死にいたる毒とは彼女のことである
学校へ通う春楡の通りは、洒落た石畳に黄色い落葉が敷かれ、それを曲がると銀杏並木の緩い坂が待っている。
少し走って来たので息を切らせながら、俺は目当てである二人の姿を探した。マロン色をしたロングヘアの楚々たる美少女と、おかっぱの黒髪をした小柄で痩せっぽちの彼女が、恋人つなぎのように手を組み合って歩いている後ろ姿をみつける。お前ら百合かよと思いながら、そちらに向かって又駆け出した。
金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の丘に
与謝野晶子の歌で『恋衣』というやつの中に入っていると、俺のみた少女マンガで主人公の女の子がそういっていた。今は朝だから夕日の丘じゃないし与謝野晶子を読んだことはない。ただ、彼女が何を考えているのか知りたくて少女マンガを読んでみた。孫子がいってる、敵を知り己を知れば、百戦して危うからず。残念ながら、肝心の敵が普通の女とちがうので余り参考にはならなかった。
「よう、美人がブスの側にいると、一層ブスが引き立つな」
後ろから紺色のコートと制服のスカートをめくる。白いパンツが片方にずれていて、吹き出物のある尻が半分みえた。
「馬鹿じゃない? ブスが側にいると美人が引き立つんでしょ」
彼女は恥じらう様子もなく、むっつりと俺を睨んだ。白いマスクをして茶色っぽいバーバリーチェックのマフラーを首に巻き付けているので細い顎はみえない。半分隠れた小さな顔からも赤い吹き出物が覗いている。
「あいかわらずブスが、ぶすっとしてるんだな」
尻と同じような面の彼女は、チョコレート好きなのが唯一の女の子らしいところかもしれないが、あいにくと柔らかく過敏な白い肌で吹き出物ができやすい体質には毒だ。あればあるだけ食べてしまうので買い置きはしないといっていた。苦いブラックコーヒーを飲みながら貪り食うのだが、それ以外の甘味には関心を示さず豆はアラビアン・モカをことのほか好む。特徴的な強い酸味の中にある甘さとコクがよいらしい。俺は何といってもブルマンだな、インスタントとのちがいはよくわからんが。
「あまり側に寄らないでよ」
おかっぱの黒髪を振るうと、素っ気ない声でそっぽを向く。いきなり嫌われたのかと動揺した。
「風邪気味で、夕べはお風呂に入ってないから臭う」
恥ずかしがったのだとわかってほっとする。彼女は嗅覚に敏感で気にする質だ。かといって、強い香も厭がる。俺は憖じ洒落っけなんぞ出そうとし、せっかくのデートで散々文句をいわれた。
「銀杏の実みたいな匂いがする」
そっぽを向いた彼女の肩先へ顔を寄せる。
「嗅がないでったら、変態」
ぎりっと歯が軋る音がしたから、無表情だがこれは怒っている。彼女は何かというとすぐ怒る、ブスという以外の何をいっても怒る。だから、可愛いなどと褒めてはいけない。あたかもブスであることに自信を持ち、ブスをアイデンティティとしているかのようだ。いってみればそれは使い慣れて垢と体臭の染み込んだタオルケットのようなものかもしれない。
「盛りのついた犬と、俺を罵ってくれ」
ともあれ、つい反応が嬉しくて、そうリクエストする。
「ええ、いいわ。踏んであげる」
俺の爪先に靴の踵が落ちた。
「大体ね、いまは銀杏の実なんて、そこら中に落ちてるじゃない」
彼女の怒りはまださめやらず、ぶつぶつとぼやいている。如何にもそのとおりであって、べちょべちょに腐りかけた実が臭っていた。
「俺は銀杏とかけっこう好きだぜ」
勿論、お前のこともな。家じゃ、よく茶碗蒸しや親子丼とかに入れてるし、親父が炙ったのを酒のつまみにしたりしてる。微妙に味がするようなしないような、そんな美いってわけでもない筈なのに、食ったらどっか癖になってしまいそうなところがある。ちょい弾力があるけど噛めばぺちゃっと潰れる、金物で殻を割るときに力が加えすぎても潰れる。
