【23】
翌朝、ヒルトラウトが兄やギーゼラと共に朝食を取っていると、ヘレナがやってきた。ヒルトラウトは思わず彼女の背後を見たが、彼女の弟はいなかった。
「おはよう、ヒルト、ギーゼラ。ルートヴィヒ様も」
添え者扱いされたルートヴィヒであるが、そんなことで怒るルートヴィヒではない。妹の友人である年下の女性に、礼儀正しく朝の挨拶をしたのみだ。
「おはよう、ヘレナ。弟さんは?」
「あんたが手ひどく振ってくれたから、部屋で引きこもってるわよ」
傷心だからそっとしておいてあげて、とヘレナ。ヒルトラウトは「手ひどく振った覚えはないんだけど」と首をかしげる。
「あれだけ公衆の面前で見せつけておいて、それを言うの?」
「……」
確かに、騒動があった場所は食堂からそんなに離れていなかったから、人はそれなりにいたけど。
「……そんなに変なことした?」
しいて言えば、ヒルトラウトが一人で照れて顔が赤かったと思うけど。それ以外は、取り立てて騒ぐようなことはないと思う。
「いやー、お前見てなかったの? アイスナー辺境伯、お前がうなずいた時かなりでれっとしてたぞ」
「……お兄様、ギルベルト様の表情の変化がわかるのね……」
ヒルトラウトにもわかるときとわからないときがある。ギルベルトの友人、シュヴェンクフェルト公爵エーベルハルトは彼の表情を読めるようだが、ヒルトラウトにはまだちょっと無理だ。
「気にするところ、そこじゃないよな?」
いつもの調子でルートヴィヒはツッコミを入れたが、ヒルトラウトはどこ吹く風でコーヒーをすすった。
「ひとまずおめでとうと言っておくわ。まあ、アロイスもアイスナー辺境伯が相手なら勝ち目はないわね」
ヘレナが疲れた様子で言った。そんな彼女はちゃっかりとヒルトラウトの隣の席に座っている。侍女をしているときはきっちりした性格が目だったが、彼女も結構気さくな口を聞く女性である。
「いいんじゃない。二人とも落ち着いていて、お似合いよ」
「祝福している顔じゃないような気がするんだけど……」
とはヒルトラウトもさすがに口に出さなかった。ヘレナが行き遅れを気にしているのは周知の事実だ。ヒルトラウトですら多少気にしていたのだから、二十一になる彼女は余計に、だろう。
ゆっくりと朝食を取り始めたヘレナに合わせて、食後のコーヒーを飲みながら話をしていると、次なる来客があった。来客っておかしいけど。
「おはよう……」
常ならぬ沈んな声に、ギーゼラが心配そうな表情をする。いつもどちらかと言うと元気でテンションの高いコルネリアは、そんな彼女の表情を読み取って「大丈夫よ」と微笑んだ。
「おはよう、コルネリア」
「おはよう、ヒルト。婚約おめでとう」
「残念ながら、婚約した覚えはないわね」
恋人ができた覚えならあるが。その割に平然としているので、コルネリアは面白くないようだ。ヘレナとは反対側のヒルトラウトの隣に彼女は座った。
「何よ。自分が抜け出したからって平然としちゃって」
ぽこぽことコルネリアがヒルトラウトを殴る。ヘレナが反対側から「それはコルネリアに同意」と、珍しく二人の意見が一致している。もちろん、本気で攻められているわけではないので、ヒルトラウトはあいまいに笑っただけで済ませた。
「それで、コルネリアはどうしたの。陛下に何かされた?」
「……むしろ、ヒルトは辺境伯に何もされなかったの?」
「されてたら、お兄様がギルベルト様を殴りに行っているわね」
なるほど、と納得しかけたコルネリアに、ルートヴィヒから「しないから!」と言う声が飛んだ。妹を含む女性陣が無視するので、ルートヴィヒはうなだれた。ギーゼラに慰めてもらっていればいいのだ。
「何かされたと言うか……ねえ、陛下って本気なのかしら」
尋ねられたヒルトラウトは、ルートヴィヒを見た。テーブルの下で兄の足を蹴る。
「痛っ。お前、辺境伯にこんなことするなよ……」
「しないわよ。お兄様だけよ」
