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黒羽天 ─愛憎の退魔少女─  作者: 壱原優一
第2章 “Loving can cost a lot, but not loving always costs more.”
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喪失

 やがて目の前に光が差し込む。

 真っ赤な光だ。

 気付けば山全体を夕焼けが照らしていた。

 広場はまるで燃えているかのようだった。


「クロハネ! なにをしてるのっ!?」


 赤い絨毯の上で、両手拳銃の狼女が──雲雀がのた打ち回っている。

 よくよくその地面を見れば、彼女を取り囲むようにして黒い円と、その内側に伸びる無数の線がある。

 線の一本一本がまるでミミズが如く蠢いている。

 ずっと見つめていると、気分が悪くなりそうだった。


 その円の傍では、クロハネが口の中で何か複雑な呪文を読み上げている。

 まるで見たことのない代物であったが、ほたるはそれが何かしらの術であると直感した。


「これは……なんの術!?」


 クロハネが涼しい顔で答えた。


「妖怪の部分を引っぺがすんですよ。ほら、影をよく見るといい」


 言われて、どうして今まで気付かなかったのだろう。

 西日に照らされれば影はとても長く伸びるはずなのに、雲雀のそれは違っている。

 彼女の影は円形をして、地に伏した体の下に停滞しているのだ。

 それを目指して、黒い線の一本一本がうねうねと伸長し、接着する。


「ォォォオオオ──!!」


 瞬間、雲雀が苦悶の雄叫びをあげながら、右手を振り回して乱射する。

 その姿に耐え切れなくなって、ほたるは円の中へと飛び込んだ。


「おい馬鹿やめろ!」


 クロハネが初めて声を荒げた。

 けれど時既に遅し。

 ほたるという異分子の混入のためか、黒い円が雲雀の影に集束していった。

 それは影と一体となって、次いで雲雀の全身を覆い尽くす。

 ほたるの顔が青ざめた。

 彼女の妖気が、霊気が萎んでいくのが見えたのだ。


「雲雀ちゃん!」


 と涙声で叫んで、伸ばしかけた手をクロハネが掴んだ。


「待ちなさい。問題はありません」

「で、でも……!」

「私も焦りましたが、まぁ大丈夫でしょう」


 その言葉を証明するかの如く、影は彼女の体から退いて、這いずりながら離れていく。

 露わになった雲雀の姿。

 それを抱き起して、ほたるは何度も呼びかける。


「雲雀ちゃん! しっかりして! 目を覚まして!」


 ぺちぺちと軽く頬を叩きながら。


「……ん……んん?」


 その刺激を煩わしそうに手で払って、ようやく彼女が目を開ける。

 ほたるは、ほっと安堵した。




 しかし一方で、クロハネは這いずる影の傍に立っている。


 ずるり、ずるり──と。影であるはずなのに、それは平面ではなく、こんもりと盛り上がっており、まるで一個の生命体のように見える。


 いや事実、そうなのだ。

 これは新たな妖怪だ。

 雲雀が喰らうことで得た妖気、秘薬を用いて獲得した霊巣、そしてそれから産みだされる霊気──それらを彼女の影という依代に封じ込めることでしか、雲雀を元に戻す手立てはなかった。

 もっとも霊気に関しては、おまけであるが。


 影が動きを止めた。


 退魔巫女より充分な距離を取ったと判断したのだろう。

 既にそれだけの知能があるか、そうでなければ生存本能によるものに違いない。


 そこでようやく、それは肉体を構築していく。

 真っ黒な影のままでは終わらない。

 クロハネはその様を見ながら、満足そうに微笑んでいた。




 ほたるが影の動きに気付いたのは、既にそれが人間のような姿を取った時だった。


 その時まではずっと、雲雀に声を掛け続けていた。

 彼女はどういうわけか、目を覚まし上体を起き上がらせてからも、ぼんやりとして何も答えなかったのだ。

 そのことを心配していると、不意に濃密な妖気を感じた。


 はっとして、その方を見遣れば、クロハネと一人の少女が立っていた。

 その少女──妖怪はまるで瓜二つだった。雲雀と。

 けれど肌の色は褐色で、瞳の色は赤色。

 服装もほぼ同じであるが、妖気を感じる。それで作り上げたらしい。


(なんか嫌な感じがする!)


 その姿を認めるや否や、ほたるは袂から一挺の拳銃を引き抜いた。

 それはあの学校で拾ったまま、返し忘れていて、いずれは返そうとずっと所持していたものだ。


 だが銃弾はクロハネの腕によって阻まれる。


「ぐっ……中々に効く弾ですね」

「どけ!」

「それでは意味がないんですよ。……ほら、さっさと行け、紛い物め」


 ぞんざいな口調で命じられて、影の雲雀は不愉快そうな表情になるも、


「はいはい、お父様、それからお母様。今生の別れにございます」


 と言って大仰なお辞儀をすると、山の奥へと去っていった。


 ほたるは続けて何発か撃つも、今度は漆黒の羽根に防がれてしまう。

 そして彼もまた、その羽根に隠れてどこかへと行ってしまった。


「もうっ!」


 地団太を踏む。

 そこではたと気付く。

 雲雀があまりにも変だ。

 クロハネを前にして、いくらなんでも無反応すぎる。

 彼女は俯いて、ぶつぶつと何かを呟いている。

 後遺症か何かではないかと心配になって、また声をかけた。


「雲雀ちゃん? どこか痛いの?」


 すると彼女が顔をあげて、ほたるはその表情にぎょっとする。

 なんて弱々しいんだろう。

 なんでこんなにも、揺らいだ瞳をしているのだろう。


(これが本当に、あの雲雀ちゃんなの?)


