馬小屋の希望
ヴァレリア大陸、城塞都市の郊外。半年後の乗馬倶楽部。
木々の間に佇む古びた馬小屋。苔むした石壁に囲まれ、藁と馬糞の匂いが漂う。遠くで魔獣の遠吠えが響き、薄曇りの空が木の屋根をぼんやり照らす。馬たちが低く嘶き、藁を踏む音が静かに響く。サラは汗を拭い、馬の餌を運ぶ。
少年——ピースは、ボロボロのマントを羽織り、デッキブラシを手に馬を見つめる。
サラは藁の束を肩に担ぎ、額の汗を拭う。革鎧は脱ぎ捨て、粗末な作業着に変わったが、彼女の動きには、かつての騎兵隊長の凛とした力が宿る。
馬小屋の埃っぽい空気の中、彼女は充実感に小さく笑う。半年間、乗馬倶楽部の仕事——審判やコース設営に打ち込み、戦争の悪夢から一歩踏み出した。
だが、目の前に立つ少年の姿に、彼女の胸がチクリと痛む。
少年——ピースは掃除係として雇われたが、デッキブラシを手に、馬を見つめたまま動かない。ボロボロのマントが、馬小屋の風に揺れる。サラは彼に近づき、柔らかく声をかける。
「どうしたの? 掃除しなきゃダメだよ?」
ピースは無表情のまま、平坦な声で答える。
「僕は空が飛べる。だから、コイツらに乗る必要はない。」
サラは小さく頷き、藁の束を下ろす。
「そうだね。」
ピースはデッキブラシを握ったまま、馬をじっと見つめる。
「コイツは僕より遅い。足が遅い。」
サラは笑みを浮かべ、馬の首を撫でる。彼女の声には、優しさが滲む。
「そうだね。でも、一生懸命頑張ってるでしょ? 私たちと一緒だね。」
ピースは一瞬、目を細める。だが、すぐに無表情に戻り、短く呟く。
「…うん。」
サラは彼をじっと見つめ、そっと尋ねる。
「…楽しい?」
ピースはデッキブラシを握り、目を馬に固定したまま答える。
「…わからない。」
サラは小さく息を吐き、静かに言う。
「そう。」
ピースはゆっくりと馬小屋の奥に歩み、一匹の老馬に近づく。馬の毛はくすみ、目は濁っている。彼は無表情のまま、平坦な声で言う。
「コイツは歳を取って、もう誰も乗せられない。使えない馬。」
サラは老馬の横に立ち、穏やかに頷く。
「…そうだね。」
ピースはデッキブラシを握りしめ、目を老馬に固定したまま続ける。
「…コイツ、どうしたらいい? 使えないコイツはどうしてあげればいいの?」
サラの目が、かすかに揺れる。彼女は老馬の首を撫で、ピースを見つめる。半年前の酒場、少年の冷淡な言葉とあの言葉が、彼女の胸に蘇る。
あの言葉は、戦争に壊された少年の、かすかな人間の叫びだった。サラは深呼吸し、静かに、だが力強く言う。
「一緒に考えようか? 私たちと同じで、きっと何かが見つかるよ。」
ピースは無表情のまま、老馬をじっと見つめる。馬小屋の風が、ボロボロのマントを揺らす。サラの言葉が、静かな馬小屋に響く。
戦争は、仲間を奪い、自分を蝕み、ピースを壊した。だが、彼の「使えない馬」への問いかけは、壊れていない心の欠片だ。サラの胸に、切ない希望が灯る。彼女はピースの背中を見つめ、そっと微笑む。
馬小屋の日常は、二人に新しい道を囁く。




