1/かつて失くした未来の君と、これから出会ういつかの君と。
「五十点」
そう彼女が言った瞬間、僕の余裕の笑みは凍り付き、砕け散った。
彼女が気の毒そうに眉を寄せているから、僕はよほど間抜けな面をしているんだろう。
口をあんぐりと開けて、目を魚みたいに丸くして。
でも、だって、そりゃあそうなるさ。
二十七歳、一世一代の大勝負だったんだ。
僕はたった今、プロポーズしたんだぜ?
その返事が、五十点?
二〇一五年十二月二十四日。
眼下には夜景が広がり、空からは祝福の雪の降る、出来過ぎた輝白の夜。
聖夜の後援を得て行われた、満を持してのプロポーズ。
仕事は定時退社。頑張った。仕立てたばかりの一張羅に着替えて彼女と合流、三十階建てのホテルのてっぺん、予約を済ませたレストランの扉を潜った。
彼女の好きなムニエルと白ワインに舌鼓を打つうちに、ピアノの生演奏が始まる。曲目はニュー・シネマ・パラダイスのメインテーマ。彼女が最も好きな映画の一つだからと、事前にリクエストしておいた。
組んだ両手に顎を乗せてピアノに耳を傾ける彼女は、陶酔したように目を弓なりにしている。頬は僅かに赤みが差して、目はうっすらと潤んでいた。
演奏が終わる。
一呼吸分の時間を置く。
僕はおもむろに指輪の箱を取り出す。
そして決定的な一言を放つ。非の打ちどころもない。
あとは彼女が頷くだけだ。
まるで在るべきところに在るべき言葉が、緻密且つ自然に収められた完璧なエピローグ。
なのに、なんで?
収まりどころを見失った指輪が、居心地悪そうに小さな箱の中で震えている。皺一つないパリッとした一張羅が、いまは陰鬱を吸い込んだように黒ずんでいる。
二の句を継げない僕を見かねたか、彼女は嘆息を挟んで立ち上がった。肩をくすぐる黒髪が流れ、赤いワンピースの裾が翻る。黒のカーディガンとの対比がスタイリッシュな、芯の通った彼女らしいコーディネート。
「ごめんなさい。保留にさせて」
彼女はバッグから財布を取り出し、一万円札を二枚、テーブルにそっと置いた。
茫然としたままの僕を置いて、彼女は出口へと踏み出す。
咄嗟に呼び止めた僕が放ったのは、それこそこれまで準備してきた一切を台無しにする一言だった。
「それ――それって、百点満点なのか?」
その後の記憶は曖昧だ。
彼女が最後にどんな顔をしていたのかさえ覚えていない。
しこたま飲んだ気がする。そんなに強くないのにさ。遠慮がちにデザートのことなどを尋ねてきたボーイにタクシーの手配を頼んだ、と思う。
気が付けば自室に一人きり。こんなはずじゃなかった。
四年も付き合ったんだぜ?
出会いのきっかけは、ラジオ番組の公開録音イベントだった。
レッドムーン。
それが彼女のラジオネームだったことを知ったときは本当に驚いた。だって僕は、パーソナリティの語りより何より、レッドムーンの話が大好きだったんだから。
そういえばさ、今日はラジオの日じゃなかったっけ。
なあ、
ラジオつけてくれないかな。
暁、
月村 暁さん。
いくら呼んでも、僕に五十点を叩きつけた彼女の応答はない。
部屋に一人きり。
孤独な身体がベッドに沈み込んでいく。
深く、深く、沈み込んでいく。
暁。
翌朝。
僕は高校生になっていた。