【3】
エルシェはおおらかな主人だった。クラウスヴェイク公国の土地柄なのかもしれないが、とても仕えやすい主人であると思う。ヒルトラウトは誰かに仕えたことがないので、比較できないけど。
クラウスヴェイクから護衛としてやってきた男の人たちも紳士で優しいし、侍女仲間たちも、まあ、うまくやっていけそうだ。
フェルスター男爵令嬢アメリーは天真爛漫で、同じく武術を身に着けていると言うことで話が合う。年も近く、十七歳だ。
クラウスナー子爵令嬢ロジーナは、最年長の二十三歳。博識で気の利く女性なのだが、何かにつけて「私なんか……!」と言っている非常に面倒くさ……いや、自己評価の低いお方だ。
シュトライヒ伯爵令嬢コルネリアは高飛車な十六歳のお嬢様だ。センスのよい少女だが、目上の人に対する口のきき方がなっていなかったので注意したら、涙目で睨まれた。数日付き合った感じでは、ツンデレに近い。
エルツベルガー侯爵令嬢ヘレナは二十一歳の女性だ。落ち着いた女性で、いつもツッコミを入れている気がする。そして、それを見てエルシェが良く笑っていた。
みんな微妙に癖があるのだが、それはヒルトラウトもそうであるし、気になるほどではない。とりあえず、毎日刺激があって楽しい。
「ヒルト」
呼びかけてきたのはヘレナだった。ひとまず、ヘレナはまともに仕事の会話をできるのはヒルトラウトだけだと考えているようだった。コルネリアはツンデレだし、ロジーナはいつもおどおどしている。アメリーはやや脳筋である。消去法でヒルトラウトなのだ。
「どうしたの、ヘレナ」
「アイスナー辺境伯が到着されたらしいわ。今日の夜、歓迎の晩餐会、明日の夜には夜会よ」
「了解したわ。コルネリアに衣装を見立ててもらっておく」
「よろしくね」
何故か、ヘレナとコルネリアの間では会話が成立しないので、今のところ、ヒルトラウトが間を取り持っているのだ。理論派のヘレナと、感情派のコルネリアでは合わないのだろうか。しかし、コルネリアは同じく理論派のロジーナとは会話が成立している。謎だ。
「コルネリア。ちょっといいかしら」
「何よっ」
怒ったような口調で言い返されたが、これがコルネリアの通常なので、気にしない。
「アイスナー辺境伯が到着されたとのことよ。今夜、晩餐会が開かれるわ。ドレスを見立ててもらえる?」
「もちろんよ! わたくしに頼むんだから、完璧に仕上げて見せるわ」
「楽しみにしてる。それと、明日は夜会が開催されるから、そちらも考えておいてね」
「わたくしにかかれば造作もないわ!」
これが小説などだったら高笑いが飛び出すのだろうが、さすがにそんなことはなかった。いや、高笑いする令嬢は本当にいるのだが、コルネリアはそう言うタイプではなかったらしい。
「ロジーナとアメリーはコルネリアを手伝っていてくれる? 何かあったら呼ぶわ」
「わかりました」
ロジーナがうなずく。彼女はともかく、アメリーが役に立つかは不明であるが、今のところ護衛の必要はないのでコルネリアと一緒にいてもらおう。
一方のヒルトラウトはヘレナとエルシェのものに行く。この二人が最も身分が高い侍女であり、また、手配などの手際が良いので、自然とこうして作業が別れるようになった。
「マナーで何か気を付けたほうがいいことはある? クラウスヴェイクと何か違うところはあるのかしら」
わたくしってばクラウスヴェイクを出るのも初めてだから、とエルシェは笑いごとのように言ったが、その眼は真剣だ。
事前にクラウスヴェイクについて調べていたヘレナが答える。
「わたくしの知る限り、大きな差異はありませんので大丈夫です」
「そう。安心したわ」
そう言いながらも、エルシェはもう一度選帝侯の確認を始めた。選帝侯が全員そろったと言うことは、もうすぐ、選帝侯会議が始まると言うことなのだ。
「ねえ、ヒルト。ちょっといいかしら」
「あ、はい」
エルシェに呼ばれてヒルトラウトは彼女の元に向かう。エルシェは近寄ってきたヒルトラウトに尋ねた。
「貴族名鑑ってあるかしら?」
「……王宮書庫にあったと思いますけど……」
貴族名鑑は存在する。帝国は広大で、貴族の数が多いので一年に一冊刊行される。売り上げは、いいらしい。映写魔法で写した姿を一緒に載せているので、貴族を覚えるために子息令嬢が使っていることが多い。ヒルトラウトの実家にも何冊かあったはずだ。もちろん、この宮殿にも。
「借りることってできるのかしら。クラウスヴェイクから持ってくればよかったんだけれど、うちではまだ最新のものが出ていないから……」
「ああ、なるほど。借りられたと思いますので、ちょっと行ってきますね」
「お願い。ありがとう、ヒルト」