 戸惑っていると、雲雀が小さな声で言うのだった。


「わたし、なんにもなくなっちゃった」

「え」

「ちからが、ないの。もうアイツを……殺せない……」


 その言葉を聞いて、ほたるは失望を感じ得ずにはいられなかった。


 確かに雲雀は全ての霊力を失ってしまったらしい。

 しかしながら、だからと言って、それでもう仇を討つのは無理だなどと、戯言を吐くような女ではない。

 そう思っていた。

 それはあの強い意志の光を見て、かつその背景に深い憎悪があることを知って、確信にも近い思いとして抱いていたのだ。


 だが実際は、その程度の憎しみでしかなかったのか。

 そんな軽い決意だったのか。


 怒鳴りつけてやりたくすらあった。


 しかし、そんなことはしない。

 代わりに、無視した。

 背を向けて一人、下山を始める。

 それでもなお、雲雀は動かなかった。


「たとえ万全でも無理だよ! そんなことで諦めるようじゃ、アイツは倒せない!」


 広場の端でそう言ってやってもなお、彼女は動かない。


 ほたるはやり切れない表情を浮かべて、下山した。


 町では、近くで起きている人妖の争いなどまるで知らずに、人々が夜の光を楽しんでいた。


 そんな彼らでも巫女装束という稀有な格好の女とすれ違えば、そちらを物珍しそうに振り返る。

 しかしその後方にいる、濡れ女が如く湿っぽい様子の女を見れば「我関せず」と言わんばかりに露骨に目を逸らした。


 町まで下りてきたほたるが向かう先は、ビジネスホテルである。

 つい先ほど、実家の伝手で近場のものを用意してもらったのだ。


 ほたるは肩越しに振り返って、雲雀の様子をちらと窺ってみる。

 彼女は俯いたままではあるが、山からずっと、とぼとぼと同じ道を歩いてきている。

 だから少しだけ安心した。


 あの時、雲雀を置いていこうと一度は思ったのだが、遠くから戦いの音が聞こえて、今の彼女では万が一にも戦いに巻き込まれたら生き残れないだろうから、やっぱり放っておくことはできないと思い直し、無理矢理に手を引きながら山を下ったのだ。


 そしてそこで、ほたるは言った。


「泊まるところないなら、着いてきてもいいから」と。


 現状があるのは、そのためである。


 更に歩くこと十五分。ようやくホテルに着いた。

 ほたるはチェックインを済ませると、ロビーで雲雀が来るのを待つ。

 あの距離ならば五分程度で入ってくるだろう。

 と思われたが十分待っても彼女は現れない。


(あれー?)


 単に途中まで道筋が同じだっただけで、別に宿泊先を用意してあったのだろうか。

 それならそれで良いのだが、ほたるは心配になって一度ホテルから出てみることにした。


 キョロキョロと辺りを見回すと、


「あ、いた」ほたるは小さく零す。


 雲雀はホテルの玄関脇にある植え込みを囲うレンガの上に座って、じっとしていた。

 こちらに気付いているのか、いないのか、彼女の視線は地面だけを見ている。

 横から見てもわかるほどに、透き通るような瞳だ。

 からっぽ。何も入っていない硝子玉のようで、空虚なのだ。


 ほたるが存在感を示すように、足音を大きく立てながら近づいてみれば、ようやく雲雀は顔をあげる。


「あ……その……」


 そしてモゴモゴと歯切れの悪い様子を見せる。


 ほたるは山から下りてきた時とは打って変わって、優しくその手を取った。


「泊まるとこ、ないんでしょ?」

「……うん」

「同じ部屋になっちゃうけど、ちゃんと二人泊まれるから。それとも今は、一人になりたい?」

「……ほたるが……いいなら……」

「じゃあ、早く入ろ。私はもう眠くなってきちゃったよ」

「……うん」


 そうして、すっかり弱々しくなった雲雀を伴い、自分の部屋に入ったほたるは、着の身着のまま、ふかふかのベッドに飛び乗ったかと思えば、瞬く間に寝息を立て始める。


 大の字で眠るその姿を見つめながら、しばらくその場に立ち尽くしていた雲雀も、やがてもう一方のベッドに上がり、拳銃を仕舞い込んであるケースを胸に抱いたまま、すっぽりと掛布団を被った。

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