サイコ博士とうちのスーパーサイエンス
少し大きめの新品の制服を着て、立ち並ぶ満開の桜を眺めながら、今日からうちも中学生!、と色々な出会いを期待していた頃からもう3度目の春だ。
そう、今日うちは3年過ごしたこの中学校を卒業する。
あの頃のうちには想像出来なかった出会いや経験、本当に充実した3年だったな……と中学校生活を振り返る。
そう、想像出来なかった経験。
……これから話す事は、多分全世界の中学生が経験した事がないであろう話だ。
さて、何から話そうか……
あの頃、中学校に入学したてのうち、最上のの子は新たな出会いに胸を踊らせていた。
ほら、中学校は他の小学校からも来る訳で、必然的に新しい出会いがあるでしょ?うちはそれが一番気になってた次第で。
算数から数学に変わり、英語までやる……勉強面に関しては不安しかなかったけど。
何だかんだで2週間くらい経った。勉強は想像してた通り難しかったし、何とか新しい友達も出来た。
……あー面倒だなぁ。いいや、初っぱなは飛ばす。だって本当につまらないし。
さて、中学校に入ってから本格的に違う所は何でしょう?
……そうね、先輩後輩の上下関係。けど、それが際立つのは……そう、部活。
私の話、その大半は部活の事。それ以外は……まぁ聞いてたら分かるよ。うん。
前置きが長くなったね、じゃあこれから部活の話。うちは小学生の時クラブ活動でブラスバンドをやってた。ちなみにフルート。
けど中学生になったし、別の何かをやりたくなった。でも運動部は論外だったんだよね。だって、きついし。
そんな根性なしなうちは文化部から、これだ!、って思った部活を選んだ。
それが、科学部だ。何か格好いいじゃん?目はいいけど眼鏡かけて、白衣なんか着ちゃって、試験管振りながらビーカーで煎れたコーヒーを飲む。そんなケミカルな雰囲気に一気に惹かれた。先入観で。
頭の良いあなた方はお察しの通り、その何も考えてないうちの先入観がその後の騒動のきっかけになった。
さて、ケミカルな雰囲気漂うであろう科学部。名前の通り、理科室でやってるからそこまで行く事にした。ちなみにうちは昔から、こうだ、と決めた事は曲げないタイプだから既に入部届は書いてきた。それが間違いだった。
ちなみに理科室は別棟の2階の一番奥、3階の音楽室の下にある。あー、場所説明しづらい……仕方ないんです、みんなそう説明するんです。
で、理科室前に着いたうちはノックしようとした。すると中から高笑いが聞こえてきた。多分女の人だとその時は思った。ケミカルな人と高笑い……そうなんだよね、もうテンプレ通り。で、そうしたらもうお察しでしょ?
中には女の人みたいな高笑いを上げる、白衣を着た男子生徒が1人いた。たった1人だ。
「あ、あのー……」
そう言いながら、入部届を背後に隠したなぁ。何か反射的に。
うちの声に気付いた白衣の生徒……この人部長なんだけどね、あんな感じ、狂気に満ちたやらしい笑顔。それを浮かべて振り返った。
「何だ貴様は……まぁ誰でもいい。面白いものを見せてやる」
とにかく、口が悪かった。ってか、貴様、って使う人初めて見た。これが部長とのファーストコンタクトだったなぁ。
ちなみにこの時の実験は実につまらないもので、更に隠していた入部届を取り上げられて入部する事になった。
やられた。想像と違う。ここは変人しかいない。しかも、その変人はこの人だけ。
入部して3週間、うちの感想はそれだった。
入部前のケミカルな雰囲気、これはマッドサイエンティストの間違い。みんなも気を付けよう。
部活内容も科学実験じゃない、新しい理論の実証。
うちが入部した科学部は実際、科学部とは名ばかりのバカ部だった。そりゃ部員1人な訳だよ。
ちなみにこの白衣の部長は1年先輩の2年だ。名前は教えてくれなかった。けど、この中学校内ではかなりの有名人らしい。
サイコ博士。
それが部長だ。
何でも、1年当時超能力の研究をしてたらしく、意味不明な実験を周りが茶化した結果この通称が知れ渡ったと。
「……失礼しまーす」
こうだ、と決めた事は曲げないタイプのうち。退部の選択肢はなかった。
「来たな……貴様もコーヒー飲むか?」
ビーカーで煎れたコーヒーを勧めてくる部長。なかなか様にはなってるんだよな……白衣に切れ長の目、すっきりした鼻。所謂イケメンだ。眉毛が若干太いけど。
