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黒羽天 ─愛憎の退魔少女─  作者: 壱原優一
第1章 異界学校迷宮
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道化師は退屈屋

「何者っ?」


 手を止めて振り返る。

 その先にいたのは一人の道化師だった。

 針金のように細長い。

 左右の目の上にそれぞれ描かれる、ぐにゃりと歪んだ星型と菱形が特徴的だ。

 ぴょんぴょんと不揃いなスキップをしながら、道の向こうからやってくる。


 雲雀に拳銃を向けられると、おどけた風に両手を振った。


「おやおや、お待ちなさいよ。ワタクシはしがないピエロです。そんなものを向けてはなりませんよ」

「はんっ。私はピエロが嫌いなの。──撃つわ」


 二つの破裂音が、ほたるの耳朶を切り裂いた。

 だが圧し固められた霊力はピエロを掠りもせずに、明後日の方向へと飛んでいってしまう。

 続けて二発撃ったところで、結果は同じだ。


「ちょっと雲雀ちゃん!」


 ほたるは思わず声を荒げてしまった。


 初めて現れた人語を解する妖怪だ。

 何も聞かずにいるよりも、少しは情報源とした方が良い。

 もしかしたら害意はないのかもしれない。

 だから今回、銃弾が逸れたことはどちらかと言えば幸いだと思った。

 雲雀にとっては、最悪の出来事に違いないが。


「ワタクシはこの図書室を任されております、ピエロと申します」


 雲雀に憎々しげな瞳を向けられても、道化師はまるで動じず、恭しく頭をさげて自己紹介をする。

 もっともその名前はありのまま過ぎて反応に困った。


「それで、アンタがこの学校を異界にしたの?」


 雲雀の問いかけに、彼はにたにたと嫌らしい笑みを浮かべる。


「その前に拳銃使いのお嬢さんにはペナルティです」

「は?」


 虚をつかれたのは雲雀だけではなく、ほたるもだった。

 二人してぽかんと口を開けてしまった。


 その一瞬の隙が、まさしく命取り。


 ほたるの目が驚愕に染まる。

 雲雀がその喉奥から、半透明で白くぶよぶよとした物体を吐き出したのだ。

 見ようによっては蛙の卵のようにも見える。

 それは地に落ちることなく、宙をふわふわと飛んでいき、いつの間にやら道化師が手にしていた本の中へと吸い込まれていった。


「ちょ、え!?」


 戸惑いながらも、くずおれる雲雀の体を、咄嗟にほたるは抱きかかえる。

 ぺちぺちと頬を軽く叩くが、まるで反応はない。

 呼吸が酷く浅い。


 道化師に睨みを効かせて


「なにをした!」


 と叫んでみるも、彼は相変わらず真っ赤な唇を醜悪に歪ませるばかり。


「なにをしたかと聞いてるの!」


 もう一度そう叫んでようやくピエロの口が開いた。

 舌も喉も真っ赤だった。


「罰ですよ、罰。この図書室にはルールがある。わかっていたでしょう? 一つは本棚で作られた通路以外を歩くことは許されない。もう一つは、ワタクシに攻撃をしてはならない。ワタクシはこの図書室を任されているんですからね。そしてワタクシの許可なく図書室を出ることは許されない」


