1 恋に落ちた瞬間
現在連載中の話を投げ出して、新たな連載を始めてしまいました。
連載話を書き上げる自信をつけたいと、頑張って書きたいと思います。
短めで終わる予定です。応援よろしくお願いします。
誰かに恋をした瞬間に、気付いたことがある?
私は、あるんだ。
ああ……この瞬間、
恋に落ちたんだって、気付いた瞬間がーー。
「久実〜! おめでとう」
純白のウェディングドレスに身を包んだ初々しい花嫁姿の親友に、私ーー及川真は祝福の言葉を送った。
「ありがとう真!」
輝くばかりに美しい花嫁は、眩しい笑顔を返してくれる。
六月の梅雨の谷間に、爽やかに晴れた日曜日の昼下がり、市内でも大人気の教会に私達はいた。
昨日は激しい雨が降っていたけど、今日は嘘みたいにいい天気だ。不安定なこの時期に、これだけの晴天を呼び込むなんて、この会場には間違いなく晴れ人間がいる気がする。
今日は中学からの友人の一人、森川久実の結婚式。
そう、言わずとしれたジューンブライドって奴。雨季の客足が落ちる時期に何とか人を呼び込もうとして、ブライダル産業が流行らせた例のアレである。
そのアレに、我が親友もちゃっかり乗っちゃったらしい。だってやっぱり、女の子のアコガレだもんね。ま、彼女の場合は、たまたまこの時期になってしまったんだけど。
六月の花嫁は幸せになれるーー。
またまた〜なんて思いながらも憧れてしまう、ジューンブライド。
そんな花嫁に久実がなるなんて、名字も森川から楠木に変わるなんて……。なんか、信じられない。
私は、にこやかに微笑む久実に尋ねた。
「ねえ、太一はどこにいるのよ? あんたの旦那さまは?」
新郎の太一も中学からの友人の一人だ。二人は幼い恋を大事に育て……と言うよりも、くっついたり別れたりを繰り返して腐れ縁を続けてきて、十一年目の今年、とうとう年貢を納めることにしたみたい。
今だに付き合いが続いていた仲間内では、今更かよって雰囲気も無きにしもあらずだったんだけど、概ね歓迎ムードになった。だってさ、長い春が漸く身を結んだんだから、本当に良かったって思うじゃない?
でもね実は内緒だけど……、私はちょっと惜しいと思ってしまうんだ。
それはね……、去年式を上げていたら、きっちり十年目だったのにと思ってしまうから。何となくキリが悪いと思うのよね、単なるイメージの問題だけど……。
まあ、去年の二人には結婚は無理だったんだけど、実際は。と言うのも彼女達、去年は別れる別れないで揉めてたから……。それがどうした訳か、今年の初めに太一の昇進があって彼が俄然職場の女の子にモテだすと、久実が急にまた太一に焼きもちやきだして結局元サヤ。
そして、太一の転勤が一月前に決まったのをきっかけに、あれよあれよと結婚が決まり今日に至る。
きっとこれが、この二人にとってはグッドタイミングだったのかも。急に決まったから、ちょっと結婚式までバタバタしてたけど……。
「太一なら、あっちにいるよ。ほら、健とかと一緒に」
ドキン、私の心臓が激しく動揺した。
思ってもない時に、名前を聞かされるのが一番くる。
久実は教会の前に広がる庭園の隅を指差した。成る程その先に、新郎を囲んだ若い男性の集団がある。
白いタキシードを着た太一が嬉しそうに笑っていて、その周りには中学からの同級生が数人、同じように笑顔を見せていた。
太一のすぐ横には、洒落たスーツをさりげなく着こなした美山健も立っている。小柄な健は男友達と一緒にいると、仲間の中に埋もれがちだ。だけど私の瞳には、奴は誰よりも目立って映る。私は健のスーツ姿に、知らず知らず見惚れていた。
「ねえ、あんた達は、結婚しないの?」
突然横から久実の声が聞こえた。
「はっ?」
「だから、あんたと健」
久実は小声になると、いやらしくニタニタと笑う。
「な、する訳ないでしょ? 私達、ただの友達だよ?」
慌てて視線を久実に戻す私。ちょっと……、気付かれてないよな今の、健に見とれてた顔。
「本当に? 本当にただの友達なの?」
久実は今の返事を訝しんで、不信感も露にじろじろ窺ってきた。私は平静を装って笑う。慣れているから簡単だ。彼女は納得出来ないらしく、更に質問を重ねてきた。
「でも、あんた達ってお互いの家によく泊まりあってるよね? それでも何にもないってこと?」
「そうよ、前から言ってるでしょ。私達本当に、ただの友人なのデス」
私のため息まじりの発言に、久実は「信じられない、絶対嘘だと思ってた〜!」を何回もしつこい位連発していく。
「本当なんだから、もう全然、そんなんじゃないから……」
だって真実なんだから、仕方ない。
私は長い年月の間、幾度となく繰り返してきた言葉を口にしていた。
『私達は友人です。全然、何にもありません』
このセリフ、何回発言してきただろう?