大公ともなれば偉い。だが、エルシェは全く偉ぶらない女大公だ。こうして普通にお礼も言うし、仕える側としてはうれしいがちょっと腰が低すぎるのではないかと思うこともある。
ヒルトラウトはエルシェの使っているゲストルームを出ると、王宮書庫に向かった。基本的に出入りは自由だが、借りる場合は手続きが必要になる。
王宮書庫に向かう途中、別の選帝侯に仕える男性に声をかけられた。そして、エルシェの情報を吐け、と脅されたのだが、ヒルトラウトはそれを返り討ちにした。
と言う場面を先ごろ到着したばかりと思われる選帝侯アイスナー辺境伯に見られた、と言うわけだ。まさか目撃されているとは思わず逃亡してしまったが、大丈夫だっただろうか……。
アイスナー辺境伯を振り切ったところでいったん息を整え、王宮書庫に向かう。書庫で貴族名鑑・最新版を見つけ、貸出手続きを行った。名鑑を受け取り書庫を出ようとしたとき、先ほど振り切ったアイスナー辺境伯と遭遇した。何、この遭遇率。
とりあえず、ヒルトラウトは一礼してすぐに書庫を出た。失礼にあたるかもしれないが、状況を説明する気にはなれなかった。そもそも、説明する必要はない。ヒルトラウトが使えているのは同じ選帝侯でも、クラウスヴェイク大公だ。
エルシェのゲストルームに戻ると、コルネリアが見立てたドレスの最終調整を行っていた。
「あ、ねえヒルト。どう? 一応、皇帝陛下が亡くなってからそんなに経っていないから、抑え目にしたんだけど」
と、コルネリアがヒルトラウトに意見を求めてくる。その眼がキラキラしていて、ほめてほしいのだと言うことが良くわかった。
一応、ヒルトラウトはマネキンに着せられたドレスを見る。それに、首飾りや髪飾りなどを合わせて選んでいる状態だった。
そのドレスの色はネイビーブルー。裾は広がり過ぎず、落ち着いた印象だ。首元まで覆われたそのドレスは、確かに皇帝の崩御からそれほど経っていない今の時期にふさわしいだろうと思われた。
「うん。いいと思うわ」
「でしょう!」
コルネリアはドヤ顔だ。ヒルトラウトは苦笑を浮かべ、コルネリアたちを眺めていたエルシェに持ってきた貴族名鑑を渡す。
「貴族名鑑・最新版です」
「ありがとう、ヒルト」
エルシェがにっこりと笑って名鑑を受け取る。今回は晩餐会なので、選帝侯の顔と宰相他数人の貴族の顔と名前が一致すればよい。しかし。
「……ヘレナ、ヒルト。あなたたち、貴族の名と顔、そのバックグラウンドについてわかる?」
ヒルトラウトはヘレナと顔を見合わせた。ヘレナが代表して答える。
「ええ、まあ、だいたいなら」
「……そう。なら、明日はついてきてもらおうかしら。さすがに一日でこれだけ覚えるのは不可能だわ……」
エルシェがあきらめたようにため息をついた。
「駄目ね、わたくしは。大公になることなどないと思って何もしてこなかった。それが回りまわって、自分に返ってきているのね」
エルシェは、三人兄弟の一番下だったと言う。女性であると言うこともあり、確かに、大公位が回ってくる可能性は低かった。
それでも、世の中何があるかわからないものだ。エルシェは二人の兄を亡くし、こうして大公位についている。見たところ、エルシェは大公として問題ない知識を有している。しかし、さすがに貴族たちまでには手が回らなかったか。
「……気づいて、努力できることは立派だと思いますが」
ヘレナが言葉を選びつつ言った。エルシェは苦笑を浮かべた。
「ありがとう。本当に、世の中何が起こるかわからないものだわ……」
まさか自分まで大公位が回ってこないだろうと言う地位にいたエルシェに言われると真実味がある。さらに、大公になってすぐに選帝侯会議が開かれるようなことになるとは、当然思いもしなかっただろう。
「皇帝候補の皆さんの情報も集めなければいけないわねぇ」
エルシェがため息をついた。これらについては、エルシェが自力で情報を集めるらしい。ヒルトラウトたちの主観が入ってしまうと、どうしても流されてしまうから、と言っていた。公平、というかしっかりした人物だ。
「任せて。そう言うのは得意なの」
と自信たっぷりに言うエルシェの後ろで、今回、彼女をクラウスヴェイクから護衛してきた公国軍のヴィルヘルムス・ファン・ハーレン将軍がうなずいていたので事実なのだろう。
「……とりあえずエルシェ様。コルネリアが待ち構えていますので、お着替えを」
「……そうね」
少し早い気もするが、選帝侯の中でも最年少である彼女は早めに会場に付いた方がいいだろうと思われた。
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