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黒羽天 ─愛憎の退魔少女─  作者: 壱原優一
第1章 異界学校迷宮
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剛は柔と交わらない

 着替えも完了し、さてそろそろ移動しようかと思っていた矢先のことだった。

 ほたるの耳が微かな声を捉えた。

 雲雀にも確かめるが、彼女は首を横に振る。


「気のせいじゃない?」

「うーん、聞こえたと思ったんだけどなぁ」

「まさか人?」

「わかんない」


 答えながら教室内をキョロキョロと見回す。

 中で聞こえたように思えるのだ。

 だとすれば、人ではないだろう。


 そのほたるの動向から察したのか、雲雀は拳銃を構えて警戒心を起こした。


 ほたるは心中では、雲雀にこそ不安を覚えていた。

 彼女は妖怪と見るや否や問答無用で攻撃を仕掛ける傾向がある。

 音楽室や図書室では特に顕著で、一度はそれで自らを危機に陥らせた。

 退魔師として何か間違っているわけではない、ここが敵地である以上は出てくる妖怪全てを敵と思うのは当然なことだ。

 ただ、ほたるはどこか馴染まない風だった。


 退魔師を思想において大別すれば二種になる。

 一つは妖怪との共生を図る“ニギミ派”であり、椿坂ほたるを擁する椿杜神社だけでなく、現代の主流となっている考え。

 そしてもう一つが“アラミ派”だ。

 これはヒトへの害の有無など関係なく、いや全ての妖怪は有害に他ならないから殲滅すべきという考えで、かつては優勢を誇っていた。


 ほたるは道化師の問いかけを思い出していた。

 彼女が退魔師となった理由……。


(親に捨てられたんじゃないなら、きっと──)


