中腹は、地つづきの天となっていて「地居天」と呼ばれる。
そしてこの「地居天」に対し、須弥山の山上にぽっかりと浮いている天界が「空居天」で、これは上層に行けば行くほど上級の天となり、住む者の寿命の長さも一層上がるごとに4倍、金輪水面からの距離は2倍ずつ増えていく、とされている。
「地居天」はまた、下層から「下天」と「忉利天」に分かれる。
「下天」は、須弥山の中腹に位置し、そこには「四天王」が住む。
東方、持国天
西方、広目天
南方、増長天
北方、多聞天(毘沙門天)
この四天王の役目は、下天がもっとも地上に近い位置にあるため、天上界を荒らす者が侵入してこないようにいつも監視の目を光らせるガードマンのような役割を果たしている。
また、天界人の寿命は長大で、この下天の住人の寿命は900万歳といわれている。
そして、下天の上にあるのが「忉利天」で、須弥山の頂上にあり、帝釈天が支配している。忉利天には帝釈天をはじめ三十三天がおり、住人の寿命は3千600万年。
「地居天」の上にはさらに、下から順に「夜摩天」「兜卒天」「楽変化天」「他化自在天」の四つの「空居天」がある。
・「夜摩天」――ここはもともと「閻魔」の治める天だった。閻魔はインド名で「マヤ」といい、そのインド名がそのまま「夜摩天」という呼び名になった。地上16万由旬の距離にある須弥山頂の忉利天からさらに8万由旬隔てた上空の中にあり、縦横も8万由旬で、5千由旬の高さがあり、牟修楼陀という天主によって治められているという。寿命は2000歳だが、その一昼夜は人間界の200年にあたり、人間の年齢感覚では1億4400万歳になる。
・「兜卒天」――兜率天は、地上より32万由旬の高さにあり、広さは約8万由旬平方。内院と外院の二つに分かれ、内院は将来必ず仏様になることが約束されている菩薩が住む世界で、仏教の開祖・釈尊も地上に生まれる前はここに住んでいた。いまは弥勒菩薩が住み、将来、仏となって私たちの住む世界に降臨すべく、修業に励んでいる。
一方、外院には天人と呼ばれる人達が住んでいる。
兜卒天での平均寿命は4000年だが、兜卒天での一日は、人間界の400年に相当するため、5億7600万歳が平均的寿命となる。
弥勒の下生は56億7千万年後とされているが、これは彼の兜卒天での4000年というその寿命(=5億7600万年)からきているという。
・「楽変化天」――ここは「ここに生まれたものは、自ら楽しい境遇をつくり楽しむ」という世界で、寿命は8千年だが人間世界の800歳を一日とするため、23億400万歳。
・「他化自在天」――ここは「他の下位の天で楽しみをなすを見て、それを借りて楽しむ」天で、天人の寿命は92億1600万年。
そしてこれら、「下天」と「忉利天」の二つの「地居天」と、「夜摩天」「兜卒天」「楽変化天」「他化自在天」の四つの「空居天」を合わせて「六欲天」という。
欲の字がつくのは、天人でも下層の天界に生きる者は、他の五道の生物と同じように性欲や食欲を持っているため。
しかしこの天界も、上層になるにつれて、煩悩離れが進む。
下層の忉利天にはなんと「戯女市」という名の遊び場まであるが、夜摩天になると相手を軽く抱きしめるだけで欲望はおさまるとされ、楽変化天では見つめあうだけでもうスッキリしてしまうという。
● 「色界」「無色界」
「地居天」と「空居天」を合わせた「六欲天」の上にも、まだ多くの「空居天」が存在する。
しかし、これら欲のある「欲界」の上に、分別してさらに「色界」があり、さらにその上に「無色界」が存在する。
・「欲界」――淫欲や食欲を持った者が生きる世界
・「色界」――欲望を脱して肉体だけを残した世界
・「無色界」――物質が消え、純粋精神だけの世界
「色界」には「十七天」があり、さらにその十七天は四段階に分かれ、下から「初禅」「ニ禅」「三禅」「四禅」と呼ばれる。
「初禅」には「梵衆天」「梵輔天」「大梵天」の三天がある。
これらのうち大梵天に有名な「梵天」様がいて、梵天は帝釈天と並んで仏法の守護神、仏教界における二大ガードマンのような存在となっている。
また梵天と帝釈天の二人は、釈尊が悟りを開いたとき、当初は教えを説くことに消極的であった釈迦に対し、「どうか衆生のために真理を説いてください」と説得にあたった者たちで(「梵天勧請」)、仏教流布の大功労者でもある。
「初禅」から「ニ禅」「三禅」「四禅」と上層に行くに従って、苦悩が消え去り、心が爽快になるようになって、そして四禅の最上階、すなわち「色界」の最上階にあるのが「色究竟天」=「有頂天」。
● 「天人五衰」という煩悩世界の限界
六道輪廻の世界でも他の五道と比べて、毎日が快楽の連続である天界の住人たちで、最短命の人でも900万年という寿命の長さを誇るが、といってそんな彼らでも「輪廻」の世界の住人であることに変わりはない。
輪廻の世界はあくまで「迷い」の世界であり、天人たちの快楽の世界にも、必ず終わりが来る。
しかも、与えられた快楽が大きければ大きいほど、その快楽を失う痛手も大きい。
「天上をしりぞくときは、苦しみの大いなるあり、地獄すらこの苦しみの十六分の一におよばず」といわれるほど。
天界の住人の臨終まぎわには「天人の五衰」といわれる現象が兆候としてあらわれる。
一、頭上の冠の華がしぼむ
二、わき下に汗が出る
三、衣装が垢じみて、みすぼらしくなる
四、身威光を失う
五、うつうつとして楽しめなくなる
この兆候が見えてくると、天人はいずれ死ぬ。
そして、死ねば、再び天界に生まれてくる保証はない。
それどころか地獄にまっさかさま、ということだってないわけではない。
天人たちはその不安におびえ、もう二度と味わうことのできないかもしれない快楽を忘れることができずに、苦しみ、もだえる。
そうなると、いたずらに天に生まれることを望むより、ぐるぐる廻るメリ-ゴーランドのような輪廻の世界からの脱出(解脱)をめざすことが一番だということになる。
「しょせん、対症療法では駄目ですよ」というのが仏教の教え。
そして、その脱出先となるのが、「極楽浄土」と呼ばれる世界なのだ。