「いえ、結構です」
ちなみに、コーヒー豆は部活に使う名目で職員室から調達してくるらしい。
うちは断って、白衣を着てから椅子に座り、宿題を始めた。そうそう、この白衣は入部してすぐに部長から貰ったものだ。
『サッカー部、野球部、バスケ部、全ての部活にはユニフォームがある。我が科学部はこの白衣だ。着るがいい』
なるほど、と納得してしまった当時のうちをひっぱたきたい。
宿題をするうちを確認して、部長はコーヒーを飲む。
平常時は何もしない、自由にしていい。それがこの部活だった。
『科学とは、ひらめきである』
これが部長の持論らしい。つまりかいつまんで言えば、思い付いたら部活するから、である。しかし、うちはこのスタンスが気に入っていた。何せ、家で宿題をしなくていいのだから。
その日もそうなると思っていた。
「……もうすぐ夏だな」
「まだ5月ですよ」
「光陰矢の如しという言葉を知っているか?」
「……100歩譲って、もうすぐ夏ですね。で?」
「夏と言えばプールだな」
「……はぁ、そうですね」
「……助手、明日は水着を持参しろ」
「は?」
「研究だ」
これが部活開始の合図。つまり、このやりとりで閃いたらしい。
しかし水着持参が条件だから、今日すぐは無理だ。その辺は部長も分かっている。分かっているはずだ。
部長は綺麗な黒板に、長ったらしい数式を書き始めた。そして、一言。
「今日の部活は終了だ、明日の実験に備えて早く帰宅するがいい」
遠回しに、早く帰れ、と。
「失礼しまーす」
「来たな」
次の日。部長は既に理科室でスタンバってた。
「本当に部長は早いですね」
「我輩は科学を愛しているからな。それに、我輩が鍵を開けねば貴様は入室出来まい?」
ごもっともだ、と思った。あと、この人病気だ、とも思った。
部長はビーカーで煎れたコーヒーを勧めてきたけど断る。これはもはやルーチンワーク化していた。
「ときに貴様、水着は持参しているな?」
「はい、まぁ。普通の水着ですけど」
まだ新しい水着は用意していない。小学校で使っていたスクール水着だ。
「水着であるなら何でもいい。それと貴様、今日は体育であったはずだ。体操着はあるな?」
「え?あ、まぁ、はい、何で知ってるんですか?」
引いた。気持ち悪い。
「後輩の授業くらい把握してるに決まっておろうが」
引いた。気持ち悪い。
部長はコーヒー入りのビーカーを置いて、うちを指差した。
「さて、実験に行くぞ。水着と体操着を用意しろ」
「え、はい……とりあえず内容だけ」
内容は気になる。体操着と水着……まさかとは思うが、如何わしい事をされるのでは?と考えていた。仮にそうだとしたら容赦なく叩きのめすが。
うちは、合気道初段だ。
「何、ただ単純な実験だ。貴様が想像しているような如何わしいものでは断じてないから安心するがいい」
何かムカつくけど一安心だ。
部長は理科室の鍵をうちにぽいっと投げた。
「着替えるがいい。水着の上に体操着だ。濡れてもいいようにな。我輩は退室させて貰う」
そう言い、部長は理科室を出た。鍵を掛けながら、意外と紳士だな……と思ったのは内緒だ。ちなみに、水着は理科室に来る前に寄ったトイレで着用している。準備がいいうちを褒めるがいい。
さっさと体操着に着替え、白衣を着たうちは鍵を開けた。何せ、ユニフォームらしいから白衣はいるんだろう。それに、何気に初部活だ。
「お待たせしました」
「早かったな。では、行くぞ」
そう言って、ずんずんと歩いていく。後ろからでもその尊大な態度が丸わかりだ。
不安しかなかった。
そんなこんなでプールに着いた。大体予想はしてたが……
そして、プールには水泳部もいる。5月から既に水泳をやっているのは理解に苦しむ。うちは無理だし、普通は他の中学校もまだ泳がないんじゃないだろうか……
「お、見学か?」
顧問の先生が声をかけてきた。しかし、隣の部長を見るや表情を曇らせた。部長はそれを知らずか、さも当然のように言った。
「プールを少し使わせて頂きたい」
いや駄目でしょ、部活やってるし。
「駄目だ。水泳部が使ってるし、大事な時期なんだ。邪魔するなら帰れ」
ですよねー。夏には大会あるし。
「ふん、ならば我々にも使う権利はある」
は?
