石畳の涙
酒場「黒狼亭」の重い木の扉が、ギィと音を立てて閉まる。
薄曇りの空の下、石畳の道にサラの革ブーツの足音が響く。遠くで魔獣の遠吠えが低く唸り、冷たい風が彼女の革鎧を撫でる。酒場の喧騒は遠ざかり、少年の去った背中が、路地の闇に消えた。
サラは一人、戦争の傷と向き合う。
サラは酒場の扉を背に、石畳に立ち尽くす。冷たい風が彼女の髪を揺らし、革鎧の肩当てが鈍く光る。
少年の無表情な顔、平坦な声、冷酷な言葉が、彼女の胸に重く響く。彼女は拳を握りしめ、目を閉じる。心の奥で、何かが軋む。
少年に話しかけたのは、確かに好奇心もあった。あの空を舞う少年兵、かつての敵の顔を間近で見たいと思った。だが、それだけじゃない。サラの胸に、ぽっかり空いた寂しさが疼く。
戦争で失った仲間、騎兵隊の笑い声、魔馬の嘶き。あの頃の自分を、どこかで取り戻したかったのかもしれない。少年に怒りをぶつければ、自分の傷が少しでも癒えると思ったのかもしれない。彼女は唇を噛み、目を伏せる。
「でも…あの子は、私より壊れてた…」
少年の虚ろな目、「命を奪っても何とも思わない」という言葉が、彼女の心を締め付ける。
サラは一歩前に進めた。
少年の助言——乗馬大会の仕事、審判やコース設営に、かすかな希望を見出した。だが、少年はあの酒場で、カツ定食を食べ終え、ただ立ち去った。
「また物壊す仕事探してくる」と、まるで機械のように。サラの胸が、チクリと痛む。
「私は…助かったのに。あの子は、助かっていない…」
彼女の声が、かすかに震える。少年の無表情な背中が、酒場の扉に消えた瞬間が、脳裏に焼き付く。あの子に、自分は助けられたのだ。戦争の罪に囚われた自分に、「駒を操る上の人間が苦しめばいい」と、冷たくも鋭い言葉で道を示してくれた。
なのに、あの子はまだ戦場の闇に閉じ込められている。サラの目が、熱を帯び始める。
「戦争とは…人間をあんな風にしてしまうのか…」
少年の言葉が、彼女の胸に蘇る。
「命を奪っても何とも思わない」「人を物としか見てない」「僕、物壊すマシーン」。
本当に、彼は命令に従うだけの機械になってしまっているのか? サラの息が詰まる。北の焦土平原、少年が空から火球を降らせ、仲間が灰と化した記憶がフラッシュバックする。あの無機質な目が、彼女を追い詰めた。だが、今、少年の別の言葉が、彼女の心を刺す。
「そうそう。僕らはただの駒です。駒が苦しんだって仕方ありません。その駒を操ってるヤツが苦しめばいい。死んでしまえばいい。地獄に落ちてしまえ。」
サラの目が、大きく見開かれる。あの言葉。あの、少年の無表情な顔と平坦な声に見合わない、怒りに震える言葉。あんな少年から、こんなにも恐ろしい言葉が平気で出てしまうのか? 彼女の胸に、酒場でのあの瞬間のざわめきが蘇る。少年の目には、確かに何もなかった。
だが、声には、抑えきれぬ何かがあった。
「え…?」
サラは立ち尽くす。石畳に、彼女の影が長く伸びる。
「『地獄に落ちてしまえ』…?」
彼女の声が、震える。あの言葉は、機械の言葉ではない。
命令に従うだけの、冷たい合理主義の言葉ではない。
あれは…人間の言葉だ。
怒り、痛み、どこかでまだ壊れていない心が、少年の口からこぼれ落ちたのだ。
サラの目から、涙が一筋、頬を伝う。
「違う…! あの子は、まだ…!」
戦争は、仲間を奪い、自分を蝕み、敵である少年さえも壊した。だが、少年の心は、完全に壊れてはいなかった。あの「地獄に落ちてしまえ」という言葉は、戦争の駒として使われた少年の、かすかな叫びだった。サラの涙が、石畳にぽたりと落ちる。
彼女は拳を握りしめ、少年の去った路地の闇を見つめる。戦争は、すべてを傷つける。だが、あの子はまだ、引き返せるかもしれない。サラの胸に、切ない決意が宿る。