しれっとしたものだ。ヒルトラウトはギルベルトの前になると、どちらかと言うとおどおどした態度をとるので、こんなことはできないだろう。
「……まあ、陛下は口を開けば、やりたくない、面倒くさい、皇帝やめたいだからな……君のことに関しては、まだしも能動的に動いているんじゃないか?」
どう判断していいのかわからない言葉を、ルートヴィヒは送った。確かに、妙に後ろ向きな皇帝陛下にしては、妙に能動的ではある。
「……結局、どういうこと?」
コルネリアが困ったようにヒルトラウトを見た。しかし、彼女も判断に困って首をかしげた。
「……まあ、人の心っていうのはよめないからね……」
「ヒルト……言うようになったな……」
ルートヴィヒが感心したように言った。自分の心ですらわからないのに、他人の心のうちなんかわかるはずがない。
くいくいとギーゼラがコルネリアの服の袖を引っ張った。コルネリアがギーゼラの方を見る。彼女は書いた文章をコルネリアに見せた。ギーゼラは向かい側に座っているので、ヒルトラウトたちからもその文章を見ることができた。
『コルネリアは陛下のことが好きですか?』
「……わからないわ……」
「……」
ヒルトラウトはコルネリアを見て、自分もこんな感じだったのだろうか、と思うわけである。なるほど。他人からは良く見えるものである。
「……ヒルト? 何納得した、みたいな顔してるの?」
ヘレナが不審げに尋ねた。ヒルトラウトはヘレナを見て肩をすくめた。何気なく席を立つ。
「先に行くわ。……約束があるから」
声が消え気味だったのはギルベルトとの約束だからだ。ヒルトラウトが席を立てば、ヘレナとコルネリアも立ち上がった。ヒルトラウトがいなくなれば、残るのはルートヴィヒとギーゼラ。仲良し婚約者二人が残されるわけだからだ。
ヘレナとコルネリアとも別れたヒルトラウトは、庭園に向かった。コルネリアがやや不安であるが、ヘレナが一緒だから大丈夫だろう。
「ギルベルト様」
「ああ、おはよう、ヒルト」
「おはようございます……」
ギルベルトはシュヴェンクフェルト公爵と一緒だった。ヒルトラウトはエーベルハルトにもとりあえず挨拶をする。
「ご機嫌麗しく、シュヴェンクフェルト公爵」
「ああ、ギルを借りてしまって悪いな。もう返すから」
「物のように言うな」
いや、ツッコむところはそこではないだろう。ヒルトラウトは心の中で思ったが、口には出さなかった。ただ、「はあ」と小首をかしげた。
「ああ、二人とも今日もノリが悪いなぁ。フロイラインは今日もかわいらしいが」
シュヴェンクフェルト公爵が返答に困ることを言った。ギルベルトがヒルトラウトを抱き寄せる。それを見たシュヴェンクフェルト公爵はため息をつく。
「その様子ならうまくやれそうだなぁ。ま、二人とも真面目でお似合いだよ」
そう言うと、シュヴェンクフェルト公爵は手をあげてその場を後にした。追い払ってしまったような感じがして、ヒルトラウトはギルベルトを見上げた。
「……先約はヒルトだ」
「そ、そうですか」
少し動揺しながら、ヒルトラウトはうなずいた。彼と手をつなぎ、おとといも歩いた庭を歩く。おとといは咲ききっていなかった花も、今は満開だ。
「ヒルト」
「はい?」
ヒルトラウトはギルベルトを見上げたが、彼は前を見ていた。
「六日後、領地に帰らなければならない」
「……まあ、それはそうですよね」
アイスナー辺境伯の領地は、その名の通り遠いのだ。ヒルトラウトもヴァイデンライヒ侯爵家の領地に帰るが、ヴァイデンライヒ侯爵領は帝都からそんなに離れていない。
「さみしいですね……」
「私も、君と離れたくないものだ」
ギルベルトの直球の言葉に、ヒルトラウトは頬を赤らめた。せっかく恋人同士になれたのだ。一緒にいたいと思うのは当然だろう。
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次最終話。