健と中学生の時知り合って友人になってから、高校でも、大学でも、それから社会人になった今でも、新しい交友関係が出来る度に説明を続けてきた。
私と彼は、周りから見れば普通じゃないらしい。彼らが言うには、男女間での友情はなかなか成立しないのが普通なのだそうだ。だからただの友達にしては仲が良すぎると、いつも言われてしまう。
私達を見ると誰でも、最初は付き合っていると誤解する。それを否定して回っている間に、いつしか慣れっこになってしまった言葉なのだ。
でもまさかーー、
十年以上の付き合いがある、親友の久実まで疑っていたとは、ちょっと驚きだ。
ねえ、久実。あんた今更、何言ってんのよ。
中学からずっと見てきたくせに。
私と健が、と言うよりあの健が、
私にそんな気起こすなんて、地球が引っくり返ったって起こりようがないってこと、一番分かりそうなものなのに……。
不躾な遠慮のない視線を向けてきた久実は、やおら表情を和らげると苦笑いを浮かべた。
「まあ、そうだよね。あんたとあいつじゃ男友達って感じだよね……」
「でしょ?」
自分で言いながら胸がズキリと痛む。馬鹿じゃなかろうか、私って。
だが久実は、私の返答に目を剥いて睨んできた。
「でしょ、じゃないでしょう? あんた、今何歳だと思ってんの、二十五だよ! 何なのよ、そのリクルートスーツは? 今日はあんたの友達の結婚式なんだよ? 企業の面接じゃないっての。……髪形だって中学から代わり映えしない男みたいなショートヘアだし、化粧は申し訳程度にしかしないし、女としてどうなのよ? 始まってもないのに終わる気なわけ?」
「ちょ、何もそんな言い方しなくても。リクルートスーツって言ったって……、今日はコサージュだって付けてるし……一応、お洒落はしてーー」
ブツブツとぼやく私に、久実は今だとばかりに畳み掛けるように言う。
「そんなのお洒落のうちに入んないわよ。入学式に来た母親かっての。もっと年相応に着飾りなさいよ。あんただって、多分、磨けば変われる筈なんだから。それでなくても大柄で女らしさが皆無なんだよ? 死ぬ気で頑張って、今すぐ女子力身に付けないとさあーー」
久実はチラリと視線を男性陣に向けた。
「今のままだったらあんたなんかより、あいつの方がよっぽど色気あるよ。艶があるって言うかさ……、男の健に負けてどうすんの?」
「ううっ……、酷いじゃない! 女らしさ皆無なんて……」
「本当のことでしょ? 早くしないと二十代が終わっちゃうよ。行き遅れになりたくないでしょうが? 健と友達ごっこしてる場合じゃないってば。てか、男に負けてる女って何なんだろ……」
「……煩いなあ」
私は耳を塞いで文句を言った。
久実の言う通り、私の身長は女としては高い。
これは密かに、思春期の頃からの悩みの種だったりする。このガタイのせいで可愛い格好をしても全然似合わなかったので、いつしか女らしさを諦めてしまった。今の私が女として着飾らないのも、笑っちゃうくらい可愛い服が似合わないからで……。
元々性格もあんまり女っぽくなかったから、特に不便はなかったのだけどーー。
私は楽しげに笑う男達の中にいる健を見た。
あいつは私と違って小柄な男だ。何しろ高校の頃までは、奴の方が低かった位だ。二人でいると男友達でつるんでいるように錯覚してしまうのも、この身長に由来しているのかもしれない。
でも、
本当に錯覚しているのは健だけなんだ……、内緒だけど。
「健が色気あるのは当たり前なんだよ。だってあいつ、最近彼女が出来たんだから。美緒ちゃん、ていう可愛い子がね」
私とは正反対の小さくて可愛らしい女の子。
思わず拗ねたように言うと、久実はめちゃくちゃ反応してきた。
「何それ、初耳。てか、また好きな女出来たの? 確か二ヶ月前くらいだったよ、失恋話聞いたのは。あいつは、どんだけ惚れっぽいのよ」
「知り合ったのは一ヶ月ぐらい前かなあ?」
健が彼女と出会った時のことを思い出す。
美緒ちゃんこと胡桃美緒は私の二歳下の同僚だ。で、何の因果かこの二人、私が紹介した形になってたりする。
