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黒羽天 ─愛憎の退魔少女─  作者: 壱原優一
第2章 “Loving can cost a lot, but not loving always costs more.”
17/26

力を得んために

 学校の事件についての報告書を役人に提出すると、ほたるはその日のうちに、休む間もなく実家への凱旋を果たした。

 疲労困憊で足をあげることすら一苦労、しょぼしょぼする目を擦りながら彼女はやっとの思いで長い石段を昇りきる。


「はぁー、しんどっ」


 荷物を鳥居の足に置くと腰に手を当てて、ぐいっと後ろへ伸びをする。

 少しだけ体のコリがましになるようだった。

 二三度それを行ってから、社務所へ向かって歩き出す。

 そこは神社の事務を行う場でもあり、ほたるの我が家でもある。


 時刻はちょうど昼。


(まずはご飯を食べたいな)


 と思いながら、ほたるは玄関をくぐった。


「たっだいまー」


 大きな声で言うと、彼女の父がひょいと顔を出す。

 前もって連絡していたからだろう、娘の突然の帰宅に驚いた素振りはなく「おかえり」と言った。


 ほたるから荷物を受け取りながら、彼はこう続ける。


「疲れたんじゃないか? 先に風呂か?」

「ご飯が先ー。あと話したいことがあって」

「話したいこと? なんだ?」

「食べながらねー」


 怪訝そうな表情の父親を素通りして、ほたるは台所へと向かう。

 そこでは母が鍋で何かを煮ていた。

 甘辛い匂いがする。おそらくは煮魚だろう。


「カラスカレイ?」


 と訊ねたら「そうよ」と答えがある。


「ほたるちゃん、これ好きでしょう?」

「うん」

「もう出来上がるから、テレビでも見て待ってて」

「はーい」


 弾んだ返事を残しつつ、言われた通りに居間へと行って机の上のリモコンを操る。

 ちょうど昼のニュースの時間だったらしい。

 畳の感触を懐かしみながら、それをぼんやりと眺めていると、母がやって来て机の上に御膳を並べる。

 それが終わるのを見計らったように、父が遅れて食卓に着く。

 その彼が「いただきます」と言うのを合図に、四日ぶりの家族の団欒が始まった。


 それも終えた頃、ほたるは遂に話を切り出す。


「クロハネって妖怪、知ってる?」


 母が首を横に振る。

 父には「それは通称か?」と訊き返された。


「多分。仕事で一緒になった子が、そう呼んでた。見た目は……」


 ほたるは妖怪のこと、それから雲雀のことも話した。


「お前が無事で、本当になによりだ」


 父の表情が真面目なものに切り替わった。


「東風谷夫妻殺人事件を知っているだろう? その現場には、妖怪のものと思しき黒い羽根があったと聞く。そのクロハネとやらが、犯人なんだろう。ならば執着するのも当然だな」