「我々も部活だ。そして、大事な実験である。それに、邪魔をする、とは言っていない。プールを、少し、使わせて頂きたい、と言ったのだ」
屁理屈だし、意味が分からなかった。
「それが邪魔なんだ、帰れ」
「ふむ、頭が固いな。下手に出ればいい気になりおって……ならば勝手に使うまでだ。助手」
「え?へっ!?」
次の瞬間。うちはプールに突き落とされた。
春のプールだ、冷たい。死ぬ。
「馬鹿!準備運動もしてないのに!おい、助けてやれ!」
水泳部の人達がうちを助けようと近付いてきてるのが分かった。その時だ。
「余計な事はしないで頂きたい!!」
部長が無駄にでかい声で叫んだ。思わず固まる。
「大事な実験だと言ったであろう!教師という立場でありながら、部活の邪魔を、学問の邪魔をするというのか!!」
……いや、助けて下さい、寒い。
「馬鹿か!助けてやれ!」
うん、早く助けて下さい。冷たい。
「貴様……ならば貴様にも実験に付き合って貰おうではないか!」
「何?おいっ!」
部長は顧問をプールに突き落とした。
「ハーッハッハッハ!いい気味だなぁ、五味先生!我輩の実験に参加出来る事を誇りに思うがいい!」
五味って言うのか、この先生。
女の人みたいな高笑い。プールの中で怒鳴ってる顧問の五味先生、どうしたらいいか分からない水泳部。
そして、冷静になったうち。
このプールは、実に不思議な空間だった。
ようやくプールから這い上がった五味先生は、部長を怒鳴りつけた。何って言ってるか分からない。そして、震えている。寒いからか怒ってるからか……うちには分からない。
部長はそれをぶった斬った。
「……騒がせて済まなかったな、貴様ら。助手、上がっていいぞ」
うちも早く上がればいいのに、それをやらなかった。言われてようやくプールサイドに手を掛けた。
が、うちはプールから出なかった。
それを見た部長はにやりと笑っている。
「……実験は成功だな、助手。出るがいい」
「え、いや、ちょっと……」
周囲も頭上に?が浮かんでいる。が、水泳部の1人は納得したような顔をしていた。
そう、水温に慣れて、むしろ外の方が寒かったのだ。だから出たくなかった。
部長は高笑いをして、さながら全世界に通告するように、自信満々に叫んだ。
「ハーッハッハッハ!これが我輩の実験……名称は、プール原理、だ!」
うち含めぽかんとする人達に、更に続けた。
「今いる環境がどれだけ過酷であろうが、その環境に慣れてしまえばむしろそこから出たくなくなる……それがプール原理だ。今の助手のようにな。奴は今、プール原理によりこのプールからは出られない、今の環境……プールの水温に慣れてしまったのだからなぁ!!」
そう言って、部長は白衣をばさっ、と靡かせた。手で。
「ともあれ、実験は成功だ。助手、感謝する。部室にストーブを用意してある、コーヒーも煎れよう。早く上がるがいい」
うちは水泳部の人達に、障害物を撤去するようにプールから上げられた。
寒い、死ぬ。
必死にプールへ飛び込もうとするうちを、水泳部達が羽交い締めして抑えた。ついでに、タオルを貸してくれた。
「そして、プール原理にはもう1つ特性がある」
そんなうちを見ながら、部長はまた白衣を靡かせた。手で。
「……中毒性」
中毒性?
「その環境に慣れてしまったら、その環境からの脱出は困難を極める。今回の実験では、水温に慣れてしまったが故に外気温に耐えられなくなった訳だ」
そうだ、むしろプールの中の方があったかい。
「少し時間はかかるが、他に今よりいい環境がある……そんな場合に限り、現状維持を選択する。さながらその環境は、麻薬のように当事者を縛り上げ、連れ戻す」
確かに。うちはもし目の前にストーブがあったなら迷わずに出ていた。しかし、ここから距離のある部室。それならここにいた方が良い。そう思ってしまった。
「仕事にもこのプール原理は適応される。現在の給料が30万弱だが、仕事内容辛いな……そう考えたとしよう。求人誌を見てみると、今より待遇は遥かに良くなるが、給料は28万だ。結果その仕事を始めたとして、かなり近いスパンで、理想と現実のギャップやストレス、不満が訪れる……その時だ。辛いだけで、以前の勝手が分かった仕事を辞めたのは失敗だった。また、あの仕事をやろう……とな。それが、プール原理の中毒性だ」
な、なるほど……
部長は一息ついて、五味先生に語りかけるように続けた。
「…………五味先生、貴方は水泳部の顧問、いや……教職自体を辞そうとしておる」
え?そうだったの?