 だが思索は唐突に中断させられる。


 ぼうっと背後に気配を感じて、ほたるは振り返った。

 そこには一人の少女がいた。

 二つ結びを前に垂らし、真面目そうな風貌をしている。

 ブレザーを着こなす姿から、ほたるらと歳の差はほぼないようだが、その身体は半透明で向こう側にある壁が見えてしまっている。


「助けて」


 少女は確かにそう言った。

 先も、そして今もだ。


 雲雀が銃を構えた。

 ほたるはぎょっとして、少女と銃口の間に割って入った。

 そして慌てた声をあげる。


「ちょっと待ってよ!」


 雲雀は心底小馬鹿にするように、鼻で笑い捨てた。


「また、それ。さっきもそうよね、ピエロの時も止めた、遅かったけど。いや遅いと言えば、貴女の攻撃よ。いつも後手に回ろうとする。それでよく退魔巫女ね?」


 ほたるは絶句した。

 彼女の瞳が強い意志の光を発していたからだ。

 初めて顔を合わせた時、廊下を苦しそうな顔で走っていた時、ピアノの狂奏を止めようとした時、何度か見たことのある光が背後の儚い少女にも向けられている。

 そのことが信じられなかった。


「この娘は、幽霊だよ?」


 説得を試みながら、肩越しに少女の様子を窺う。

 困惑した表情を浮かべていた。

 それもそうだろう、助けを求めて現れた途端に、そっちのけでボーイッシュと巫女が口論を始めた上に、口を挟める雰囲気でもないのだから。


「“根なし草”だからって、馬鹿にしてる?」


 雲雀の舌打ちに、ほたるの肩が小さく跳ねる。


「そ、そんなこと……!」

「幽霊は実体なき妖怪というのが、退魔師わたしたちの定義でしょう。知らないとでも思った?」


 常識的な現代人、妖怪の存在を信じぬ者であっても、幽霊の存在を信じる者はいる。

 二者を区別しているからであろう。

 霊感の有無とは信用の有無なのである。

 もっとも生まれつき勘が良く、真実の世界を視る者もいることはいるが、そういう者は幽霊も妖怪も同等に認識しているはずだ。


 幽霊は人や動物の死後に、魂だけとなった姿などではない。

 れっきとした妖怪だ。

 実体はないが霊気、正しくは妖気を費やして物質に働きかけることもできる。


 害を為す者ならば当然、ニギミ派の討伐対象と成りうる。

 そのような幽霊は、そこから更に凶悪な妖怪へと転じる危険性も孕んでいる。

 悪霊、怨霊と呼ばれる存在だ。

 これらの中には実体を得る者もおり、一般的には実体のある妖怪の方が強力であるとされている。


 そのことを、退魔の家に生まれ育った椿坂ほたるが、知らぬはずがない。


「そうじゃなくて! 元は人間なんだよ?」


 その言葉がどれだけ薄っぺらいものかも、知らぬはずがないのだ。

 人間から妖怪と成った例は幾らでも挙げられる。

 親元で学んだことだ。


 しかしほたるは、その言葉で拳銃を下ろして欲しいと願っていたのだ。


「今は妖怪よ」


 だがそれも無情な声に打ち砕かれてしまう。

 海の底を思わせる冷たい声に怯みながら、ほたるは「でも」と絞り出す。


「助けを求めてるじゃない」


 そして背後で佇む少女に仔細を求めるも、彼女が口を開く前に、雲雀の鋭い声が通る。


「どうして妖怪なんかを、助けてやらなくてはならないの!」


 彼女の瞳の奥から漏れ出る漆黒に射抜かれて、ほたるは戸惑った。


「ねぇ、なんか変だよ。せめて話ぐらい聞いてからでも──」


 次に言葉を遮るのは一発の銃声だった。

 足元に弾丸が撃ちこまれたのだ。

 そのあまりにも過ぎた行いに、ほたるも自然と怒気を孕んだ声音になる。


「そうやって、なんでもかんでも撃つから、さっき死にかけたんじゃない」

「……なんですって?」

「少しは冷静になったら?」

「私は冷静よ。敵に背を見せるような馬鹿な真似、絶対にしないわ」


 両者の睨み合い。

 そこへ遂に「あの……」と幽霊少女が割って入ろうとして、


「貴女は黙ってて!」


 デュオで怒鳴られた。

 少女はまた背に隠れて、縮こまる。

 その姿は本当に年相応の人間の女の子のもので、とても悪い妖怪には見えない。


 ほたるは雲雀に優しく問いかけてみる。


「そんなに妖怪が憎い?」


 彼女は目を伏せて、何か逡巡しているようだったが、やがて小さく「憎いわ」と呟く。

 そしてもう一度、今度ははっきりと答えた。


「両親を殺されて、憎くないわけないじゃない!」


 その悲痛な面持ち、黒く鈍い光を放つ瞳を前にして、ほたるは急に悲しくなる。

 ほたるは、あの強い意志のある瞳に心のどこかで信頼感を抱いていた。

 憧れもあった。


「復讐したいって気持ちはわかるよ」

「はっ! 知った風な口を……」

「私だって! もしもそんな目にあったら、そいつを殺してやりたいって思う!」


 大切なものを汚されて、沈黙する者などいようはずがない。

 復讐は当然の感情だ。

 だが雲雀のそれは──


「でも……そいつだけだよ」

「何が言いたいの」

「仮に、もしも仮に、人間に殺されたのなら、貴女は人間全てを殺したい思うの?」

「……人と妖怪は違う」

「じゃあ犬だったら? 熊だったら! それも違う!? 何が違う! 答えてみろ!」

「うるさいうるさい!! 何を言おうと説得力なんてないわ! アンタに私の気持ちはわからない!」

「わかんないよ! だって私は、絶対に、雲雀ちゃんみたいに八つ当たりになんて走らない!」

「このっ!」


 ──八つ当たり。

 そう言った瞬間、雲雀は片方の拳銃を捨てて、ほたるの右頬を平手でぶった。

 銃を使わなかったのは、かろうじて引き止めるものがあったのかもしれない。

 この至近距離ならば、対妖怪の弾丸と言えども額を裂くくらいのことはできただろう。


 叩かれても尚、ほたるは口を噤むことを良しとしなかった。


「だってそうでしょう!? 誰かに家族を殺されたからって、人間を全部嫌うわけないじゃない。犬でも、熊でも同じ。妖怪でもそうでしょう? 殺してやりたいと思うのは、そいつだけだよ! それ以外を敵視するのは八つ当たりだ!」

