第12話
「亜美。いい加減にしなさいよ?」
一日の講義が無事終了して、フッと息を吐いて肩の力を抜いた。そんな脱力した状態の時に、耳元で底冷えするような低い声が聞こえて、身体を強ばらせた。
「ま、真希」
振り返れば背後に仁王立ちした真希の姿があった。
真希とは、同じ学校とはいえ学科が違う。受ける講義がほぼ異なるので、丸一日会わないことだってある。それをいいことに、私は真希と会わずにいたわけだ。
「もう講義は終わったわね?」
「あ、ああ」
「じゃあ、ご同行願おうじゃないの。私は亜美と大事な話があるから、レイくんたちは先に帰っててくれる?」
「分かった」
私の隣に座っていたレイが、真希の冷気を感じたのか、すかさず返事をした。
いつものレイなら拗ねた表情の一つもするところであるが、ただならぬ物を察知したようだ。
レイのこめかみから冷や汗が零れてきそうだ。
「さあ、とっとと行きましょ、亜美」
私の腕を強引に掴むと、女とは思えない力で引き摺られる。
引き摺られていく私を、レイが笑顔で見送っている。
後で懲らしめてやる、と心中でどぐついた。
何か人に知られたくない話をするときや、静かなところでまったりとしたい時に真希とよく来る喫茶店に連れ込まれた私は、正面から真希に睨まれていた。
「怒ってるのか?」
「怒っているわよ」
「そ、そうか。ごめんな?」
やけに喉が渇くと、お冷やに手を伸ばした。
「何にたいして?」
「それは、真希が腹を立てていることに対してだな」
「さあ、問題です。私は何に腹を立てているのでしょう?」
凍るような微笑を見るのはこれが初めてではない。けれど、こんなにも恐ろしい笑顔はもう二度と見たくないと思った筈だったのに。
「私が、そのなんだ、真希を避けていたから」
「はい、正解っ。なんで避けるの? 私が太一を好きだから? 太一が亜美を好きだから? 亜美が太一の気持ちに応えられないから? 太一の気持ちを亜美が縛ってると亜美自身が思ってるから?」
「その全部だ」
真希は全てを言い当てていた。それは見事なまでに。
「全てが無駄よ。そんなことを考えるなんてナンセンスだわ。そのどれをも、亜美がどうすることも出来ないものよ。私が太一を好きだろうがなんだろうが、太一が見ている先には亜美がいる。それは曲げられない事実。太一がどんなに亜美を好きだろうが、亜美にその気がないのも事実。一々全部気にしていてもどうなるものでもないでしょう? 人の心はそう簡単には変えられない。だけど、いつどうなるかは分からない。それをそのまま受け入れるしかないのよ」
「真希は受け入れられるのか?」
「受け入れられるかじゃないの、受け入れなければならないのよ」
そうやってこれまで自分の気持ちと折り合いをつけて来たのだろうか。
「真希はいつから太一が好きなんだ?」
「私が転校してきたその日からよ」
それはもう、私たちが初めて会った日。
私と太一は元々ここで生まれ育ったわけだが、真希の場合は小学校の2年生の頃にここへ引っ越してきたのだ。それからの付き合い。
私たちが初めて会った日、あの日も私は太一と一緒にいた。あの頃の私はどこからどう見ても男の子だっただろう。今でこそ「私」と称しているが、あの頃は「俺」と言っていた。太一と一緒になって男の子たちと果敢に遊んでいた私は、女の子ではなかった。
この町のことを何も知らない女の子のために、私たちが友達になろう、と慌ただしい引っ越し作業を覗きに行ったのだ。この町に来たことが不服なのか、しょんぼりとしている女の子に私たちは声をかけ、手を引いて遊びに誘った。
その後、娘が突然消えたと真希の両親が騒ぎ出すのだが、当の本人は私たちと楽しく遊んでいたのだ。
その日、真希は太一を好きになっていたのだ。小学校2年生の幼い私には、そんな感情を見抜く力はなかった。
「そんな前から好きだったんだな。私にはそんな感情は分からないけど、少し羨ましくも思うよ。誰かを真剣に思えるのとか、凄いな」
「私ね、もうすでに太一にはフラれてるの。結構前の話よ。それでも未だに諦めきれなくて、私も結構しつこいのね」
「告白してたのか?」
「そう。本当に随分前の話。中学校の時の話よ。クラスメイトに唆されて、もしかしたらオーケーして貰えるんじゃないかって気にさせられたのよ。まんまと告白して、まんまとフラれたわ。その直後は、クラスメイトを恨みたいと思ったものだけど、今では感謝しているかも。それがなかったら一生私はこの想いを胸にしまっていたと思うから。私もそろそろ新しい恋を探そうと思ってるんだ。いい加減同じ人を見るのも疲れたしね。ワットくんなんてどうかな?」
こんなに長く想い続けた人を、まだ近くにいるその存在を忘れることは出来るのだろうか。
「忘れるには次の恋を見つけるしかないって皆言ってるよな。見つけられそうか? ワットはあんまりおススメしないぞ。あいつは無口だからな。まあ、真希がお喋りだから成立するかもしれないが。別にレイでもいいんだぞ?」
「レイくんはいい。また私が辛い想いをすることになるし、友達の恋を邪魔したくないし」
「友達の恋って何だ?」
「勿論、亜美とレイくんの恋だけど?」
なんという妄想をしだしたんだ。
私がレイとどうこうなるなどとあるわけがないではないか。
「あるわけないだろ、そんなもの」
「でも、プロポーズされてるんでしょ? それに、嫌がらずに傍にいさせるじゃない」
「それは、別に好きだから傍にいさせてるわけじゃなく、あいつがあまりに不憫だから仕方なく。私には夢の方が大事だ」
真希は呆れたと言いたがに大きな溜息をついた。
「夢だけを追いかけるのもいいけど、両立することも出来るんじゃない? 夢にとらわれ過ぎるのも賢明じゃない気がするけど」
「私はこれでいいんだ。恋愛なんて邪魔なだけだ」
話を遮るように、飲み物を流し込んだ。
夢だけ追いかけて何が悪い。恋愛なんてしなくたって人間は死にはしないのだ。
恋愛なんてクソくらいだっ。
いつも読んでいただいて有難うございます。
この作品ですが、誠に勝手ながら20話まで投稿した後、しばらく休ませていただこうと思います。
色々思うところがありまして、少し寝かせたいと思いました。その間、違う作品を始める予定でいます。その後この作品をどうするかは、正直なところ分かりません。そのまま完結を待たずに消してしまうかもしれませんし、再び開始するかもしれません。
いつも読んでいただいている方々には申し訳なく思いますが、よろしくお願いします。