第23話
私という存在がレイの痛みの原因になっているのなら、やはり離れた方がいいのかもしれない。
だけど……
「私から離れることは出来ないな。そう思うほどにはレイが好きだよ」
「では、レイ様が自ら亜美の傍を離れたらどうなさるんですか?」
「それは……」
いつか来る未来だろう。
私がレイの気持ちに応えられないなら、いつか国へ帰り、私の知らない誰かと結婚することになるのだろう。
当たり前に知っていた事実なのに、今の今まで忘れていたことに気付かされた。レイがずっとここにいるとどこかで安心していた。
「レイ様を追いかけますか?」
「私にその資格はないだろ?」
私から離れて行こうとするレイを引き止めることも、追いかけることも私には出来ない。時折忘れそうになるが、レイは一国の王子なのだ。王位を継ぐ予定がないにせよ、この先何が起こるかは解らないのだから。そんなやんごとなき御方を私の我が儘に付き合わせるわけにはいかない。私がレイを好きになればまた話は違ってくるのだろうが。
「そうですか、そうですね。私どもがあなたに無理強いすることは出来ないですしね」
淋しそうにワットは言う。主の痛みは自分の痛みとでも言いたげに、顔を歪める。
どうしようも出来ずに歯を食い縛った。
「お休みなさい、亜美」
頭を軽く下げ、トントンと軽快な音を立てて降りていった。
「私にどうしろってんだ」
口の中でそう呟いてから、足を進めた。
二階に上がり自室ドアの前に立ってから、視線を移した。レイの自室のドアへと。
レイは食事の後すぐに自室に戻ってしまった。
声をかけてみようか。
そう思ったが、ワットの言葉が脳裏を過った。
私が声をかけることは、レイには迷惑かもしれない。私は自室のドアを開けて中に入った。
ベッドに腰をかけ、どさりと倒れこんだ。
みんな変だ。どこかがいつもと違う。みんなはその理由を知っているのに、私だけが知らない。
「ああっ、考えたって解んない。先生に読んでもらうやつ整理するか」
モヤモヤとする思考を払拭するためにこれまでの作品を引っ張りだした。
中学生の頃から絵本を作成していた。今見てみれば顔を覆い隠してしまいたいと思える作品の方が多い。それでも手直しすれば見れるようになりそうなものもあった。だが、残念ながら片野先生のような心揺さ振られるような絵本は書けていそうになかった。
比較するほうが愚かなんだろうが。
自分の作品を整理していたはずなのに、気付けば片野先生の作品を読んでいた。そうすることで、徐々に心が落ち着いてきた。
私は穏やかになった気分のままベッドに潜り込んだ。もう、こんな夜はなにも考えずに眠るにかぎる。
翌朝を迎えると、昨日の違和感がまるで幻だったかのように、いつもどおりだった。
無邪気な笑顔が私を出迎える。
拍子抜けして、それから可笑しくなった。
やっぱり昨日は疲れていたのだろう。考えすぎていた自分が馬鹿馬鹿しくなってくる。
朝食を終えた後、私は学校へと向かう。いつものとおりレイとワットが私の後をついてくる。
いつもと同じ。
無性にそれが嬉しかった。
学校へ着くと真希に会いに行き、昨日美術館であった出来事を話して聞かせた。
「へぇ、すごいじゃない。これで認められたらチャンスじゃない。亜美は頑張ってるものね」
自分のことのように喜んでくれる真希に、うっかり涙が零れそうになった。それをあざとく見つけた真希はニヤニヤとこちらを窺う。
「んだよ。見んな」
「いいじゃない。亜美が泣くなんて滅多にないことなんだから」
真希が大きな声でそう言うものだから、レイが慌ててこちらに飛んできてしまった。
「亜美。どうかした? どこか具合でも悪い? 何か悲しいことでもあった?」
「バカ真希。声がでかいんだよ。なんでもないぞ、レイ」
目じりを乱暴に手の甲で拭うと、微笑んで見せた。だが、涙は拭ききれていなかったのか、レイが私の目じりを手で拭った。
「なんでもなくないでしょ?」
いつになく真剣な、少し怒るようなレイの表情に驚いて目を見張った。
「イヤ、誤解すんなよ。私が泣いたのは真希が優しかったからで、所謂嬉し涙ってやつだ。だから、レイが心配するようなことは何もない」
疑うように私を見つめ続ける。
「だから、昨日片野先生に作品見せるって決まっただろ? それで真希が珍しく私を褒めてくれたからさ、嬉しくなっただけだ。レイ、あんた心配しすぎだ。そんな心配性じゃなかっただろ?」
「そうか、良かった。安心した」
やはりどこか変なのかもしれない。レイが私を心配するのはいつものことなのかもしれない。けれど、この異様な真剣さは今までなかった気がする。
「なあ、レイ。あんた何か私に隠してるだろ?」
「ううん。何にも」
にこりと微笑んだレイを、注意深く観察するが、そもそも他人の変化に疎い私が見ただけでなにかを察知することは非常に難しい。それでも、レイが何かを隠していることは確かな気がした。
「言えよ、レイ」
多少怯んだように見えなくもないが、笑顔を崩すことはない。私に言うつもりはこれっぽっちもないのだろう。
「言わなきゃ、明日から……」
「亜美、そろそろ講義が始まるお時間ですよ」
口きいてやらん、と言おうとした私を遮るようにワットが言葉を挟んだ。その先を遮るためにわざとそんなことを言ったのかと訝しんだが、時間は本当に講義の時間であったため仕方なく立ち上がった。
「レイ。私は嘘つくやつは嫌いだ」
レイの笑顔が固まっていたが、私は構わず歩き出した。
ワットがレイを慰める声が聞こえてくるが、私は無視を決め込んだ。
「亜美。あれは言い過ぎではないでしょうか。レイ様はナイーヴな方なのですから」
走ってきたワットが私の耳元で囁いた。
「なあ、ワット。じゃあ、私はナイーヴじゃないと言いたいわけか? 昨日からあんたたちが何かを隠していることは知ってるんだぞ。私だけ蚊帳の外か?」
「申し訳ありません。私からは何も申し上げられません」