第28話
大輪が咲いたような見事な笑顔と笑顔を作ろうと努力した形跡だけは窺えるが残念な引きつり顔。
プリントアウトした写真の私は、それはもう不様なものだった。
これは流石に渡せないとこっそり隠そうとしていた私の手から、するりとそれが姿を消した。
「レイ」
視線を上げると、そこには写真を手にしたレイが立っていた。
「ちゃんとノックしたよ」
それはそうだろう。過去に一度無断で部屋に入って酷い目に遭っているのだから。
「そうだろうな。それ、あげられない。酷い顔してるから撮り直そう」
「ううん、これでいい。これがいいんだ」
写真に目を落とし、くすりと微笑んだ。
「だから、やなんだってその顔」
「亜美っぽいからいいんだ。亜美、写真とか苦手でしょう?」
憮然としながらも頷いた。元々大した顔ではないが、写真の中の私はいつも不細工だ。何の恨みがあるのかレンズを睨み付けている。アルバムを広げれば、みんな私の顔を見ては笑うのですっかり写真嫌いになってしまった。
「不細工だろ?」
「ううん、可愛いと思う。俺は、どんな亜美も好きだから」
「だから、何で私なんだよ」
恋は盲目っていうのは、本当なのだろうか。誰が見ても不細工だと思うような写真を見ても愛おしいと感じてしまうほどに。
「初めはワットが連れてきた女性ってことで興味が湧いた」
まさか真剣に話し出すとは思ってもいなくて、驚き止めることを忘れてレイの横顔を見入った。
「誰にも媚びない態度や海での奔放な姿に惹かれた」
写真の中の私に語り掛けるように、目は落とされたままだ。
「日本に来て、亜美の夢のために奮起する姿を目にして、眩しく感じたし、憧れた。俺には何かになりたいとか、何かを成し遂げたいと思ったことはないから、羨ましかった。目が放せなくなった。真っ直ぐに夢を見つめるその瞳の中に少しでも入れたらと願った。亜美が持つ夢にさえ嫉妬した」
レイが写真からゆっくりとこちらに視線を移した。
無邪気さのないその瞳にぞくりと冷気が走った。
喉を潰されたように声が出せなかった。金縛りにあったように身体が動かない。
もしかしたら、レイに似ているだけの霊と対峙しているのではないかと疑った。
レイが向きを変え私を抱きしめると、耳元でそっと囁いた。
「ありがとう、亜美」
それだけ言うと、体を放しドアの方へと歩いていく。
私が何も言えないまま、レイはいつもの笑顔を残して去っていった。
扉に閉ざされたあとも私は暫らく動けなかった。
レイの真剣さを私は甘く見ていたのかもしれない。私を呑み込んでしまいそうなあの瞳に動けなくなった。無邪気だ無邪気だと、微笑ましくさえ思っていたレイが私の知らない男になってしまったようだ。子供だと思っていた甥っ子がいっぱしの口をきくようになった時のような衝撃と言ったら解るだろうか。そう、私は侮っていたのだ。レイの本気を。ガキの気まぐれ、可愛いものだと思っていたのだ。
だから、真摯な態度に中てられた。
レイのことを、レイへの気持ちを考えているつもりでいた。けれど、こんな中途半端なことじゃダメだったのだ。レイが本気なら私も本気で自分の気持ちを知らなければならなかったのだ。それこそ、突き詰めるまで自分を見つめなければならなかったのだ。
私は、確実に間違いを犯した。
今からでも間に合うだろうか。これから、自分の答えを探すのでは間に合わないのだろうか。レイは待っていてくれるだろうか。
漸く動き出した私は、パソコンの電源を落とすことも忘れてベッドにダイブした。そのまま混乱する頭を抱えながらいつしか眠りについてしまった。
翌朝、あまりの寒さにいつもより早く起きた。というのも、昨日頭がごっちゃになったままベッドに横になったので、布団も掛けずに寝てしまったのだ。朝までそれに気付かなかった自分に驚きである。
少し頭痛がするが、幸い今日は日曜日であり、一日寝ていれば風邪もすぐに治るだろう。
階下に下りれば、いつもは賑やかなレイとワットがいない。
ハハもまたリビングにもダイニングにもいなかった。私が早く起きたと言っても、日曜日の平均的な起床時間よりも早いという意味で、一般的に言ってもう起きていてもおかしくない時間になっている。
あの三人が起きていないわけはなかった。
「どっか出かけたのか?」
水を飲もうとキッチンに入り、ダイニングのテーブルの上にハハからのメモがあるのを発見した。
『少し出かけてきます。夕方には戻るので、お昼は適当に食べてね。夕食は私が買って帰ります』
ショッピングにでも行ったのだろう。レイとワットはハハのお供をさせられているのだ。ただの荷物持ちだ。ご苦労なことだ。
食欲が沸かない私は、水を飲んだ後すぐに部屋に戻って布団の中に潜り込んだ。
やはり少し風邪気味なのだろう。眠りはすぐに訪れた。
次に目を覚めたのは、もうすでにあたりが暗くなってからだった。
階下からがさごそとする音が私の睡眠を妨害したのだろう。朝よりも重い頭でそんなことを考えていた。
もそもそと起き上がり、寝癖のままで階下に降りると、ハハがダイニングテーブルに一人座っていた。
レイとワットの姿を探したがどこにも見つからない。
「亜美。少し顔色が悪いんじゃない? 風邪でも引いたの?」
「レイとワットは?」
無性に胸のあたりがムカムカした。とても立っていることは出来そうになかったが、どうにかテーブルに手をついて堪えていた。
「ねぇ、レイとワットは?」
どうしても今レイの笑顔が見たかった。何故だか胸が不安で押しつぶされそうで、あの笑顔さえあれば救われる気がした。
「いないわ」
「なんで?」
「帰ったのよ」
目の前が朦朧としている。ハハが言っていることを私は理解している自信がなかった。
「いつ帰ってくるんだ?」
「帰ってこないわ」
寂しそうなハハの目が私を心配そうに覗き込んでいた。
なぜ、そんな目で私を見るんだ? レイはどうしていないんだ?
私は何一つ理解できていなかった。だが、頬を何かが伝ったのだけは解った。
「レイはどこ……」
そこまでが限界だった。口を動かすことも、頭を動かすことも、立っていることもできなかった。
薄れゆく意識の中で、レイの声を聞いたような気がした。