「そうか、あの事件の……。お母さんも、お父さんも殺されたんだもんね……」

「いや、それだけじゃあない。事件の後、東風谷の娘は近隣の神社に預けられた。篝杜の名も、聞いたことあるだろう?」


 ほたるは目を丸くする。


「……あの大量殺人の?」

「そうだ。その娘の遺体だけがなかった。食われたか、攫われたかと言われてきたが……生きていて退魔師になっていたとはな。良かった、とは言い難いな、どうにも」


 心臓を鷲掴みにされるような思いがほたるを襲うと同時に、雲雀があんなにも妖怪を憎んでいたことにも更に得心がいった。

 二重に家族を失ったに等しい。

 その痛みを想像することなど、ほたるには到底できやしない。


 ふと母が何か思いついたらしく、今まで閉じていた口を開ける。


「クロハネという妖怪のことなんだけど……」

「何か知ってるのっ!?」


 食い気味で訊ね返すほたるを宥めすかせながら、言葉を続ける。


「いえ、その個は知らないのよ。でも篝杜事件の時に、種族については推測があって……」

「天狗かもしれん、という話だったか」


 母が父の頭を軽快にはたいた。

 肝心な台詞を横取りされて悔しかったらしい。

 ほたるは首を傾げた。


「天狗って、あの鼻が長い?」


 あの男は普通の人間のようだった。

 もっとも、人に化けているだけかもしれないが。


 そんな雲雀に、母が呆れた風に溜息を吐く。


「今のイメージではね。授業したでしょ? 天狗戦争のこと」

「それは覚えてる……いちおう。善い天狗と悪い天狗の間に起きた戦争でしょ?」

「じゃあ天狗とは?」


 言葉に詰まるほたるに、母が静かに授業を開始した。


「大昔……まだ人々が妖怪というものを認識していた頃にまで、話は遡るわ」


 ──最初に〝天狗〟の名で呼ばれたのは、燃え盛る石の体を持って空を駆ける妖怪であったと言われている。

 以後、人々は自然から生ずる幾つかの妖怪たちを〝天狗〟と呼ぶようになる。

 風や木から生まれ、決まった名のないものを特に指した。


「つまり有象無象を一まとめにする言葉というわけね。では現代で、その役目を担うのは?」


 突然に質問を投げかけられて、驚くほたるだったが、退魔巫女としてこれくらいは答えられなくてはまずい。


「えっと……知能が人並みにあれば〝精霊〟で、なかったら〝つくも〟」

「正解。付け加えるなら、マイナーであったり、その他の種族名がなかったりしたら、ね」


 猫又という種族も精霊であると言えるし、唐傘お化けという種はつくもと呼べる。

 ただ二者はそれぞれ有名であるから、そのように呼ばれることはない。

 精霊やつくもは、とても包括的な種族名なのだ。


「今では種族名だけれど、その当時はそれがそのまま名前にもなったわ。名前の方は、今だと見た目の特徴から付けたりするわね。クロハネなんてのは、とても現代らしい付け方だわ」


 余談はさておいて、更に天狗についての話は続けられる。


 ──ある時、天狗という言葉が今までと違った使われ方をする。

 人間を指すようになったのだ。

 より正確に言うならば、妖怪と化した人間を。

 誰が何をもってして、それを天狗と呼んだのかは不明だ。

 まさに天の狗という風貌であったのかもしれない。

 ともかく、その一語は更に広がりを見せていった。


「この時点で、人々が天狗に抱く印象は最悪だった。と言うのも、どの天狗も人の世を掻き乱す存在だったから。当時の妖怪はみなそうだけどね」


 ──更に歳月は流れ、天狗……と呼ばれる妖怪の中から人に友好的なものが現れる。

 人を手助けしたり、逆に人に助けてもらおうとしたりしたのだ。

 字の上手な人から、その才能を借りたという話は有名だろう。

 それまで神隠しなどの悪行を働いていたことから考えれば、まるで別の種なのではないかとも思うが、そもそも天狗の名は様々な妖怪に対してあまりにも多く付けられているのだから、今度は善い妖怪にその名を与えたのだとしても不思議な話ではない。