「一昨年から続く水泳部の業績不振が原因か……我輩には分からぬが苦悩したであろう。しかし……見つかった次の仕事を、今より待遇が良いだけで、果たして最後までやり遂げられるのか?学生の頃から目指した教職を、水泳部を手放した貴方に」
……
「我輩は学生故に、大人の事情は分からぬ。しかし、これだけは断言しよう。待遇が全てではない。現状が気に入らないのであれば、自らの力で打開すれば良い。教師になれる頭脳があるのだ、それくらい容易い事であろう?目先の利益より、昔から大事にしている情熱。これを忘れない事ではないだろうか?あとは貴方の人生だ、好きにするがいい」
……その場で膝から崩れ落ちた五味先生。そこに群がり、涙を流して非力を詫びる水泳部の人達を見て、うちは少しだけ感動した。普段から変人なこの部長の口から、まさかこんな言葉が出るとは……かなり見直した。
「……ありがとう」
五味先生の口から、そんな言葉が聞こえた。
その後、うちと部長は滅茶苦茶怒られた。
そして今年の夏、この弱小水泳部は県大会優勝という偉業を成し遂げる事になるが、それはまた別のお話。
……エピローグ……
「……怒られたな」
「怒られましたね」
「我輩の理論は完璧であったのに……」
「そうじゃないでしょ、色々問題です。結局、水泳部の邪魔してましたし……うちが風邪引いたら責任取って下さいよ?」
「ふん、科学の発展に犠牲は付き物だ。何より、あの腑抜けた部員共なら何をしても成績は悪いだろう……現状の、ぬるい水温に満足しているならな」
「…………その辺り、見越してたんですか?あの五味先生が辞めようとしてる事とか」
「当然だ。そもそもこんな季節から入水する時点で、我々は練習不足だ、と言っているようなものだ。顧問に関しては、車の助手席に付箋付きの求人誌を置いていた。分からぬ方がおかしかろう」
「……凄いです、正直尊敬しました。もう探偵になったらどうですか?」
「我輩は科学を愛している。事件や犬探しに興味はない」
「そうですか……勿体ないなぁ、と思いますが」
「我輩よりも情熱を持った者が探偵になればいい……コーヒーだ、飲むがいい」
「ありがとうございます……あ、砂糖多めだ」
「すまないな、我輩のさじ加減だ……普段から頭を使う故に糖分をな。作り直そう」
「いえ、ちょうどいいです、ありがとうございます。頭使うかぁ……確かに部長、先の先まで考えてますもんね。プール理論の実験、水泳部とか五味先生の事考えてやったんですよね」
「プール原理だ。それと、連中に関しては実験の副産物でしかないがな、ハーッハッハッハ!」
「えぇ!?ついで!?」
「我輩は実験の結果が重要であって、連中や顧問がどうなろうと知った事ではない!正直、顧問が教職を辞した所で、だから何だ?程度の些事である!」
「……うーわ言いきった!意味は分からないけど言いきった!返して下さい!うちの感動返して下さい!」
「出た!感情でものを言う非論理的な人間!めんどくさい人間!」
「非論理的で何が悪いんですか!うちは科学一辺倒の利己的な人間よりはいいと思いますけどー!」
「貴様ぁ、言うに事欠いて何と言った!?」
「科学一辺倒で利己的な人間と言ったんですがー!頭良くても耳悪いんですねー!」
「それで何が悪い!それと聴力はすこぶる好調だが!」
「冷たすぎるんですよ!」
「下らん!感情論を語る奴は必ず運動会で泣く……貴様もどうせ泣くのであろう!あーめんどくさいめんどくさい!」
「素直に感動して何が悪いんですか!」
「貴様のような人間が国語の朗読でやたらめったに感情込めて読むのだ!失笑ものだぞ、その幼い精神の是正を……ぷふっ、進言する!」
「あー笑った!まだやってないのに笑った!」
「まだ?ならやる予定か!あー恥ずかしい恥ずかしい……ひひっ」
「本気で頑張ってる人を馬鹿にするとか……本当に冷たいですね、赤い血流れてますか~?」
「ふん、血中のヘモグロビン濃度は正常だ。貴様には常識がないのかな~?」
「出た、すぐ論理的に話す!本当に頭固い、あー冷たい冷たい!」
「何だと貴様ぁ!」
「何ですかこのサイコ博士!」