「あれは毒物よ、食べすぎたら中毒になるし死ぬわ」彼女はマスクをずらして、けほっと咳き込む。「――銀杏の種の中身には4-O-メトキシピリドキシンという成分が含まれているんだけど、ビタミンB6と構造がよく似ているから間違えて体内に取り込まれてしまうのよ。ビタミンB6は脳内で神経を沈静化してくれる物質であるGABAを作るのに使われる。いわゆる銀杏毒がそれを邪魔することになるから結果として神経が静まらなくなるわけ」
彼女は頭がいい、知識欲も旺盛だ。凡庸な俺はいきなりまくし立てられても半分しか理解できない。ただ可愛い声だからぼうっとして蘊蓄に聞き惚れているのがいつものことだ。花びらのように可憐な感じのする唇に見蕩れながら、その小さい口に俺のものを咥えさせて、喉の奥まで突っ込んでやりてえとか妄想したりする。
「興奮状態が続いて眠れなかったり、不整脈や呼吸困難……」
一緒にいると心臓がどきどきしたり息が苦しくなることがよくある。昨晩はお前のことを考えていて眠れなくなり、鬼のような顔をしながら痼った自分のものをしこった。二階にある部屋の屑籠が異様な臭気を放っている。ティッシュの固まりで籠が妊娠するぜ。お陰で今朝は、危うく寝坊しかけた。疲れて怠く、少し頭痛がする。飯を掻っ込んで走ったから、息が切れてるし吐き気もする。
「……めまい、下痢、嘔吐、そのうち痙攣を起こして意識混濁する。銀杏毒は熱に強いから煮ても焼いても食えない厄介な代物だわ。歳の数以上に食べてはいけないと、昔から言い伝えられてる」
食えないし厄介なのはお前だよ。食いたいのに年齢制限ってR18 かなんかなのか。
「おはよう、――くん。あたしもこともちょっとは気にかけてくれると嬉しいかな」
彼女にかまけてたせいで無視され中の美少女が幾分こわばった笑顔でいう。
「おはよう、室町さん。今日もきれいですね」
俺はさもさわやかそうにさりげなく挨拶を返す。
「えっ、空がですか。くっ、く、曇ってますよ」
顔をまっ赤にして狼狽えてるっぽいがみぬふりをする。四方から妬みの視線を感じるが気づかないふりをする。
最初は友人な美少女のほうが好きだった。ところが、悪友共とした馬鹿げた賭けの罰ゲームで彼女のほうに告白しろといわれたものだから、すっかりビビってストーカーみたいに周辺をうろちょろしながら眺めているだけだった。なにしろあいつときたら、顔がブスで性格もブスな癖に頭がいいと来たから最悪だった。
それがどのようにとちくるったものやら、みつづける内にいつの間にか好きになっていた。自分の気持ちに気づくとやもたてもたまらず、土下座せんばかりのみっともなさで告白したが、本気だとつたわってくれるまでに相当な時間がかかった。いまは自分のどこが好きなのかと聞かれて、顔も性格もブスなところだと応えれるいくらいにはなっている。
酷く杜撰なところと神経質なところがあり、男を蔑むような素振りでプライドをめためたにしてくれる。傍からしたら総じて不快で面倒くさい女だろう。あんなのどこがいいのかとよくいわれるが、もはやそこがいいとしかいいようがない。彼女は時折みせるふとした仕草が、ぞくりとするほどエロいことがある。これが恋なのか性欲なのかよくわからんが、そもそも切りわけられるようなものなのか。ただ彼女だけにしか感じられない、彼女と姦ることしか考えられない。
「あたしだって、――くんが好きなのに、こちらをみてくれないんですか」
項垂れた儘に美少女が何か呟いた。だが、この場かぎりのご都合主義により、俺は難聴系の鈍感主人公だから聞こえない。美少女に想われたら悪い気なんてするわけはない。だけれど、大切なのは彼女のほうだから聞こえないふりをする。
彼女がマスクをかけ直そうとするとき、ちらりと底意地の悪い笑みを浮かべた。ぞわりと尻の穴から背筋へと快感が這い上がっていく。昨晩、散々抜いたってのに勃って来た。
――ああ、本当にさ。俺は彼女が好きすぎて如何しようもない。妄想だけでもう中毒だ、食っちまったらきっと死ぬだろう。