第27話
「観覧車のてっぺんでキスをするとそのカップルはずっと一緒にいれるんだって」
ベタな都市伝説のようなものをレイが嬉々として言いだしたのは、観覧車を前にした時だった。
「そうか、なら私たちには必要ないな」
ばっさりとそう言い捨てると、レイは残念そうに顔を歪めた。
そんな顔をされても、キスの安売りをするつもりはない。
貸し切りの時間が終わったことで、ちらほらと人が見られるようになっていたが、観覧車を待つ人はおらず、すぐに乗り込むことが出来た。
貸し切りだったと聞けば、イルカショーのお姉さんが観客が二人しかいないにもかかわらずのあの張り切りようも頷けた。
しかしいつから貸し切りなんて考えていたんだか。
正面に座るレイを見た。窓の外に広がる景色を食い入るように見ている。
私もレイの視線の先を辿るように眺めた。あの辺は私たちの家がある方角だ。レイの必死の様相から、家を探しているのに違いないが、まだ見つけられてはいないようだ。何度か観覧車に乗ったことのある私はもう既に見付けていた。 私が教えることは容易いが、レイが見付けた時の得意げな顔が見たくて黙っていた。
暫らくキョロキョロと視線を動かしていたが、見付けたのだろう、私を見て目を輝かせた。
「あったよ、亜美っ」
頷いて微笑めば、満足そうな笑みを浮かべた。
本当に子供みたいだ。私が既に失ったその無邪気さが眩しい。
やがててっぺんをむかえるが、景色に見入っているレイは、自分の発言など忘れてしまったようだ。
「レイ」
私の声に嬉しそうに振り向いたレイに素早く唇を重ねた。
顔を放すと、呆気にとられて私を凝視する間抜けな顔があった。
「これでずっと一緒だな。まあ、恋人同士ではないけどな」
なぜ私がレイにキスしたのか自分でも解らない。観覧車に乗る前には、そんなことするわけないって自分で言ったはずなのに。しかも、自分からキスしてしまった。
レイが唖然としているけど、唖然としているのは私も同じだ。
でも、後悔のようなものはちっともないのだ。
約束のようなものが欲しかったのかもしれない。ずっと傍にいれるような証のようなもの。それがキスなのかと言ったら首を傾げるが。近頃のレイやハハやワットの異変に私は少なからず胸騒ぎのようなものを抱いている。きっと私は不安なんだ。レイがいなくなることが、この生活が変わることが。
「亜美、どうして?」
「私も解んない。何となくなんて言ったら軽蔑するか?」
胸の内で渦巻く胸騒ぎをレイには聞かせたくなかった。あっさりと離別の時を伝えられてしまいそうで怖かったのだ。
「軽蔑なんかしないよ。俺は嬉しいんだから。亜美がどんな気持ちでも嬉しいんだ」
景色を見たときよりも大きく広がったレイの笑顔がチカチカと輝いて見えた。
こんな風に素直に自分の気持ちを相手に伝えられるレイを凄いと思う。とても簡単そうに見えて、そうそう出来るものじゃない。何度そう思っただろう。私はレイに憧れているんだ。
「そっか」
「あっ、亜美。これってもしかして雪?」
興奮したような声に、レイの指さす方を見れば、ゆらゆらと小さな雪が舞い降りてきていた。
「ああ、雪だ。とうとう降り出してきちゃったんだな」
小ぶりな雪が地上へと落ちていく姿をレイが飽きもせず目で追っている。
カバンの中から携帯を取り出すと、夢中で気付いていないレイをカメラに収めた。
パシャリという音に反応したレイがすかさず切り出した。
「亜美と一緒に撮りたい。一度も写真撮ったことないよね」
確かに私とレイが一緒に写真を撮ったことなど今までになかった。今までになかったことを求めるレイに、何かを見出しそうになって慌てて止めた。これ以上深読みすれば見たくない現実まで見えてきてしまいそうだ。
「撮るか」
レイが立ち上がった際に少し揺れたが怖くはなかった。
私を気遣ったのか素早く私の隣に滑り込んだレイが、私に寄り添い笑顔を作った。
レイの笑顔には到底及びそうもない貧相な笑顔を作った私が写真の中に納まっていた。レイはいつものように目映いばかりの笑顔を浮かべている。
「亜美、これ今夜現像出来る? 俺、これをお守りにして持ち歩きたいんだ」
「出来るけど、別に持ち歩かなくてもいいだろ」
私という存在が目の前にいるのだから。わざわざ写真を持ち歩く必要性はないのだ。
ああ、まただ。嫌な胸騒ぎがする。
レイの前でいつも通りの表情を作れているだろうか。私はいつもレイの前でどんな表情をしていただろうか。笑顔はそんなに頻繁に見せてはいなかったはずだ。無表情だっただろうか。
「持ち歩きたいんだ。肌身離さず持っているだけで、きっと幸せな気分になれるから」
「解った」
長いようで短い観覧車の時間は終わった。
観覧車に乗って楽しいなんて思ったことは一度もなかった。何が楽しくてこんな閉鎖的な乗り物に乗って景色など見なければならないのかと思っていた。ただ少しばかり小さく見える街並みは少し小高い場所に行けば見ることだってできるだろうに。だが、今日は楽しかった。レイの笑顔もレイが見つめる景色も、レイが醸し出す楽しい雰囲気も私を楽しませてくれた。恐らくレイが楽しいという思いが私へと移ったのだ。思えば過去観覧車に乗った時は、あまり周りが楽しそうじゃなかった。取り敢えず乗っておこうか、という義務感のようなものが窺えたし、こんなものでしょ、というどこか上から目線の評価を下す人たちと乗っていたのだ。不思議なことに真希や太一と一緒に観覧車に乗った経験がなかった。観覧車を楽しむには、乗る相手も重要なのかもしれない。
大切な誰かと乗るからこそ楽しいのだ。
「楽しかったな」
「うん、楽しかったね」
私の言葉に最高級の笑顔を浮かべたレイが嬉しそうに声を張り上げた。
従業員のお姉さんが嬉しそうに微笑んでいる姿を目にした。
レイは人を幸せにできる人なんだと思う。きっと私だけじゃなくいろんな人をも幸せにできる人なのだ。私だけが独り占めして良いような人じゃない。