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第35話

 ハハはモテないわけじゃない。寧ろ瘤つきの割りにはモテているのだろう。仕事柄、色んなタイプのそれも極上品とも言える容姿をした男性との接点は多い。ハハから直接聞くことはないが、ハハの同僚や部下からそっともたらされる情報によれば、大分言い寄られたりもしているようだ。それらを全て跳ね除けるほどに一途に想っている相手というものへの純粋な興味が湧く。

 私に、父親に会いたいとか、知りたいとかそういう感情はまるでない。ハハから話を聞いても、へえ、とどこか他人事のように感じてしまうのだ。何故ハハがその話を始めたのか、不明なものだ。

「亜美は私に似ているわね。ワットは彼にそっくりだけど」

「そうか。……会いにいこうとか思わないのか?」

「今さらどの面下げて会いに行ける? 亜美の方こそ会いに行こうとは思わないの?」

「どの面下げてって、その面下げて行けばいいだろ? 私は会いには行かないぞ。レイにはレイの都合や考えがあるだろ。それにな、レイには必ずもう一度会えると思うんだ。さよならは言われてないしな」

 レイは、さよならを言わずに去った。それは、これが別れではないからだと思っている。

「ついこの間まであんなに泣いてたのに……」

「成長しただろ?」

「私なんかよりずっと逞しいわね、あなたは」

 本当に成長出来たのだろうか。自分で言ってはみたものの、それを否定している自分がいた。

 これから私はもっと強くなる。レイに笑われないように。次会ったときに惚れ直させるくらいに成長してみせる。



 あれからどれくらいの時が経っただろうか。

 レイが冬に姿を消し、春が過ぎ間もなく夏がやってくる。

 専門学校を卒業した私は、片野先生の事務所に就職した。卒業前からアルバイトとして働いていたので、新人としての緊張も先輩や上司との諍いやわだかまりといったものもなく、すんなりと馴染んでいった。

 忙しく働く中で、自分が成長したかどうかは疑問だが、絵本作家になるべく片野先生に厳しい指導を受けている。日々先生の技を盗むべく奮闘している。先生はそんな私にこう言うのだ。

「私の全てを盗んでみるといい」

 と。

 挑戦的な微笑を浮かべる師に、いつか必ずこの人を越えてやると日々野望に燃えるのだ。

 そんな先生と私の攻防戦を、事務所の先輩方は生暖かい眼差しで見守っているようだ。

 ハハは相変わらず仕事に忙しく、何日か会社に泊まり込んだのち、死にそうな顔をして家に帰って来ては泥のように眠る。

 あれからハハの口から父親の話が上ることはなかった。だが、今も会いたいと思っていることが、透けて見えるようだ。それは、私自身がレイに会いたいと願っているから見ることが出来るのかもしれない。

 レイへの気持ちは、生活が落ち着いてくると鮮明に見えてくる。自分がどれほど自分の気持ちに疎かったのか、レイがどれほど私を気にかけて、好いてくれていたのか。そして、レイへと向ける気持ちがとても強いことに私自身戸惑っている。もし、次に会ったなら、私は形振り構わずにレイに抱き付いてしまうかもしれない。この私がだ。

 真希は、イラスト関係の仕事には就かず、一般企業に入社しOLとなった。イラストは仕事にするのではなく趣味にするのだと、真新しいスーツを着込んで出勤していった。

 卒業する少し前に、真希は太一に気持ちを打ち明けたのだ。その時の太一の返事は、真希を落ち込ませるものだった。けれど、社会人になり二人の関係が私の目にも解るほど明らかに変わっているのが見て取れた。太一が真希を気にしている。真希を目で追う太一の姿を度々見かけるようになった。恐らく自分でも気づいていない行為なのだろう。きっと近い将来、あの二人が手をつないで微笑みあう姿を見ることが出来るかもしれない。


「亜美ちゃん。今日はもう上がってもいいわよ」

 私の教育係である先輩が、パソコンと睨み合っていた私に声をかけた。

「はい。あと少しで終わりますので、それが終わったら上がります」

 アルバイトの頃から、会社全体のスパルタ教育により、私の喋り方は改善された。仲の良い仲間内や近しい人たちの前では相変わらず酷い口調だが、仕事上での失言はもうなくなった。アルバイトを始めた頃は、お客さんを怒らせて何度も帰らせてしまった。今ではそれも笑い話になるほどに落ち着いたのだ。

 プリントアウトした書類を束ねて、先生のデスクに置いておく。これで本日の業務は終わりだ。

 身辺を整理して、事務所を出る。

 梅雨の中休みか、今日はからりと晴れあがり夕方になっているのに気温が高い。それでも、久々の晴れ間をすれ違う人々が喜んでいるのが解る。

 すれ違う恋人たちを見て、時折無性に寂しくなる。そして、不安になるのだ。

 常に傍にあった私の特別な人が、今はいない。あれから大分経つというのに、ブラウン管テレビはうんともすんとも言ってくれない。

 これ以上レイのことを考えれば、涙が出そうだ。潤んだ瞳を誰にも見られたくなくて、足元ばかり見ながら歩いていた。

 ふと足を止める。

 私の行く手を阻む足がそこにあったからだ。

「亜美」

 頭上から降ってきた声に、弾かれるように顔を上げた。

 夕日を背負うその表情が、逆光で見えない。けれど、聞き間違うはずがない。それはずっと待ち望んでいた愛しい人の声なのだから。

「レイ?」

「うん、ただいま」

 微笑んでいるのだろう。ふんわりと優しい雰囲気がレイを包んだ。

「今まで何やってたんだ。さよならも言わずにどっかに行きやがって。私がどんな気持ちで待っていたかっ」

 次に会ったら素直に気持ちを伝えよう。温かく迎えようと思っていたのに。現実はこの様だ。激昂した私は、涙を流しながらレイを責めた。

「ごめんね、亜美。でも、さよならは言いたくなかったんだ」

 表情は見えないのに、私には見えていた。困った顔で微笑むレイの表情が。愛しげに見つめるレイの眼差しが。

 素直に気持ちが伝えられない自分に腹が立って仕方がない。

 俯いて拳を握りしめた。

 レイは、一歩私に近付くと包むように抱きしめた。

 

次回、最終話です。

最終話の後に、補足編と番外編が数話あります。

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