「そんなことを聞いてるんじゃない!」


 もはや柔和な笑みも、長閑な口調も消え去るほどに、ほたるは余裕を失くしていた。

 雲雀の肉体を横たえて、ほたるは薙刀の切っ先を道化師の喉元へと突きつける。

 もしかしたら、これでもルール違反なのかもしれない。

 けれど、せずにはいられなかったのだ。


 ピエロは表情を変えない。


「まぁ、これはセーフとしましょう。ワタクシは退屈が嫌いですので」

「答えないなら、ぶっ刺すぞ!」


 更に力を込める。

 理性と激情がせめぎ合う様を投影するように、その手は震えていた。


「もう大体予想はついているのでしょう? その通りです。彼女の魂は本になりました。タイトルは貴女が付けていいですよ」

「くっ……返せ!」


 この距離から彼が手にするそれを盗るのは、あまりにも簡単なことだった。

 いや、その口ぶりからすると最初から渡す気だったのだろう。


 ほたるは確かに本となった魂を抱いて、道化師から距離を取って雲雀の傍へと帰る。

 それを彼女の体の上に置いてみるものの、やはりそれでどうにかなるような問題ではないようで、彼女は目を閉じたままだ。

 体温の変化はないし呼吸もしているのは安心できることだが、それもいつまでか。

 魂の離れた肉体がいつまでも無事なはずがない、雲雀は最早死んだと言える状態なのだ。


「元に戻す方法は? 答えないなら……」


 普段のほたるからは想像できない、猛禽類の如き鋭い視線でも道化師は怯む様子を見せない。


「それは簡単です。ワタクシを倒せばいい。ワタクシの出す問題に答え、正解すればいい。ただの三度正解すればいい、間違えも三度までよいでしょう。魂だけではありません、この図書室からも解放しましょう。ワタクシはただ退屈を誤魔化したいだけなのです」

「なるほど、確かにそれは簡単ね。嘘でないならだけど」

「チートは遊戯を退屈にします。誓ってウソではありません」


 愉快な踊りを見せつけられながら言われても信憑性の欠片もないが、今は信じるほかなかった。

 雲雀の魂という質がある以上ペースは向こうが握っている。

 少しでも自分の側に引き寄せるには勝つほかないのだ、彼の言うルールの下で、完膚なきまでに。


 ほたるは深く深く息を吐いて、覚悟を決めた。

 負けた時のことなど訊く必要もない。


「それで問題は?」

「まずは後ろの壁にある魔方陣を解いてください」


 もう一度、白い壁へと向かう。

 マス目の下に、先ほどはなかった数字が浮かび上がっている。


 一、二、三、十一、十二、十三、二十一、二十二、二十三。


 これらで全ての空欄を埋めて、縦と横と斜めのそれぞれの合計が同値ならば魔方陣は完成する。

 最初から幾つかの数が埋め込まれている状態よりも難しいかもしれない。


「時間制限は?」

「おや考えていませんでしたが……そう言うのなら十分です」

「嫌味な奴」


 最初から時間は決めていたはずだ。

 退屈を嫌う者が何時間も解答を待つわけがない。


 ほたるは薙刀の切っ先を壁に押し当てて、削るようにしながら数字を記していく。

 見たところペンは用意されていない。

 わざわざ有無を聞くのは余計にペースを握られるようで癪に障った。

 肩越しに様子を窺うと、ニヤニヤしている。

 これも彼の掌の上ということだろうか。

 いや表情を崩していないだけだ。


 ガリガリ、ガリガリと漆喰の壁が傷つく音だけが聞こえる。

 作業は順調だ、邪魔される気配もない。

 公正だと言うのは本当かもしれない。


「……ふぅー」


 ようやく全てのマスを埋めることができた。

 振り返り、道化師に答え合わせを促す。


 合っているはずだ。

 さっき手にした本を捲った時に、同じ問題があったのだから。


「フムフム」


 壁にこれでもかと近づいて、もったいぶるように頷いている。


 それを見て、ほたるは次第に冷静さを取り戻していく。

 これの一挙一動を気にしても無駄だと悟った。

 そういう存在なのだ。


「だぁいせいかぁい! パフパフードンドン! いやぁ、まさか答えられるとは見かけによらず頭がよろしいようで」


 薄ら寒いファンファーレと共に拍手を送られても、最早ほたるは冷めた視線を返すだけになった。

 当然ながら挑発にも乗らない。


「……失敗したなぁ。これなら拳銃使いのお嬢さんがいた方がマシだった」


 あからさまに肩を落としてチラチラとほたるの顔色を窺ってくる姿には、流石に苛立ちを覚えたが。


「終わったなら早いとこ出して欲しいんだけど」

「ブッブー! まだまだあるよぉ!」

「さっきまでの丁寧な口調はどこいったの」

「テンションあげてかなきゃあ!」

(うざいなぁ)


