番外編
「そんな怖い顔をしないでくれないかな? そんなに睨みつけられたんじゃ落ち着いて仕事もできないじゃないか」
怖い顔をした覚えもなければ、睨みつけたつもりもない。
目の前にいる憧れの片野先生にただ説明を求めているだけだ。
「だから、どうして教えてくれなかったんだっ」
「その言葉遣いはいただけないなぁ」
「どうして教えて下さらなかったんですか?」
悔しさが滲むが今の発言が適切ではなかったことは自負している。こんな風に何度も指摘されながら私の言葉遣いは徐々にまともになってきたのだ。
レイと共にあると決めてから初出勤した私は、先生の邪魔になるのを承知で乗り込んできたのだ。
「教えてほしかった?」
「そりゃそうです。みんなでこそこそして、気分が悪いです。私、騙されたようなものですよ」
「騙したのは僕じゃなくて、レイ君だと思うけどな。僕はただ、話さなかっただけだよ。普通、いくら親しくても自分の出身がどこだとか言わないものじゃないかな。例えば仕事中に突然そんな話をしたら面食らうよ。酒の席でそういう話の流れになれば、きっと話したと思うんだけどね。君と飲みに行ったことなんてなかったじゃないか」
「そしゃそうですけど……。私の状況知ってたんですよね? レイが王子だってことも知っていたんでしょう? それならそうと一言言ってくれても罰は当たらないと思いますけど」
片野先生の性格的に、きっと私が苦しんだり悩んでいたりするのを、陰でこっそり笑ってみていたに違いない。
言わなかったことだって、ああはいっているけど絶対わざとだと思うのだ。
それくらいこの上司が意地悪だということを私は知っている。
「まあ、いいじゃない。丸く収まったんだから。あんまりしつこいと勤務日増やすよ。そして、レイ君に苛められてしまえばいいさ」
それはちょっと勘弁してもらいたい。
私が向こうに住むようになってから、レイが仕事の時以外は常に私の傍にいる。それが嫌だったことはないんだけど。日本に住んでいたころよりも甘い雰囲気が濃くなっているのも事実。そして、私が会社に通うことを、口には出さないもののあまりよく思っていないことも知っている。勤務日が増えることで更に甘々さが増すかもしれないレイに付き合うのは大変だ。決していやなわけじゃない。ただ、こそばゆいだけの話だ。
どんな風に対応して、どんな風に自分側の愛情を伝えればいいのか解らないだけだ。ストレートに愛情をぶつけてくれるレイにいつも私は上手く接することが出来ない。昔の名残なのか、素っ気なくしてしまうのだ。心では小躍りするほど喜んでいるのにもかかわらず。
「勤務日を増やすのは止めてください。もう、諦めました。ただ、本当にこんな私に都合のいい待遇でよいのでしょうか?」
「別に構わないけどぉ。君には絵本作家になってほしいんだよ。雑用をさせたいわけじゃない。絵本を描くのに場所は選ばないからね。これで少しは絵本に力をいれられるでしょ」
働き始めた当初は仕事に慣れるので精一杯で、家に帰っても絵本の構想を練る気力さえもない日々が続いた。
確かに今の状態ならゆっくりと絵本のことを考えられて私としてはありがたい限りだ。だが、他のメンバーはこんな私の状況を悪く思わないのだろうか。
「ほかのメンバーなら大丈夫だよ。みんな君のファンだからね。僕のことより君の方が大切だと考えているような連中だからね。応援こそすれ、文句を言う人間はいない」
私の不安を払拭するように、そう言った。確かに、久しぶりに会社に出勤した私を歓迎こそすれ嫌な顔をする人は誰一人としていなかった。
「私って恵まれてるんですね」
しみじみとそう思った。
大好きな人がすぐそばにいて、大好きな家族が私を理解してくれていて、大きな夢を抱くことが出来て、憧れの先生と優しい仲間に囲まれている。
これを幸せと言わずしてなんという。
