第1話
封書が届いた。
つるつるとした霞がかった銀色の質の良い封筒だ。表面に私の名前だけが刻印されている。切手も住所も消印もない。後ろを見ても、差出人の名前も住所も何もない。不審なものだった。
中身はあまりにも不可解な内容だった。
10月○×日 18:00より王城にて舞踏会を催しますので、必ずご参加ください。大まかに言えばこんな内容だった。
封筒の中身は舞踏会の招待状だったのだ。
まず、日本国内に王はおらず、勿論王城――城ならあるが――などあるはずもない。それに私自身高貴な身の上の出自なわけでもなく、ごくごく普通の一般人であり、舞踏会など見たことも出席したこともない。ドレスを着たことさえない。それらの点を踏まえ総合的に見た結果、これが誰かの手の込んだ悪戯であり、恐らく私と同姓同名の誰かと間違えて家のポストに入れてしまったのだと判断した私は、それを机の上に積んであった資料の上にぽとんと落した。
そんなことがあったことなど全く頭の中から消え去ったある日のこと。
学校から戻った私は、ある異変に気付いた。
テレビ画面に一枚の紙が張り付けられていた。
テレビがデジタル化した今、私の部屋のブラウン管テレビはその役割を終えた。新しいテレビを買うのも面倒で、さらには処分するのも面倒、押入れに移動するのも面倒、結局放置していたそのテレビ画面に紙が張り付けられていたのだ。
『舞踏会開催のお知らせ』
そう大きく記された用紙は、恐ろしく事務的な内容だった。
そのお知らせを読んで、約1ヶ月ほど前に届いた招待状を思い出した。馬鹿馬鹿しいお知らせの内容に腹が立って、ぐしゃぐしゃにしてごみ箱に投げ捨てた。
ただ、これは手の込んだ嫌がらせどころの騒ぎではない。何者かが私の部屋に足を踏み入れ、わざわざこの忌々しいお知らせをテレビ画面に貼り付けていったのだ。
自分の部屋に見知らぬ誰かが足を踏み入れたと思うと、言い知れぬ恐ろしさと気持ち悪さを感じ背中を冷たいものが走った。
「まさか、ストーカーじゃないよな?」
口に出して、その言葉に恐ろしさを覚えた。
警察に届けるべきだろうか? イヤ、警察に届けたところで、本気にさえしてくれないだろう。もしも、あなたなんかにストーカーする人いないでしょ、なんて鼻で笑われたら、警察署で暴れてしまう危険性がある。そんなくだらないことで、留置所送りにされるのも考えものだ。
誰か男友達に頼んでみようかとも考えたが、その考えもすぐに搔き消した。私の男友達にそういった類を相談できる相手――厳密に言えばストーカーを排除できるほどの逞しい男――はいない。
「あいつらに頼んだって足手まといになるだけだし、自分でやっつけた方が早いよな」
母には絶対に相談しない。相談したら、大袈裟なことにされてしまいそうだ。
結局私は何もしなかった。防犯カメラを部屋に取り付けてみようかとも思ったが、そうすれば母にバレる恐れがあるし、防犯カメラを買うだけのお金も悲しいことになかった。
ただ、帰った時は部屋を隅々までチェックしたし、家の周りに不審人物がいないかどうか気をはって過ごした。
その後、部屋が荒らされたり何かを盗まれたり変なものが置かれたり貼られたりすることもなく、不審人物が周りをうろついている事実もなかった。
私は、その日の出来事を決して忘れないだろう。イヤ、忘れられないだろう。
不審人物の形跡が全くないことに少しばかり気を緩めていた日曜日の午後、学校の課題に手をつけていた私は妙なもの音に顔を上げた。
タプン、という音だろうか。水に手や足を入れた時のような、それとも池の鯉が尾びれで水を立てた時のようなそんな音だ。
私の部屋の中に水槽はない。飲み物を飲んでいたわけでもない。水と呼べるものはこの部屋の中にはなかった。
不思議に思い顔を横に向けた瞬間、私は凍りついた。イヤ、小さな悲鳴くらい叫んでいたかもしれない。
そうなってもおかしくはない光景を私は目にしていた。
ブラウン管テレビの画面から人が這い出て来ようとしていたのだから。ホラー映画のあの人物を思い出した私は、逃げることも出来ずにただその光景を見守っていた。
ただ一つ救いだったのは、這い出て来ようとしている人物が長髪でないことだろうか。なんでかあの長髪は恐怖心を倍増させていたと私は思うのだ。
ずり、ずずりと這い出て来た人――若しくは霊と呼ばれるもの――は、大きくふぅっと息を吐くと立ち上がり、パタパタとスーツをはらって身だしなみを整えた。
「お初にお目にかかります、川村亜美様。私、お迎えにあがりました」
すらりと伸ばした背中をしなやかに折り曲げ、慇懃丁寧にそう言った。
「あんた誰だよっ。おっ、お化けか?」
人には秘密にしているが、私は不可思議現象に滅法弱い。お化けや霊、妖怪、未確認生物。全てお断りだ。
「いえ、私はお化けではございません。名はワットと申します。こちらに参るのにこのルートしかございませんで、少々窮屈ではございましたが、失礼ながら通させて頂きました。不格好を晒し、申し訳ございません。亜美様も知ってのとおり、今宵は舞踏会でございます。私、亜美様をお迎えにあがりました」
丁寧過ぎるもの言いと胡散臭い笑顔に鼻じらんだ。
「てめぇかっ。あの訳の分からん招待状とお知らせを貼っ付けて行きやがったのはっ」
お化けじゃないと分かった私に怯えはなく、怒りだけが腸を煮えくりがえっていた。
男のネクタイを締めあげ、耳元で怒鳴り散らした。
「亜美様は凶暴でいらっしゃるようで。ですが、殿下はそういった方をお嫌いではないようですので、ぴったりではないでしょうか」
「何ごちゃごちゃ言ってんだ、てめぇ。はったおすぞ」
「はったおされるのは本望ではございませんので、少々手荒ではございますが、失礼させて頂きます」
にっこりと微笑み、そう言うや否や、私の腹部に強烈な痛みが走った。マズいと思った時には既に私の意識は殆ど飛んでいた。
「申し訳ございません、亜美様」
てめぇ、ぜってぇ許さねぇ。その言葉は口を吐いて出ることはなかった。
新連載です。
平日更新でやっていきます。
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