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テーマ短編 '14

蛙と蛇

作者: 木下秋

同日に投稿している童話「かえるくん と へびくん」を先に読んでから、本作を読んでいただけると、嬉しいです。

 1,蛙と朝


 とある山奥に、かわず池と呼ばれる池があった。

 このうぐいす色に濁った池の近くに、ここいらでも一番高い木が、一本生えている。

 その枯れかかった木の根元、複雑に絡み合った根によって造られた小さな窪みに、彼はいた。


 蛙である。


 彼は最近、“オタマジャクシ”から完全に変態を遂げ、“カエル”と成った。

 親元を離れ、一人暮らしをしている。

 今や一人で食糧を確保することだってできるし、肺呼吸だってできるのだから立派なもんである。


 ある日の事だった。

 蛙は朝目覚めると、いつものように池へと向かう。

 水かきのついた両手で器用に水を掬い、顔を洗った。

 渇いた皮膚に湿り気が蘇る。朝日の輝きが蛙に降り注ぐと、柔らかな光を放った。

 蛙がその後も水を掬い、体をぬぐっていると、後ろから声がした。


 「やぁ、蛙」


 聞き覚えのある低い声に、びくりと体を震わせて、蛙は振り返った。


 「や、やぁ。蛇、君か。おはよう」


 蛙の後ろに居たのは、近くに住む蛇であった。

 細長い舌を細かく出し入れしている。

 その舌と口の隙間から、微かに吐息の漏れる音がする。

 しかしその身体の動きは滑らかで、近づいてくる時は、完全なる無音であった。

 蛇は澄み切った秋の高い空を見上げ、気持ち良さそうに言った。


 「おはよう。いい天気だね」


 蛙はオドオドと落ち着かない様子で蛇に話しかける。


 「えぇっと……君は何しに来たんだい?」


 「あぁ。お腹が空いたから、朝ご飯を探しに来たのさ」


 蛇の、縦に長い瞳孔が、蛙の大きな両目を射るように捉える。

 蛙は身体がまるで凍ったように、動かすことが出来なくなった。

 全身が、近くに寄らなければ気づかないほどに、小刻みに震える。

 蛙はその震えを誤魔化すように、必死に両手を合わせ、擦らせる。


 「……あ、あぁっ! そうだぁ! ち、ちょうど昨日ね、沢山虫が獲れたんだ。い、一緒に食べてくれないかな。一人じゃ食べきれなくって……」


 「えぇっ! そんなぁ、悪いよ。いつも僕は、君にご飯を分けてもらってばかりじゃあないか」


 目の下まで裂けた口を大きく開けて、蛇は大袈裟に驚いた。

 蛙は反射的に身体をびくりとさせ、誤魔化すように笑って見せた。


 「い、いや、気にしないでおくれよ。家においで。分けてあげる」


 蛙は寝床である木の根元へと向かう。

 後脚はバネのように跳ね上がり、水を切る石のように跳んで行った。

 蛇は身体を地面に滑らせ、蛙を追う。


 寝床へ着くと、蛙は奥から昨日獲った沢山の虫を出してきた。

 蛙が三日はかけて食べるであろう量である。


 「さぁ、食べれるだけ、食べるといい。遠慮しないで」


 蛙が言うと、蛇は、


 「えぇっ!? こんなに食べていいのかい?」


 と言った。

 蛙は、流石の蛇でも、この量は食べられないであろうと高を括って虫を出した。

 蛇の予想外の答えに蛙は驚きを隠せなかったが、すぐに苦し紛れの笑顔を繕う。


 「あぁ。もちろん」


 蛇は尻尾を振って喜んだ。

 ――蛇の尻尾が、身体のどこから始まっているのか、なんて疑問は残るが――


 「本当に!? ありがとう! じゃあ……いただきます!!」


 蛇はそう言うと、大きな口を九十度以上開けて、虫の山を呑み込むように食べた。

 その速さといったら。

 蛙が驚く暇さえ無かった。


 「あぁ、美味しかったよ。ご馳走様」


 蛇は満足そうに言うと、「じゃあね」と挨拶を残して去って行った。

 蛙は手を振ったが、蛇の姿が見えなくなると、力無くだらんと手を降ろし、その場にへたり込んだ。


 「あぁ、怖かった……」


 小さく呟き、頭を撫でる。

 皮膚は緊張で、すっかり乾ききっていた。


 その日の夜。

 蛙は星空を見上げながら物思いに耽っていた。


 (蛇のあの目、口。なんて怖いんだろう。最近、蛇はよく僕に会いに来るようになった。きっと……僕を食べようとしているんだ……。そうに違いない。いつも虫を代わりに食べてもらっているからいいものの、あげなければ、食べられていたのは僕の方だったかもしれない……。でもそれだってもう限界だ……。僕はもう何日も、まともに食べれていない。 僕は一生、こうして蛇に怯えながら生きて行かなきゃいけないのか……)


 蛙は夜空に輝く星々を見て思う。


 (僕が蛇に生まれれば良かったのに)


 水掻きの付いた右手を、星空にかざした。

 半透明の水掻きの向こう側で、星が三つ、流れた。



 2,新たなる目覚め



 次の日の朝。

 蛙が目を覚まし、寝台から降りようとすると、うまく起き上がれずに地面へと転がった。


 「うぅん……」


 寝起きの目を擦ろうと、右手を動かす。

 蛙は、自分の心臓が、一際大きく鼓動するのを感じた。

 違和感。

 

