【7】
ギルベルトは基本的に東の国境に位置するアイスナー辺境伯領に引きこもっているため、帝都事情に詳しくない。しかし、エーベルハルトによるとヒルトラウトはちょっとした有名人らしい。
「彼女はヴァイデンライヒ侯爵の長女。一年前までは婚約者と仲良く夜会に出てきていた。二人は理想的な婚約者、理想的な令嬢だと言われていたんだ」
「……それはほめているのか?」
何となくエーベルハルトの言い方に含みがあるような気がして尋ねたが、彼は「まあ聞けって」と言って勝手に話を続ける。
「でも、去年の社交シーズンの終わりごろ、事件は起こった。なんと、彼女の妹が姉の婚約者を寝取り、子を身ごもったのだ!」
「……」
劇場演説ふうに言うエーベルハルトを、ギルベルトはじろりと睨んだ。ちょっと腹が立ったのだ。
「睨むなよ~。事実なんだって。まあそれで、結局婚約者は妹と結婚して領地に行った。それ以降、姉の方が社交界に出てきたのは今回が初めてだが、みんないろいろ言っていたよ。まじめなだけで面白みがない、妹の方が美人だから婚約者は妹になびいたんだ、とか。どう考えても悪いのは婚約者と妹なんだけどな」
貴族の社交界では噂はつきもの。スキャンダルも面白おかしく人々は口に乗せる。どう考えても被害者であっても、社交界に出ると笑われるのだ。ギルベルトはそう言った雰囲気が苦手だった。牧歌的な田舎で育ったからかもしれない。
「ま、今は皇帝陛下が儚くなられたことのほうが注目を浴びてるから、ヒルトラウト嬢もそれほど噂されないだろうが。だが、引きこもりのお前が注目を浴びてるからなぁ。何かしら言われるかもな」
「……」
それは……悪いことをしたかもしれない。だが、噂ぐらいで折れるような女性にも見えない。
「お前が彼女を気に入ったならいいんじゃね? お前も彼女もまじめだし、お前が連れ帰れば彼女も噂が渦巻く帝都から離れられる」
「……何が言いたい、エーベル」
「いや、別に」
にやっと彼は笑った。ろくでもない笑みだ。ギルベルトが思わずため息をついたとき、少年が声をかけてきた。
「エーベルハルト叔父上、お久しぶりです」
「おお! ヴォルフ、久々だな。また背が伸びたんじゃないか」
「えへへ。エーベル叔父上と同じくらいにはなりたいです」
アッシュブラウンの髪に淡い緑の瞳をした繊細で優しげな少年だ。名をヴォルフラム・エリーアス・ヴァン・ローゼンハインと言う。年は十六歳で、先帝の長男である。彼が最も帝位に近いだろう。
「ヴォルフ。こちら、選帝侯のアイスナー辺境伯ギルベルトだ。俺の寄宿学校時代の学友でもある。ギル、彼は先帝の息子でヴォルフラム皇子」
「あ、えーっと、初めまして、アイスナー辺境伯」
「お初御目文字仕ります、ヴォルフラム皇子殿下」
「……まじめそうな人ですね」
ヴォルフラム皇子、それは本人に面と向かって言う言葉ではないのでは? 確かにギルベルトは、真面目そうと言われることは多いが。
「アイスナー辺境伯は、当たり前ですけど、選帝侯会議に……出席なさるのですよね」
「……まあ、そうですね」
「そうですよね……」
何が聞きたいのだろうか、ヴォルフラム皇子は。何となく消沈した様子だ。どうしたのだろうか。
「……それでは僕は失礼します。ご歓談中、失礼しました」
ヴォルフラム皇子は丁寧にそう言うと、肩を落として去って行った。その途中、令嬢に声をかけられてびくっとしていた。
「……皇子はどうしたんだ?」
「さてなぁ。俺たちは皇帝候補だから、選帝侯であるお前に何も言うことはできない」
エーベルハルトが珍しくまともなことを言った。それもそうだ。ギルベルトとエーベルハルトは友人であるが、現在は皇帝候補と選帝侯である。うかつな会話はできない。まあ、ギルベルトは彼に票を入れる気なんてないけど。
「つーか、自他ともに認める引きこもりなアイスナー辺境伯は、皇帝候補をすべて把握しているのか?」
