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第20話

 私の目の前に立ちはだかるのは、長身で三十代くらいの雰囲気のある若い男だった。

 首が痛くなるほど見上げなければならない位置に顔があり、それだけでも迫力があった。

 だが、浮かべられた笑顔は思いの外優しげなものだった。

「えっと?」

 片野先生のファンの人かなんかだろうか。

 その巨人のような男を見上げていると、周りがどうにも騒がしいことに気付いた。

「片野先生よ」

「やっぱり素敵ね」

「片野先生に会えるなんて。今日来て良かったね」

 周りを見回すと、注目しているのは目の前に立つ男。囁き声ははっきりと私の耳に届いた。

 男に視線を戻すと、笑顔のまま私を見下ろしていた。

「えっ。男っ?」

 目の前に立つ男と片野あゆみが繋がらなかった。なぜなら私は、片野先生は女だと思い込んでいたのだから。

「こんにちは。片野あゆみです。先ほどから何度も僕の絵を見てくれていたから、つい話し掛けてしまった。迷惑だったかな?」

「迷惑だなんてとんでもないぞ。大好きだっ。……あっ、えと作品がだけどな」

 緊張して自分が何を話しているのか分かっていない。

 心の拠り所がほしくて、手が空間を探る。

 それに気付いてくれたレイが、しっかりと手を握ってくれた。

 ホッとするのが分かる。

 感謝の思いを込めてレイを見上げた。

 問題ないというかのように一つゆっくりと頷いた。

「君のような熱心なファンがいてくれるのは嬉しいよ」

「はい。小さな頃から先生の絵本が私の宝物だったんだ」

「そうか。嬉しいよ」

 レイに手を握ってもらっているせいか、緊張は徐々に薄らいできていた。

「もし良かったら事務所に来ないかな? ここはどうにも人目が多い。そちらの彼も一緒に。どうかな?」

「いいのか?」

 片野先生は、にこりと頷いた。

 視線をレイに向けると、こちらもにこりと頷いた。

「決まりだね。さあ、こちらだ」

 片野先生に促され、奥の事務所に案内された。


 事務所には、先生と同じ歳くらいの女の人が一人いて、先生が私たちを連れてきたことに驚いていた。

「あゆみさん。今日は珍しいお客さんを連れてきたんですね?」

「そうでしょう? もう、腹の探り合いにしかならないような面倒なお客には飽きてしまったよ」

「さあ、あなたたちこちらにかけて」

 女性はシックなグレイのパンツスーツに身を包み、黒い髪は後ろに束ねている。黒ぶちの眼鏡が知的にはえる美しい女性だった。

 出来る女性の典型といったその人から紡ぎだされる声は、低めながら柔らかさのあるものだった。知的でありながら、冷たいという印象は決して与えないのは、瞳が柔らかいからかもしれない。

「ありがとうございます」

 レイがそう言って、ぼんやりとしている私を促し、ソファに座らせた。

「コーヒーでいいかしら?」

「はい」

 半ば放心状態の私の代わりにレイが受け答えをする。

 王族として生まれたレイは、スマートな受け答えが出来るのだ。こんな時のレイはとても頼りになる。

「聞かせてくれるかな? 君は僕の作品のどんなところが好き?」

「絵はもちろん好きだし、話の構成なんかも素晴らしい。必ず最後は問いかけるように終わる。それが私は小さいころから大好きだった。物語の登場人物が直接私に話しかけてくれてるんじゃないかって思ったもんだ。実際は聞かれてもいないのに、私はこう思うと本に向かって話しかけたりしてたな。その問いの答えは私が成長するにつれ変わってくるんだ。物事を理解することができるようになるにつれ、その問いは奥の深いものだと気付いた。先生の絵本は子供だけじゃなく大人にも読んでほしい作品だよな」

 夢中になって話していた。

「ありがとう、嬉しいよ」

「亜美は片野先生に憧れて絵本作家になることを目指しているんです」

 言うつもりのなかったことを、レイが先生に伝えてしまった。

「そうなのかい?」

 そう聞かれてしまえば、嘘をつく理由がないので正直に頷いた。

「そうか、それは嬉しいな。ところで、ずっと気になっていることがあるんだが……、君はもしかして川村久美さんの娘さんじゃないかな?」

「え? そうだけど、なんで知ってるんだ?」

 こんなところでハハの名前が出てくるなんて思わなかった私は、少々戸惑った。

「僕がデビューしたての頃に久美さんにはお世話になっているんだよ。その頃に一度だけ娘さんに会ったことがあるんだ。男の子みたいな恰好をして、自分のことを『オレ』と言い、男の子みたいなしゃべり方をしていたから、てっきり息子さんだと思っていたんだけどね。女の子だったんだ。今でこそ『私』と言っているが、女の子にしては乱暴な話し方や興奮した時の表情があの頃と変わらない。あの時も、僕の作品を褒めてくれたんだよ」

 まさか、自分の子供のころを知っている人がいるなんて思いもよらなかった。

「確かにそれは私だ。実は小さい頃の幼馴染が男としか遊ばないというものだから、一生懸命男になろうとしていたころなんだ。自分のことをオレと言ってみたり、男の子のような服を着て乱暴な言葉をしゃべったり。その癖がなかなか抜けなくて、今も乱暴なままなんだ」

「その話し方は、無理にでも直したほうがいいよ。君は今、大学生?」

「専門学生だぞ」

「専門学生か。じゃあ、なおさら早いほうがいい。あとわずかで君は社会に出るんだ。そんな言葉づかいのままでは、誰も仕事を一緒にしたがらないよ。仲の良い友達同士でなら問題ないが、公の場でその話し方では、良く思わない人間が大勢いるからね。今のうちに直したほうがいい」

 ハハに言われるより、憧れの先生に言われたほうがこたえる。実際に、このままではいけないと思っているから尚更だ。

「……はい」

「まあ、僕はそういう話し方をする女の子が嫌いなわけじゃないから、僕の前では気にしなくてもいいよ。言葉遣いの話はこのくらいにしよう。もし、君がすでに絵本製作に取り掛かっているなら、その作品を僕に見せてくれないか?」

「え?」

「君の作品を見せてくれないか?」

「なんで?」

 無意識にぽろりと零れ落ちた疑問に、先生は答えることなく微笑んだ。

次話の更新は未定となります。

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