「まぁ、君が幸せそうで何よりだ。もしレイ君と喧嘩でもしたら僕のところに来るといいよ」
「え、どうしてですか?」
「僕が優しく慰めてあげるよ。そして、君が弱っている隙を狙って君の心を奪いに行く」
「は?」
意味も解らず首を傾げている私を、可笑しそうにくつくつと笑ってみている。
「レイ君がいたから、何の手出しもしなかったけど、もしレイ君が君を手放すような真似を次にしたら、僕はもう遠慮しない」
これじゃまるで先生が私に気があるみたいに聞こえるではないか。
まさか、と思って先生を見上げると、その瞳に見つめられて怯んだ。先生の瞳が私を見つめるレイと同じような色をしていたからだ。
レイに見つめられるとドキドキして、嬉しくて幸せな気分になるけど、先生に見つめられると不安になる。ある意味恐怖を感じる。狙った獲物は逃さないと言いたげなその瞳に。
「えっ、遠慮しておきますっ」
その時、先生の部屋の扉が乱暴に開き、会社のメンバーたちがぞろぞろと現れた。私の体を守るように抱きしめ、先生に吐き捨てた。
「先生には亜美は渡しませんっ。今後絶対に亜美を口説いたりしないでください。もし、今後同じようなことがあれば、私たちは手段を選びませんっ」
一人が先生に宣言すると、周りのメンバーもそれに同意を示した。
何のことやら訳のわからない私は、腕の中で小さくなっていることしか出来なかった。
「ああ、本当に君たちは怖いね」
「俺にはあんたの方が怖いね。よく、俺のだって解ってるものを欲しがるもんだ」
聞きなれたその声に、びくりと反応した。メンバーの腕の拘束が解かれると、再び私は拘束される。
「レイ」
「亜美。怖くなかった? もう大丈夫だよ」
無邪気な笑顔に大人の笑顔が加わったレイの表情は、私の力を完全に緩ませてしまった。
「俺の亜美を口説くなんて良い度胸してるよね。だから、ヤだったんだ。最初からあんたが亜美を見る目が気に食わなかったんだ。次はないから。今日は、亜美は連れて帰ります」
レイに手を取られ、強引に連れ出された。先生に謝罪する暇も、メンバーにお礼を言う暇も与えてくれなかった。
「レイ」
足早に事務所を放れると、手近な公園に入って行った。
「亜美。先生に口説かれてドキドキした?」
「えっ? 全然。なんかいつもの先生じゃなくて怖かった」
「そっか」
少し安心したような、疲れているようなため息交じりの声が漏れた。
「レイ。あのさ、私はほかのやつじゃイヤなんだ。見つめられるのも口説かれるのも抱きしめられるのも、レイが良い。だから、心配いらない。誰にどんな熱烈に口説かれたって私は靡いたりしない」
キツくレイに抱きしめられた。レイの温かみが私を幸せな気分にさせてくれる。
「レイ。私はさ、レイが思ってるよりもずっと、レイが好きだよ」
言葉にしなくても伝わっていると思っていた。伝わっているはずだと思い込んでいた部分もある。考えてみれば、あまり言葉に乗せて自分の心を明かしたことはない。レイは毎日のように伝えてくれていたのに。
「なあ、レイ。泣いているのか?」
私の頭の上でレイが頭を振っているが、鼻を啜る音が時折聞こえる。
愛しさを感じて、腕にギュッと力を込めた。
ここまで読んでいただいて有難うございました。
これで完結としたいと思います。このままこの作品の異世界編を連載しようかとも思いましたが、それについては断念しました。
今後の活動は、正直ちょっと迷っているんです。昨日短編として投稿した『魔王様の指導係』を連載として始めるか、途中まで書き始めている全く新しい話を連載するか、それとも暫くは短編を投稿するか。『魔王様…』は書いていて私自身が楽しかったんですよね。でも、連載となるとまた大変なのかなと思ったり。
とにかく今週はお休みして、来週に何らかの形で初めて行こうと思います。
また、お会いできることを願っております。