 また、今でいう仙人をその時は天狗と呼んだのかもしれなかった。

 ともかく、更に天狗という種は拡大し、やがて戦争が起きた。


「まぁ、ここからは知ってるから簡単でいいわね」

「要はイメージ戦略なんだよね。人と仲良くしたいから、悪い印象を与える方を追い出した」

「天狗道と呼ばれる異界にね。そして親しみやすい姿を作った、これが天狗だと言うためにね。でも悪天狗全てを、現世うつしよから追放したわけではないと言われているの」

「クロハネも異界封じにあわなかった天狗、ってこと?」

「かもね、っていう話」


 ほたるはしばらく考え込んでから、誰にも聞こえぬように、ぽつりと「黒羽くろば天狗か」と呟いた。

 それから意を決したように口を開く。


「私、強くなりたい」


 それに驚いたのは父だった。


「初めてだな。そういうことを口にするのは」

「どうしても倒したいの、クロハネを」


 ほたるには、これまで明確な目標がなかった。

 それなりの強さがあれば充分だと考えていた。

 と言うのも彼女は、最終的には実家である椿杜神社の管轄内での仕事に従事するつもりであって、ここはそう荒れていない土地だ。

 他所には特別な要請があれば顔を出すとしても、期待値の高い戦士ではなく、いわば数合わせの雑兵程度の役割で構わないとしていた。


 昨今の退魔師の中で彼女のような者は珍しくない。

 かつては悪い鬼、悪い天狗がそうであったが、彼らのいなくなった近現代では仮想敵を持ちようがないためであろう。

 己を極限まで高める、あるいは、より強固な家柄としたい、といった目的を持てば向上心ともなるのかもしれないが、どちらとも、ほたるには無縁なものだ。


 しかし彼女は出会った。

 仮想敵などではなく、倒すべき敵を。

 ほたるの真剣な眼差しに向かって、彼女の父は言う。


「それは、その娘のためか? それとも退魔師としての使命か?」

「……わかんない」


 それは本心だった。

 どちらでもあるような気さえしている。


 だが父は、そのことを咎めることはなかった。


「そうか。まぁ、いずれわかるのだろう。手配しておくが、まずは休むことだ」

「うん。ありがと、お父さん」




   *   *   *




 通称〝虹見高地〟と呼ばれるこの地は、徒党を組んだ妖怪たちが生活をする、七つの山々が連なってできている。

 それぞれの縄張りが互いに牽制し合うことで、一時の平和を築いていたのだが、つい最近になって、その状況は一変した。


 〝一首山〟を支配していた妖怪が死んだのだ。

 一首山はおよそ最大勢力であるが、頭首が穏健的な思想にあり人間とは友好的、また他山に圧力をかけていたので、間違いなく平和の要でもあった。

 しかしながら、このことが契機となって、新頭首問題、という名の内紛が引き起こされた。


 その隙を突くように動き出したのが、一首山に隣接する〝七耳山〟の面々で、そこと険悪な仲にあり、かつ七耳山とは一首山を挟んで反対側にある〝五歯山〟までもが、同様に一首山への進攻を開始。

 ただでさえ混迷していた紛争地帯を、更に熾烈なものにした。


 その後、抑えを失った各地域は連鎖反応的に続々と活動を始め……あれよあれよという間に、今まで均衡状態であった勢力図は、さながらアメーバの如く柔軟に形状を変えていったのである。


 この状況に危機感を覚えたのが、この高地を管轄に持つ三つの神社である。

 〝虹見妖怪戦争〟の末に、万が一にも、妖怪たちが一個の団体を形成するようなことがあれば、とてもではないが三神社では抑えられそうにない。


 そこで彼らは妖怪たちの戦力を削ぐべく、この戦争への武力介入を決定する。

 しかし人員が足りぬ、よって傭兵──根なし草の退魔師らが集められた。


 東風谷雲雀の姿も、そこにあった。


 奇しくも、椿坂ほたるが日本から大陸へと出立した日と同じ。

 その午後に、雲雀は山肌を駆けていた。

 膝丈ほどの高さがある草を、踏み潰しながら標的を追っていた。


 それは全身を茶色い毛に覆われた猿のようだが、手足が異様に細長く、肩や股関節ではなく、肘や膝を折り曲げてという不気味な四つん這い姿で、カサカサと地表を移動する妖怪だ。


 彼女に与えられた役割は、言うなれば攪乱である。

 現在は最小勢力らしい〝三目山〟で行動を起こしているが、いずれ高地全体を掻き乱すことが目的となる。

 ここはあくまで突入地点であった。


 本来ならば三人一組でなければならないのだが、雲雀は、


「私の能力に巻き込みたくないので」


 と言い訳をして単独を許された。


 退魔師という人々は、特別な異能であればあるほど、他者には見せたくないものらしい。

 また、しつこく聞かないことが暗黙のルールとなっている。

 そのことを知っていて吐いた嘘なのだから、当然バレようがなかった。

 渋い顔をされたが。


 雲雀の武器は相変わらず、二挺拳銃である。

 片方は新品だ。


 突入して五分も経たないうちに、彼女が最初に見つけた妖怪が、このナナフシのような猿だ。

 その背中に、雲雀は何度目かの発砲をする。

 中々にすばしっこい奴で、代わりに木に当たってしまった。

 どうやら地の利は相手にあるらしい、当然か。

 また、先ほどから山の端に沿って移動しているように感じる。

 故に雲雀は、


(斥候というやつかしら?)