 ピエロはひょこひょこと奇妙なステップを踏みだした。

 そしてそのまま次の問題へと移る。


「では続きましてぇ~……拳銃使いのお嬢さんこと東風谷雲雀は、何故退魔師になったでしょうか?」

「はぁ!?」


 あまりにも予想の斜め上の問いかけに、素っ頓狂な声があがった。

 無理からぬことだ、ナゾナゾにしろクイズにしろ、己の隣近所を題材にすることなど親しい友人間でもなければありえない。

 道化師が出してくる種類の問題ではないはずだった。

 だがここは異界なのだ。

 それに心を読む怪異は表の世界でも存在している。


「二十秒でお答えください。はいスタート! ちっちっちっ……」


 ほたるは迷った。

 僅かな時間で最大限に迷った。


 彼女の魂を閉じ込めた本ならば答えが書かれているかもしれない。

 現状を考えれば、書いてあることに賭けても良いだろう。

 もしもその魂と共に、そこに刻まれた半生が転記されているのならば必ず答えがある。


 プライバシーの権利など、命の前では吹けば飛ぶ程度の重みしかない。


 そう思えど、ほたるは本を開くことをしない。

 横たわったままの雲雀に背を向け続ける。


(後で雲雀ちゃんに言ったら『甘っちょろい』と怒られるかもね)


 時間が迫る、あと十秒。

 答えの候補はあった。本を読まずとも、ある程度の想像はできる。


 “根なし草”の退魔師というのは往々にして、その人生に深く非日常が染みついているものだから。


「……親に捨てられたから」


 例えば生まれながらに高い霊力を有していると、制御の出来ない幼いうちには奇怪な現象を、いわゆる霊障を引き起こすことがある。

 すると公的か私的機関のどちらかによって回収される、未来の退魔師として。

 親が拒否の意思を示すのは稀なことだ。


 だがこれは、ほたるが思う限りでは比較的マシなケースだった。

 だからこそ、当たってほしいと願っている。

 でなければ雲雀の過去に、より凄惨さを見出すしかなくなる。


 道化師はピタリと動きを止めると、大きく口を開けた。


「ざんねぇん! ま、答えを教えるような無粋な真似はしませんよ。……くひひ、これで一勝一敗ですね」



 実際本を開いていたら、どうなっていたか。

 ピエロだけが、その答えを知っている。


(なんてことはない、何も書かれてはいないのだから。だが個人の過去を勝手に知ろうとしたという結果は残る。弱味になる。……付け込む隙がないというのも、面白いことだなぁ)


