Track.6
「それで今日、急に人足りなくなっちゃって。応援も頼んだんだけどね。」
そう店長が言った瞬間、厨房の奥から——
「おっつかれちゃ〜ん!!」
陽キャボイスが飛んできた。
何事かと思って振り返ると、そこにいたのは——
全面ロゴプリントのシャツにウォレットチェーンをぶら下げて、
ウルフミックスの毛先だけ茶髪。片耳に小さなフープピアス。
まさに、2002年の“イケてる兄ちゃん”を絵に描いたような男だった。
店長が俺とその男の間に立って、笑顔で言う。
「紹介するね、応援に来てくれた八坂くん。潤くんね。
で、こっちが今日から入ってくれた一ノ瀬くん。奏くんです」
——じゅん兄!!?
俺の脳内で、ドラムロールと共に記憶の扉が開く。
(じゅん兄!? え、あのじゅん兄???)
懐かしさのあまり、思考が吹っ飛んだ。
「じゅん兄〜〜〜っっ!!」
気がつけば、俺は飛びついていた。
もう、完全に無意識。自分でも何してんのか分かってない。
※この世界線では初対面である。
「お、おいおい!? かなでぃ〜ん、ノリいいじゃ〜ん☆」
ウケてる。
全然嫌がってない。むしろ、満更でもなさそう。
「俺らもう、マ〜ブ〜ダ〜チな〜⤴⤴」
「……っすよね!!」
このノリ。この空気感。
じゅん兄——間違いない、俺の記憶にあるあの“兄ちゃん”だ。
* * * * * *
2002年、俺が大学2年の夏。
バイト先の居酒屋で出会った先輩、それがじゅん兄だった。
当時は「チョベリグ〜!」「ウケる!」などの流行語を連呼し、
初対面の後輩にもガンガン距離を詰めてくる、陽キャの極みみたいな人という印象で。
でも、なんだかんだでバイト終わりにご飯連れてってくれたり、
相談に乗ってくれたりと面倒見が良くて。
俺の20歳の誕生日には、「クラブデビューさせたるわ!」と
渋谷の箱に引きずり込まれた黒歴史もある。
その日、なぜか、じゅん兄の知り合いのギャルサーが合流してきて、
気づけば両脇に盛り髪・網タイツのギャル2人。
「え〜まじ初クラブぅ? ウブ〜♡」とか言われながら、
腰に手を回され、首筋に香水の匂いがまとわりつき——
完全に何かのトラップだった。
……そして、酔いすぎて記憶はほとんどないが、
目を覚ましたら、知らない天井があった。
服はちゃんと来ていた。……たぶん。ただ、何があったのかは、今でもわからない。
——俺の純潔が奪われたのかすらも。
それは、それはもう、若気の至りである。
……詳しくは語らないでおこう。
たぶん、あれが俺の“初めての敗北”だった。(※自称)
「……奏くん? なんか、能面みたいな顔してるけど大丈夫?」
「おいおい、かなでぃ〜ん、その顔どういう感情だよww」
ハッとして二人を見る。
えっ、顔に出てた?
違うんです。
ただ、青春時代にうっかり踏み抜いた生涯黒歴史殿堂入りレベルが、
何の前触れもなく脳内シアターでフルHD再生されただけなんです。
……あの夜の俺、上映禁止レベル。
でもなぜか観客席の自分が「もう一回!」ってリピート押してくる。やめろ。
「……今度は、急に赤いおかめみたいな顔でニヤニヤしてるけど……大丈夫?」
「……お前、情緒ジェットコースターじゃんww」
二人の声で、再び現実に引き戻される。
えっ、また顔に出てた!?
「イヤ……ナンデモナイッス……」と、とりつくろって、壁際の棚に飾られていた造花のひまわりを一本手に取り、香ってみる。
当然、無臭。
店長とじゅん兄が同時に眉をひそめた。
(……頼むから、“黒歴史シネマ・お蔵入りSpecial”は二度と上映しないでくれ)
代わりに、今度は“青春メモリアル・感動編”の幕がゆっくり上がる。
そして──時は流れ。
俺のEveLinkの活動が波に乗り、インディーズデビューを果たした頃のこと。
たまたまSNSで活動を知ったらしく、
路上ライブに奥さんとお子さんを連れて駆けつけてくれたこともあった。
「職場のギャルたちに配るから!」ってCD50枚大人買いして、
豪快に笑っていたじゅん兄。
……あれから、10年近く経って。
まさか“過去”の同じ場所で、また出会えるなんて。
* * * * * *
「俺らもう、マ〜ブ〜ダ〜チな〜⤴⤴」
記憶のじゅん兄と、目の前のじゅん兄が重なって、
懐かしさで胸がいっぱいになる。
(うわ、ヤバい。ちょっと泣きそう)
でも、まだ“初対面”の世界線。
……バレないように、気をつけろ俺。
* * * * * *
ライブ終わりの“聖地巡礼”は、想像を遥かに上回るものだった。
23時を回っても、女性客がどんどん来る。
ケータイ片手に、「ここだよね?」「これが例の湯葉天ぷら……!」と目を輝かせ、チェキ片手に写真を撮りまくるグループ。
「ごめんなさい、湯葉追加で三つ!」「私も三つ!」と次々にオーダーが入り、厨房の天ぷら鍋が悲鳴をあげる。
——湯葉って、どのくらい在庫あるんだろう。
一瞬、そんな現実的な不安がよぎる。
店内は、もはや軽いパニック状態。
なのに——俺は、なぜか落ち着いていた。
「カウンター3名様、お冷お持ちします!」
「すみません、お料理少々お時間いただきますね!」
バタつくフロアで、指示を飛ばし、皿をさばき、声をかける。
かつて経験した“修羅場バイト”の数々が、身体に染みついている。
——伊達にプロフリーター歴10年(※42歳)じゃない。
「助かるわ〜奏くん、段取り上手いね!」
店長がそう笑いかけたそのとき——
横からさらにテンション高めの声が飛んできた。
「さっすが、かなでぃ〜〜〜んッ☆ 段取り神ってんじゃ〜〜ん⤴⤴」
「っしゃ! こっちもエンタメ魂、ボーボーに燃えてきたわ〜〜〜!!」
そう言ったのは、他でもない。じゅん兄だった。
タオルでしっかり髪を覆い、エプロン姿で厨房を仕切るじゅん兄。
オーダー用紙を片手にピースサイン、絶妙なタイミングでドリンクを出し、湯葉を揚げ、笑顔でギャルたちを和ませるその姿は、まさに“2000年代のレジェンド”。
店長が思わずポツリと漏らす。
「……何この二人、めっちゃ仕上がってる……」
気がつけば、混乱していたはずの店は笑顔で溢れ、
まさかの売り上げ記録を叩き出していた。
——この日から、「湯葉天」は名物となり、
俺とじゅん兄は“伝説の初日×じゅん兄タッグ”と呼ばれることになる。