 と考える。

 偵察をし敵を発見、後に敵を撒いて本隊に合流するつもりなのだろう。

 移動に長けている点から見ても、ほぼ間違いないはずだと。


 ならば戦闘力に関しては「強くない……はず」むしろ弱いのではないか。


 雲雀はそう結論するに至った。

 そして、どうにかしてこれを仕留める必要がある、と自分に言い聞かせる。

 この仕事を受けたのは、そのためなのだ。


 妖怪を殺すことを咎められず、また妖怪の種類が多く、一人で行動できる。

 実におあつらえ向きな仕事だ。


 ふと脳裏を退魔巫女の顔がよぎる。

 雲雀はそれに答えるかように、


「これは……八つ当たりなんかじゃないから」


 と呟いた。


 そして雲雀は足を止めて、また銃を構える。

 狙うはナナフシ猿の足。

 これまでの回避行動から次の動きを予測し、自身の動きを固定することで、より正確な一発を見舞う、という腹積もりだ。

 もしもこれを外したら、二度と追いつけないだろう。

 慣れない獣道を走って体力も消耗しつつある。


 しかし果たして、それは成功した。

 見事、右足に着弾させたのだ。

 そして鈍ったところに、更に次弾を撃ち込む。

 今度は左足に。

 これで奴はもう、逃げようがあるまい。

 雲雀には最初から、殺すつもりなどないのだった。


 ゆっくりと周囲を警戒しながら、雲雀は妖怪へと近づいていく。

 他の妖怪、あるいは退魔師の誰かに見られでもしたら、非常に都合が悪くなる。

 そんなことを、これからするつもりだった。


 傍まで寄ると、猿は手を振って雲雀に攻撃を仕掛けてくるが、その腕にもまた霊力の弾を見舞ってやる。

 両手足を使い物にならなくされても、戦意は衰えないどころか怒りに満ちて、歯を剥き出しにし雲雀を威嚇する。


 対する雲雀の表情は、強張っていた。

 緊張しているようだった。

 彼女は猿の足元に腰を下ろすと、その手を取る。


 瞬間、風が背の方から前に向かって通り過ぎた。そしてまた、あの声を耳にする。


「本当はわかっているんだろう?」


 と。


 雲雀は叫び声をあげながら、その声が聞こえた方に向かって連射した。

 だがやはり、そこには何もいないのだ。

 自身の荒々しい息と、妖怪のか細い吐息だけが場にあった。


 しばらくして、また猿の手へと向き直る。

 このまま放っておいたら、死んでしまうかもしれない。

 折角の機会は生かさなくてはならないのだ。


 ごくり、と。


 喉を鳴らして、遂に雲雀は、毛深い腕にかぶり付く。

 獣独特の臭いが鼻を通って、吐き気を催した。

 しかしなお、がっしりと肉に歯を立てる。

 猿が甲高い悲鳴をあげていて、とても耳障りだった。

 妖怪の血が口内を侵して、腹から込み上げてくるものがある。

 だが吐き出すわけにはいかない、全てを飲み込まなくてはならない。


 妖怪の血肉を取り込むことで(私はもっと強くなる!)のだから。


(私はもっと強くならなきゃいけない!)


 雲雀の決意、あるいは狂気が固まったのは、学校で再び仇敵と出会ったことが大きいが、この手段を思いついたのは、文緒が花子さんに取り憑くことで力を増した時だった。


 だが雲雀には他者の肉体に入り込むような真似は到底できない、ならば逆に、他者の肉体を取り込んだらどうだろうか。

 その発想は間違いではない。

 足りない力を、他所から奪うということに変わりはない。


 現に今、雲雀には力が増加していく実感があった。

 血が喉を流れ落ちていくたびに、自身の霊力が変容していく、そんな気配を腹の底で感じていた。


「私は強くなれる!」


 確信を得て、ますます雲雀は懸命に、力を得ようともがいていく。

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