エーベルハルトに妙に心配そうに聞かれた。ギルベルトは少し考えてから答える。
「……まあ、大丈夫だと思うが」
「……そうか」
二人ともいい大人なので、それ以上はツッコまないことにした。
翌日、第一回選帝侯会議が開かれた。五人の俗世貴族と二人の聖性貴族による会議はまずは投票から始まる。
無記名で入れられた投票用紙を投票箱から取り出したのは、聖性貴族の一人、チェルハ大司教だ。最大範囲を教区とするチェルハ大司教が主に選帝侯会議を引っ張っていくことになる。
「ヴォルフラム皇子が三票、ダンメンハイン公爵が三票……接戦ですな」
もともと皇帝候補に挙がっていた二名だ。本命ヴォルフラム皇子、大公ダンメンハイン公爵、大穴エーベルハルト、といったところか。
アルノルト・モーリッツ・ヴァン・ダンメンハインは先帝の叔父である。野心家ではあるが、公平な人である、と言うのが調べた限りのギルベルトの判断である。やはり接してみないとわからないことも多いが。
ヴォルフラム皇子は評判の良い皇子だ。誰にでも愛想がよく、かといって優しすぎるわけでもない。十六歳と言う年齢にしては聡明すぎるほどの少年らしい。ただ、夜会での態度が少し気になった。それでも、ギルベルトは彼に票を入れたが。
ちなみに、エーベルハルトが候補に入っているのはほぼネタなので、当たり前だが誰も票を入れていなかった。
「さて、この結果を踏まえて話し合いを行いましょうか。もちろん、今回だけで皇帝が決まるわけではありません」
さて、どうぞ。と言われてすぐに話し合いが始まるわけがない。一瞬しん、と静まり返ったがエルシェが「いいかしら」と声をあげた。彼女はこの中で一番若輩だが、俗世貴族の中で最も高い身分を持っている。
「クラウスヴェイク大公、どうぞ」
「いえ、わたくし、若輩で経験も乏しく、こんなことを聞くのは自分でもどうかと思うのですけどね。確認ですが、次の皇帝は選帝侯会議で満場一致がないと決まらないのでしたわね?」
「その通りです」
「わかりましたわ。ありがとうございます」
エルシェがにっこり笑って礼を言った。確認と言うか、これは念押しのような気もする。
でもやっぱり意見は出てこない。そこでチェルハ大司教は考えたようだ。
「では、順に行きましょうか。まず、ヴォルフラム皇子から。彼は皇帝候補としてどうでしょう」
「……やや頼りなくはありますね」
意見したのは世俗貴族の公爵だ。先に帝都に入っていた選帝侯のうち一人である。
「しかし、まだ十六歳だと言うことをかんがみて、かなり優秀な方だ。成長すれば、よい皇帝となられるかも」
やや希望的観測が入っているがギルベルトも彼は意外といい皇帝になるのではないかと思う。
「では、ダンメンハイン公爵は皇帝候補としてどうでしょうか」
こちらはなかなか意見が出なかった。やや間を置いて意見が出る。
「為政者としては優秀な方ですが……」
「……そうですね。政治に関しては頼りになる方ですが」
みんな歯切れが悪いのは、ダンメンハイン公爵は為政者として優秀だが、皇帝として仰ぐにはちょっと……という人だからである。野心家であることは自他ともに認めるところであるが、別に悪い人であるわけではない。どちらかと言うと、宰相とか、そう言う立場が向いているであろう能力なのだ。ギルベルトはダンメンハイン公爵とそれほど親しいわけではないが、周囲の評判や仕事ぶりなどを見ていれば何となくわかる。
結局、結論は出なかった、票の入らなかったエーベルハルトをはじめとした皇帝候補とみなされる数人についても議論しだが、やはりパッとしない。採用試験のように試験や面接をしては駄目なのだろうか。情報が少なすぎるのである。
前途多難。早く領地に戻りたいギルベルトはため息をついた。
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