 ほたるはクイズに不正解したが、不動のままでいたのは正解だったようだ。



 もっとも、気持ちの上では僅かなれど弱々しさが生まれている。

 雲雀の過去を色々と想像してしまって勝手に落ち込んでいる。


「まだまだ、これからです」


 故に、ほたるは精一杯に強気な声をあげた。


 虚勢でもいいから弱味を見せるな。

 現役退魔師の父にはそう教わった。


「ではでは、次の問題と参りましょうか」


 またもや奇怪なステップを踏む道化師に、ほたるは「やれやれ」と肩を竦める。

 すると彼の口元がニヤリと歪んだ。


「この学校で土佐の人のための部屋はどこでしょう?」


 だから、またもや個人的な問題が飛び出すのかと思い身構えたのだが、あてが外れる。

 あるいは外されたのか。

 ともかく、ナゾナゾだった。

 少しだけ考えて、答えを告げる。


「校長室」

「あらあら……大正解! いやぁ、流石ですねぇ」

「いいから次にいきなさいよ」

「はいはーい。では……目は一つ、手は二つ、足は一つ、これなぁんだ?」


 次もナゾナゾだった。

 かの有名なスフィンクスの問いかけにも似ているように思える。

 だがまるで見当がつかない。

 そのまま時間は経過して──「時間切れでーす!」


「くひひ。正解は、一本だたらでしたぁ! いやいや、残念残念」


 これで遂に二勝二敗、後がない。

 だからつい見苦しい言葉も出てしまう。


「ちょ、ちょっと待って! そんなのナゾナゾじゃない!」

「誰もナゾナゾだなんて言ってませんよぉ?」


 ほたるは何も言い返せなかった。

 内心では彼の言うとおりだと思っていた。

 全ては『クイズなのか、ナゾナゾなのか』との確認を怠った自身の落ち度が招いたこと。


 納得はできても、精神状態はそんなにもすぐには回復しない。

 動揺は思考を鈍らせる。

 二重の危機感が更に焦りを生む。

 後はないのだ、もう。


 踊りをやめたピエロが、ずずいっと、その白と赤で彩られた顔を近づけた。


「ではラストクエスチョン。……くひひ、御安心を。これは簡単なクイズですよ」


 そして囁くように問題を口にする。


「ワタクシは何者でしょーか?」


 ほたるの思考が止まった。

 何を言っているのか、瞬時に理解できなかった。


「ではスタート。制限時間は大サービスの一分です!」


 傍を離れて、ピエロはまた踊りだす。


 彼はクイズだと言った。

 それに偽りはないだろう。

 その上で問題をもう一度よく噛みしめる。

 何者か。

 それはどういう意味なのか。


(フツーに考えたら……妖怪? いや図書室の主だと言ってたから、それ? わからない。でも答えは今までの会話にあるはず)


 クイズとしてはあまりにもアバウトで、その答えは多岐に渡るようにさえ思える。

 もしかしたら、ほたるの答えに合わせて正解を変えてくるのかもしれない。


(ううん、それはない。さっきは引っかけられたけど、でも、そういう、答えを曲げるような真似はしないはず。そこだけは信用できる気がする)


 目を伏せ、額に手をやり思考に没する。

 ピエロはその姿を見下ろしながら愉快そうに笑っている。

 人が頭を抱える様が彼にとっては何よりの娯楽なのだ。


 やがて、ほたるが顔をあげる。

 残り十秒という時だった。

 道化師の口角が釣り上がった。


「……ピエロ」

「フム」

「しがないピエロって、自分でそう言ったよね」


 最後の沈黙は長い。

 溜めに溜め込んで、焦らして焦らして、けれど、ほたるは素知らぬ顔を貫き通して自信ありげに微笑んでいる。


 ピエロがふっと息を吐く。

 そして、


「だいっ、せいかぁい!」


 どこからか取り出されたクラッカーが、ぱぁん、と乾いた音と共に紙ふぶきとカラーテープの雨を降らした。


 がっくりと、ほたるの膝が折れる。


「よかったぁ……」


 心底ほっとした。

 長い溜めの間中、心臓がばくばく鳴っていて破裂しそうだったのだ。

 背後で身動ぎする気配がした。

 喜び勇んで振り返ると、雲雀がゆっくりと上体を起こし、寝ぼけまなこを擦っていた。


「雲雀ちゃーん!」


 思わず跳びつくと、雲雀は目を白黒させる。

 まだ状況が把握できていないようだ。

 しかしピエロの姿を捉えるや否や、即座に拳銃にへと手を伸ばす。

 その手をほたるがピシャリと叩いた。


「ダメだよ!」

「……どうして」

「それで痛い目見たでしょーが。それに彼はもう私たちに構わないよ。図書室からも出られる」

「でも……」


 それでも食い下がる雲雀だったが、道化師の一言に諦めざるをえなかった。


「もう一度本にしてあげても、ワタクシは一向にかまわないんですがねぇ」

「……わかった。わかったから、ほたるもそろそろ退いてちょうだい。重いわ」

「お、重っ!?」


 年頃の少女にその一言はあまりにも手痛い一撃。

 思わず固まってしまう。

 その隙に雲雀がするりと腕の中から抜け出して、ピエロを力強く睨み付けた。


「ねぇ」

「なんでしょう?」

「ここでは倒せないみたいだけど、学校を潰したら消えるんでしょう?」

「はて、それはどうかしらん」


 おどけた風に両手を挙げる道化師を、雲雀は鼻で笑って踵を返す。

 白い壁の中央に、出口が忽然と姿を現していた。


「先行くわ。あと、さっきのは冗談。軽いわよ」


 ほたるはハッとして、こそこそと二の腕や腹回りのお肉を確かめていたのをやめて雲雀の後を追った。

 その背に道化師の嫌な笑い声が飛び付いた。


「また来るのを待ってるよーん」

「絶対来ません!」


 振り返ることなく、ほたるは雲雀と共に壁の向こう側へと消えていく。

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