一月前、私と健はうちの会社前で飲みの待ち合わせをした。あの頃はまだ健の失恋の痛手が深くて、やけ酒に付き合ってあげようと思い私から誘ったのだった。
その時偶然、美緒ちゃんと帰りが一緒になって……、あいつは彼女に一目惚れしたって訳だ。思えば失恋して落ち込んでたくせに、あっという間に立ち直っていたような気がする。それから健は猛アタックを開始して、何とか彼女をゲットした。信じられないくらい現金な男……。
「本当に、あいつにはびっくりするよ」
呆れ顔の久実に私は笑顔で答えた。
思い返せば、健はいつもこう。中学高校大学、そして現在、笑っちゃうくらいしょっちゅう誰かに恋をしてた。好きなタイプは、健より小柄な可愛らしい女の子。美緒ちゃんも正にそのタイプに属する子だ。そう、間違っても自分と同じような背丈の女には惹かれない。
それで付き合いだして暫くすると、何故か相手から振られてしまうを繰り返す。
理由はよく分からないけど、多分あいつの醸し出す雰囲気のせいだと思う。
健は小柄で華奢な外見をしている。顔は童顔で、わりと可愛い方だ。性格はフレンドリーでソフト。そんな男臭さを感じさせない特な容貌のせいか、昔から女子に警戒されずにすぐ仲良くなれる奴だった。
だけどその外見が仇になるのかどうだか分からないけれど、いつも暫くすると振られてしまうのだ。女としては、男の魅力に乏しい健は物足りなくなるのかもしれない。とは言え、私には正直よく分からないんだけど。
だって私はあいつにとって論外の存在で、まるで気の合う男友達だから。だから、彼女の前で健がどんなふうに振る舞うのか知らない。
どんなことを話すのか、どんなふうに笑うのか、そしてどんなふうに近づいてくるのか……。
きっと、私には見せない顔を見せてる筈。
そんなあいつを見ることが出来る彼女達を、私は心の底では妬んでいる。
それは私が、あいつのことを……。
「真! ここにいたのか」
突然耳の側で声がして、心臓が止まるくらいびっくりした。
「久実、すげえ綺麗だぜ。おめでとう!」
いきなり横に立った健はこちらの動揺など知る由もなく、照れもせずさらりとそんなセリフを口にする。
「ありがとう、健。噂をすれば影だね」
久実の含みのある言葉に奴はやっぱり気づいた。
「何だよ、お前ら。俺のこと話題にしてたのか」
「そうよ、あんたがまた性懲りもなく、振られるために恋をしたって聞いてね」
「何言ってる。今度こそ上手くいくんだよ」
「あっそう。まあ、頑張ってよ。振られた時は太一と一緒に慰めてあげるから」
「あのなぁ……」
「久実」
健と久実の応酬が始まりそうになったところに、助け船のように新郎の太一がやって来て声をかけてきた。
「そろそろ時間だぞ」
「あ、うん」
愛しの旦那様の登場に、久実はコロッと態度を変えて私達に向き直る。
「二人とも、今日は本当にありがとう。嬉しかったよ」
そんな久実の改まった言い方に式の終わりを察知した。
「ううん、こちらこそ。いいお式だったよ」
「お前ら、幸せになれよ」
健も生真面目な表情で、目の前の新婚夫婦にエールを送る。
「ああ、健、真。また会おうぜ」
今日はなかなか男前に見える太一は、爽やかに私達へと返事を返すと、久実を促してブライダルプランナーの後に続いた。
「皆様、本日は若い二人のためにお集まり頂きありがとうございました。お名残惜しくはございますが、お開きのお時間となりました。これより新郎新婦は、共に歩む新たなる人生へと船出をします。希望に満ちた二人の新しい門出を、どうぞ温かい拍手で送り出してあげて下さい。お願い致します」
会場係の最後の挨拶が終わり、周囲に高らかなファンファーレが鳴り響いた。
華やかな音楽に迎えられて本日の主役である太一と久実の二人が、タキシードとウェディングドレスの姿のまま、派手な装飾のオープンカーに乗り込んでいく。
そんな二人に、招待客達は精一杯の拍手と歓声を贈った。二人とも、何だか照れ臭そうである。あんな格好で往来を走るのは、さぞかし恥ずかしいだろう。
