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第16話

「何してんだ、あんたは」

 道の真ん中で――たまたま人通りがなかったから誰にも見られていないが――、キスするやつがいるか。

不意討ちもいいところだ。

 レイは嬉しそうに私に笑いかけている。

 あんなことをしておいて、その邪気のない笑顔に腹立たしさを感じたいところなのだが、毒気を抜かれて怒るに怒れない。

「私は怒ってるんだぞ?」

「うん。ごめんね」

 笑顔の謝罪に力が抜ける。

「もう二度とすんなよ」

「努力するよ」

 努力。

 絶対しないとは言い切らないようだ。

 減るものでもないと、諦めてしまったほうがいいのだろうか。

 一番の問題は、不快に感じなかったことだろう。好きでもない男とキスしてもなにも感じないというのは、正常な女の感覚なんだろうか。はたまた私は異常なのか。

 まさか私がレイを好きだということは……ないな。

 相変わらず笑顔のレイを見ても、キスされた直後でも、全く動揺しない私がレイを好きなわけがない。

「とにかくもう行くぞ」

「亜美。許してくれるの?」

「何を?」

「部屋に入っちゃったことと、今キスしたこと」

「部屋のことは大して怒っていないと言っただろ? キスのことは犬に噛まれたと思うしかないな」

「じゃあ、もう一度噛み付いてもいい?」

「はっ倒すぞ。調子に乗んな」

「はい」

 素直に頷くレイを見た。

「あんた、少し背が伸びたんじゃないか?」

 少しばかり目線が上になったような気がした。

「成長期だからね」

 侮れない成長期。

 既に私を見下ろしつつあるレイを、見上げるのは悔しい。

 レイの父親も確か背の高い人だった。この分では私がぐんと見上げなければならなくなるのもそう遠くないだろう。

 弟はいないが、弟に背をぬかれた気分だ。癪に触る。


 なんだかんだとレイとスーパーにより、家に帰ると、ワットと太一に出迎えられた。

「なんだ太一、来てたのか?」

「亜美とレイが喧嘩したって聞いたから心配して来たんだけど、仲直りしたみたいだな?」

「まあな」

 恐らくワットが余計なことを吹き込んだのだろう。

「今日は鍋だぞ。太一も食べていくか?」

「ああ、いいのか?」

「勿論だ。せっかくだ。真希も呼ぼう」

 冷蔵庫に食材をしまうと、早速真希を電話で呼び出した。

 ハハにはメールで鍋をすることを伝えると、急いで帰ると返信があった。

 若い子たちと交流すると、若返るのだそうだ。本当かどうかはしらないが。

 真希は家に帰っていたようでものの5分ほどで到着した。

 みんなで鍋を囲むと、家族団欒みたいで幸せな気分になる。

 父親がいないことに淋しさを感じたことはないが、やはり食事は大勢でとるほうがいい。レイとワットが来てから私が一人で夕飯をとることは完全になくなったと言える。

 もし、二人が元の世界に帰ってしまったら、私はまた一人での食事になってしまうのだ。

 帰る? 帰るのか?

 知らず向かいに座っているレイを凝視していたのだろう、レイが首を傾げて私を見返していた。

「亜美? どうかした?」

「イヤ、何でもない」

 聞ける筈もない。

 疑似ではあるが、鍋をつつく団欒の中、その空気を遮るように、あんたは帰ってしまうのか、などと聞ける筈もないのだ。

 元々レイとワットはうちの居候なのだ。ならばいつかはいなくなるんだろう。そんな当たり前のことに、私はたった今気付いてしまったのだ。

 二人が私の周りにいることはもはや私にとっては常識。恐らく、学校でも家でもそれは周知のことであろう。

 その二人がぱたりと私の傍からいなくなるのは、言葉に言い表せないほど苦しいものに感じられた。それを想像しただけで、息が詰まるほどに。この場で泣き出してしまいそうな自分に戸惑いを感じていた。

 二人が私の傍から消える。

 きっとそれは、近くない将来に迎えなければならないことなのだ。

 一生はない。このままずっとなんて有り得ないのだ。

 堪りかねた私は、すっと立ち上がった。

「亜美?」

「トイレだ。聞くな、馬鹿」

「あっ、そっか。ごめん」

 私をいつも気にかけるレイ。私を好いてくれるレイ。私を理解しようとしてくれるレイ。

 その存在は、容赦なく私の心に刻まれていたのだ。

 だが、それは恋情というものではないことに早々に気付いていた。そもそもレイが私を想う気持ち自体が恋情ではなく、家族愛と友情が綯い交ぜになったような感情だと解釈していた。

 私もその感情に近い。弟のような友達のようなそんな存在だ。弟を失うような気分。

 私は父親を既に失っている。だが、それは私の記憶に残るほどの年齢ではなかった。だから、その苦しみを味わうのはこれが初めてになるのかもしれない。

 突然気付かされたその当たり前の事実を私は、その時までに整理しておかなければならないのだ。

 必ず来る別れを笑顔で送るために。

「亜美。大丈夫ですか? 戻りが遅かったので、様子を窺いに参りました」

 トイレに入って長いこと、思考にふけっていた私は、時が経つのを忘れていた。だいたい尿意など全くないのだ。

 あの場で突然泣き出しては堪らないと、席を立った。向かう先などトイレしかなかったのだ。

「体調が悪いのでしょうか?」

 ワットの気遣わしげな声が外から聞こえる。

「ワット。あんた達はさ、いつかいなくなるんだろう?」

「そうですね。いつか我々は国へ戻ることになるでしょう。お寂しいですか?」

「まあ、少しな」

「お寂しいのなら、亜美も我々の国へいらっしゃればいいのです。恐らくレイ様はそうなることを望んでいらっしゃるのではないでしょうか。レイ様は亜美を連れて帰り、ご自分の妃になってくれることを――」

「それはないって。ワットも分かってるだろ? レイのあの感情は恋愛なんかじゃないんだよ。人として私を気に入ってるだけなんだろうな」

 トイレの扉一枚で隔てられているせいか、気楽に話すことができた。

「そうでしょうか? 亜美にはそう思えるのですね?」

「そうだろ?」

「残念ながら、亜美はまだまだレイ様のことを理解されていないようです」

 そう言って、トイレから離れていった。

 怒ったのだろうか。

 その声からは怒気は感じられなかったが、何となく責められたような気がした。


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