 蛙の右手が、無かった。


 それだけでは無い。左手も、両足すらなかった。


 懐かしい感覚を思い出す。“オタマジャクシ”であった頃に、戻ってしまったのかと思った。


 蛙はこれは夢かと思いながら、自分の身体を確かめる為に、外に出ようと光に向かって身体を必死に動かした。


 外に出ると、眩しい朝日に目が眩む。

 そして景色が、見慣れないものであることに気づいた。

 振り返ると、飛び出した寝ぐらも自分のいつも寝ている木の根元ではなかった。

 

 何かがおかしい。


 自分の身体を確認する。


 蛙は息を飲んだ。


 そこにあったのは、蔦のような――どこからが尻尾だかわからないほどに長い――濃い緑色の鱗に覆われた身体であった。


 見覚えのあるその身体を見て、蛙はある仮説を頭の中に立てる。


 蛙は身体をくねらせて、落ち葉を掻き分けその場から動き出す。

 やがて池が見えると動きを止め、首を持ち上げてその水面を見た。


 静かな波の立つ、その水面に映ったものは――


 蛇の顔であった。


 蛙の仮説は当たっていた。

 

 辺りを意味もなく見回しながら、蛙は静かに理解した。


 ――僕と蛇の身体が、入れ替わっている――


 蛙は胸の内に、喜びのようなあたたかい、熱いと言ってもいいような感情が溢れ出るのを感じた。


 ――これでもう、奴に怯えて生きることは無い――


 その時、何かが草陰から飛び出た。

 前足を使って着地したそれは、蛙の昨日までの身体であった。


 「君は……蛙……?」


 「そういう君は蛇か」


 昨日までの自分の、蛙の身体に今入っているのは、やはり蛇だった。

 蛇は蛙の身体で頷くと、


 「どうしてこんな事になってしまったんだ!!」


 と叫び、頭を抱えた。


 「僕が、願ったからさ」


 蛙が、落ち着いた声で言った。

 困惑の表情でこちらを見る蛇に、続けて言う。


 「僕が願ったんだよ。『僕が蛇に生まれれば良かったのに』ってね。きっと僕の願いを聞いて、神様が入れ替えてくれたんだ。僕と、君をね」


 蛇は信じられない様子で、どうして? と目で訴えかけてくる。


 「君がいけないんだっ! 君が、僕を食べようとするから!」


 「そんな! 僕が君を食べようとしていただなんてっ! 誤解だ!」


 蛇の、蛙の大きな瞳に、涙が浮かぶ。


 「いや、君は僕を食べようとしていたねっ! 僕が毎日のように虫をあげていなければ、食べられていたのは僕の方だった! でも、もう限界だ! 僕は……僕はお前のせいでっ! もう何日も何も食べてない……! お腹が……空いているんだっ!」


 蛙は、蛇の太く長い尻尾を鞭のようにしならせて、蛙の身体に入った蛇の首を捉え、絞め上げた。


 「ぐうぅっ」


 蛇は苦しそうに呻いた。

 涙の粒が転がり落ちる。

 前足で、首を絞める尻尾を掴んで、何かを伝えようとする。


 「そんなつもりは……無かった……。僕は……ただ……」


 「死ねッ!」


 蛙が、蛇の涙に溢れた両目を睨みつける。


 蛇の両目が、だんだんと濁る。


 蛙は蛇の首を絞める尻尾に、渾身の力を込めた。



 ゴキリッ



 蛇の全身から力が抜ける。

 

 糸の切れた操り人形のように、ピクリとも動かない。


 「お腹が……空いているんだ」


 蛙はそう言って、静かに口を開けた。


 蛇の頭に食らいつく。


 昨日までの、自分の身体に。


 鋭い二本の歯が、身体に食い込む。


 そのまま、喉を少しずつ前後に動かし、呑み込んだ。


 蛙が感じていたのは、喜びであった。


 自分の天敵である蛇を、自分の力で、殺した。


 しかし、蛙はまだ空腹だった。


 食糧を求めて、彷徨う。


 蛙が辿り着いたのは、昨日までの自分の住処すみか

 ここいらで一番高い木の、根元である。


 そこに、小さな蛙の後ろ姿があった。

 それは、この今や蛇となった、蛙の母親であった。


 「母さん……」


 呼ばれた母は後ろを振り返り、ぎょっとする。


 「あ、ああ……」


 後ずさる母に、蛙は蛇の口で言う。


 「母さん……どうしたんだい?」


 「わ、私は……お前の母さんなんかになった覚えはないよ……」


 身体は震えていた。

 母は続ける。


 「わ、私の息子は知らないかい……? 久々に会いに来たんだが、いないんだ……」


 「え……? ……目の前に、いるじゃあないか……」


 蛙は、母が何を言っているのか、何故そんなに怯えているのか、分からなかった。


 「お、お前なんか、私の、息子じゃないっ!」


 母は泣きそうになりながら言った。


 「私の息子を、どこにやった!」




 僕だ。あなたの息子は、僕だ。



 あれっ? でも、そうだ。さっき食べてしまったんだ。



 ん? でもあれは……蛇だったはずだ……あれ?




 僕は誰なんだ?



 蛙は、全身が冷たくなってゆくのを、感じた。



 意識が――遠のく――





 お腹が空いた――













 一匹の蛇が、目の前の蛙の頭に、食らいついた。

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― 新着の感想 ―
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[良い点] 本作、関連二点ございましたので、感想をまとめます。 <童話>生きものの愛情を深く捉えた、こころ温まる素晴らしい作品。 <文学>無情さを親子の離別とともに強く表現し、悲劇をありのままに描いた…
2014/02/01 21:22 退会済み
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