この演出は苦手だと思い苦笑と共に拍手をしていたら、横からグスグスと鼻を啜る音が聞こえてくる。
そっと視線を向けると、健が目を潤ましているのが目に入ってきた。
「何よ……、また、泣いてんの?」
「煩いな、別にいいだろ」
健はとうとう溢れてきた涙を、クシャクシャのハンカチで乱暴に拭った。ハンカチの奥で光る擦られた目が、真っ赤になっている。
「相変わらず感激屋なんだから、全く」
私の言葉に彼は黙り込んだ。話すどころじゃ、ないのかもしれない。
感受性が強いのか、健は男のくせによく涙を流す。卒業式や入学式などは当たり前、何かの発表会や団体活動の打ち上げなど、感情を爆発させて一人で泣いて皆にからかわれていた。
悲しいことや悔しい時には滅多に泣かないが、感動した時は駄目なのだ。人一倍、涙もろくなってしまう。本人もそんな自分にほとほと困っているらしいのだが、どうにもならない。
健の目元に、またじわじわと涙が溢れてきていた。
その少し拗ねたような横顔を見ていると、遥か昔の生意気盛りの少年だったあいつがだぶって見えた。
あれは中学二年生の時のことだ。今でもはっきり、私の脳裡に記憶されている。
夏に行われた林間学校。キャンプファイヤーの燃える様を見つめながら歌った、『遠き山に日は落ちて』。
かったるくて適当に口ずさむ当時の私は、歌う前に隣にいた健と言い合いになってムシャクシャしていた。
あの頃のこいつは私より頭一つ低くて、私達はお互いの身長を馬鹿にして、口喧嘩を度々していたのだ。
先生に注意を受けて渋々歌い出した私の耳に、耳障りな音が聞こえてくる。グスグスと鼻を啜る音だ。
もう、誰よ?
訝しく思い横にいた健を見て、私は衝撃を受けた。
炎に照らされた健の目から、溢れるように涙が落ちていた。
頬を伝う滴をそのままにして、放心したように彼は泣いている。
淡いオレンジの炎に染まる顔は、泣き顔のくせに妙に凛々しく映った。
いつしか、私の心臓は驚くほど早く動き出し、眼は固定されたようにその横顔から離せなくなっている。
そこにいるのは、チビな上に私に「デカ女」とか嫌味を言う、不愉快なクラスメートの男子でしかないのに。
その時ーー、人が泣いている姿を初めて綺麗だと思ったのだ。
そして、同時に気づいた。
今、私、恋に落ちたとーー。
じっと見つめる視線に気づいて彼は振り向く。
途端に慌てふためく私に頓着することもなく、腕で顔を拭うとポツリと呟いた。
「なんかーー、感動した」
「ふうん、変なの……」
キャンプファイヤーの側で本当に良かったと思う。
だってきっと、顔は真っ赤だった筈だから。
中学二年の時のあの日から、ずっと健に片思い。そして気づけば今や二十五歳で、貴重な青春時代を棒に振ってしまったことに呆れて声も出ない。
その間健は、失恋ばかりではあったけど、大いに恋を楽しんできたと言うのに私ときたら、片思いを振り切れなくて結局誰とも恋愛をしてきてないのだ。
久実に言われたからじゃないけど、何とかしなきゃいけないと思う。このままでは本当に行き遅れ一直線。非常にまずい。
でも……。
私は親友の結婚式に感動して、涙が止まらない隣の男を盗み見た。
こいつ以上に好きになれる奴なんて……、果たして私に出来るのだろうか?
「なあ、真」
「な、何よ?」
鼻にかかった健の声に驚く。
やだ、チラチラ見てたのバレたりしてないよね?
「いい結婚式だったな」
彼は泣き声でしみじみ言う。
「うん、そうだね」
どうやら私の不審な視線には、全く気づいてないらしい。心の中でホッと胸を撫で下ろす。
「俺、決めたよ」
彼は前を見つめたまま呟いた。その顔は何かを決心したように、真剣そのものだ。
「えっ、何を?」
私は予想もしてなかった健の発言に、馬鹿みたいに間の抜けた返事を返す。
そんな私に潤んだ視線を向けると、彼はおもむろに宣言した。
「俺、結婚するから、美緒とーー」
それは私にとっては死刑宣告にも等しい、そんな一言だった。