「わからないから……実際に殺されていないアンタには……わからないから……」


 雲雀の足が、一歩後退する。

 ゆらゆらと瞳が揺らいでいる。

 追うようにほたるは前に出た。


「わかんないよ。ごめん。でも、今の雲雀ちゃんが間違ってるのはわかるよ。復讐するなとは言わないけど、八つ当たりはダメだよ……。この娘は関係ないじゃない」


 今までの激しい口調はやめて、諭すように語りかける。

 雲雀がまた後ろに下がった。


「でも、でも」

「敵だとわかったら、その時に倒せばいいじゃない。それでもきっと遅くないから」


 何度も頭を振って、彼女は否定し続ける。


「ほたるには、わかんないわよ」


 そして最後にそう言うと、踵を返して駆けだした。


「待って雲雀ちゃん!」


 ほたるの呼び声が空しく響く。

 東風谷雲雀は別の教室へと消えてしまった。

 戸はしっかりと閉じられている。

 今から追いかけたところで、行き着くところは違うだろう。

 やりきれない複雑な表情で、ほたるは残された拳銃を拾い上げて袂に収めた。

 それから幽霊少女に視線をやれば、状況を飲み込めずながらも、申し訳なさそうな表情を浮かべていた。

 それを晴らせればと笑顔を浮かべて、なるだけ元気な声をあげる。


「あはは、気にしないで! 喧嘩くらい友達だとよくするでしょー?」


 果たして彼女は友達と呼べるのか、そんな疑問が脳裏をよぎった。

 答えは出ない。




 東風谷雲雀は鬱憤を晴らすかのように、床を強く踵で踏んだ。

 場所は保健室。

 真っ白な壁面と薬品臭さが鼻につく。

 まだ苛立ちが収まらない雲雀は、ポケットからピルケースを取り出して、その中の錠剤を一つ摘まむと、口に放り込んで唾液で飲み込んだ。霊力増強剤だ。

 彼女はそうして得た力をもって戦っている。

 雲雀は自身が何に煩わしさを覚えているのか、わかりかねていた。


(八つ当たり? ふざけたことを……)


 ほたるに言われたこと、それには当然腹立たしい思いがある。

 秘めた心のうちを、事情をろくに知らない第三者に、土足で踏み込まれては堪らない。


(殺してやる)


 だがしかし、それだけではないような気がしていた。

 椿坂ほたるという名の巫女を、口汚く罵ってみたところで、きっと心が晴れることはないように思える。


(殺してやる)


 ではあの幽霊少女を消滅させるか、忌々しい道化師を消滅させるか。

 いやそれでもやはり、何一つすっきりできないだろう。


 もしも、この仄暗い魂を成仏させることが可能だとすれば、それはやはり、雲雀から常識を根こそぎ奪い去った、あの妖怪ただ一つを


(殺してやる!)


 ことだけに違いないのだ。

 決意を新たに固めた頃、不意に耳元を風が通り過ぎて、


「本当はわかっているはずだ」


 そう囁く声がした。

 雲雀は思わず飛び退きながら 「誰っ!?」 拳銃を背後の空間へ向けて乱射する。

 その先にあったのは薬品棚だけで、ガラス戸やビンを壊したのみだった。


「誰、今のは」


 自身に問いかけてみても答えはでない。

 溌剌とした男のものだった。

 覚えはないはずなのに、どこか懐かしさを感じる。


(いったい、何がわかってるって……?)


 わからない。

 だが今一つだけ、わかることがあった。


「今の、お前ではないわよね?」


 銃口をベッドの方へと向ける。

 カーテンに遮られて、その向こう側は窺えないが、ゆらゆらと妖気を感じる。

 音もなく、真っ白な布が真横に断ち切られた。

 はらりはらりと舞い落ちて、その純白の肢体が明らかになる。

 一体の骸骨。

 骨格標本。

 それがカツカツと顎を鳴らし、ゆらりと白刃を構えては言う。


「さァて、何のことでしょう。あっしには、とんと見当がつきませんで」

「やけに時代がかった口調ね」

「ご覧の通り、骨になるほど生きてしもうたもんで」


 またカツカツと顎を鳴らす。

 雲雀はそれでついに、笑っているのだと気付いた。


「で、敵かしら?」


 引鉄にかかる指に力を込めて凄む。


「如何にも。名を“ぶるーの”と発しやす」

「日本名じゃないの?」

「独逸製なもんで」

「ふーん」


 構えた刀をよく見れば、それもまた骨のようだ。

 おそらくは肋骨のものか、一本だけ胴体から欠けているものか。


(やけに白いわけだわ)


 その上日本刀よりも短く、反りが深い。

 ただ先端は本来よりも鋭く。


 ゆらりゆらりと白い影は左右に揺れている。

 そしてカツカツと愉快そうに顎を鳴らし続ける。


「自らの領域を侵されて、是とする愚か者はいないでしょうよ」


 その言葉を合図に、骸骨が切りかかってきた。

 瞬間、雲雀の得物が咆哮をあげる。


「いいえ、お前は戦うのが好きなんでしょう!」

「趣味と実益という言葉があるもんでさぁ」


 拳銃使いと刀使い、両者の火蓋が落とされた。


(そうよ、こういうのが良い。こいつは敵だ、殺しても文句はないでしょう?)


 それは誰へと向けた問いかけだったのか。

 雲雀の瞳はまだら色を消し去って、強い意志の光を灯していた。

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