Track.36
七階の社員食堂は、昼時らしくそこそこ賑わっていた。
トレーを置き、向かい合って腰を下ろす。
五十嵐くんの前には、だし巻き定食。
俺の前には、迷わず選んだカツ丼。
「いや~、もうほんっと、一ノ瀬君が来てくれて良かったよ」
そう言って、五十嵐くんは人懐っこい笑顔を向けてくる。
少しクセのある茶髪に、すっと整った顔立ち。
——うん、かっこいい。
あのあと。
小学生ズの質問攻めをどうにか捌いているうちに、昼休憩の時間になった。
小学生たちは弁当やお菓子を広げて、レッスンフロア内の休憩室で昼ご飯らしい。
俺は五十嵐くんに誘われて、この社員食堂までやって来た。
「俺さ、研究生になって一年なんだよね」
だし巻きを箸で割りながら、何でもないことみたいに言う。
「高一のときに入ってさ」
「ルクスって、小学生から入ってくる子がほとんどでしょ?」
「中学生はたまにいるけど、高校生から入所したのって、ほぼ俺くらいで」
五十嵐くんは苦笑しながら、肩をすくめる。
「同期は小学生だし、同い年くらいの人はいても、みんなキャリア長い先輩ばっかりでさ」
「正直……ちょっと居場所、なかったんだよね」
「なるほどなぁ」
俺はカツ丼を一口運びながら、頷く。
「まさか、大学生の後輩が入って来るなんて思わなかったよ」
フフ、と小さく笑い合う。
「俺もさ」
「今日レッスン室入った瞬間、小学生しかいなくて、普通に固まったわ」
「でしょ?」
五十嵐くんは、どこか安心したように笑った。
「歌唱クラスの初級って、たまに中学生くらいの子も入ってくるけど」
「みんな数か月したら、中級行っちゃうんだよね」
箸を止めて、少しだけ視線を落とす。
「俺、一年ずっと初級」
「正直……このままでデビューできるのかなって、ちょっとへこんでた」
その横顔には、迷いが滲んでいた。
けれど、目を逸らさずに話すあたりが、妙に真面目で。
(大丈夫だよ)
心の中で、そっと言う。
五十嵐 塁。
確かに、未来でも歌の印象は薄かった。
でも、ダンスは抜群だし、その天然で真面目な空気感は——
(お茶の間に、めちゃくちゃ刺さる)
バラエティに引っ張りだこになって、
「いじられ愛され枠」で生き残る未来を、俺は知っている。
そんなことは、もちろん言えないけど。
俺はカツ丼をかき込みながら、ただ一言だけ返した。
「……五十嵐くんは、ちゃんと見てる人がいるタイプだと思うよ」
彼は一瞬きょとんとして、
それから、少し照れたように笑った。
そこからは、自然と話題が移った。
青木先生の塩対応は、どうやら平常運転らしい。
それがわかっただけで、だいぶ気が楽になった。
それから、鳳来社長のこと。
路上ライブで声をかけられたこと。
スカウトされたときの話。
五十嵐くんは、目を丸くする。
「え、マジで?」
「そりゃさ……すごいって」
「どうりで歌うまいわけだわ」
「いやいや、たまたまだって」
「いや、たまたまで社長来ないから」
そう言われて、苦笑するしかなかった。
他愛ない話を続けているうちに、
食堂のざわめきが、少しずつ落ち着いていく。
「あ……もう時間じゃね?」
五十嵐くんが壁の時計を見上げる。
「午後、ダンスだよな」
(そう、俺的には一番問題のやつ)
二人でトレーを返却して、並んでエレベーターに向かった。
九階。
ダンスレッスンフロア。
扉が開いた瞬間、さっきまでの和やかな空気が、すっと引き締まる。
「俺、中級だから、ここまでだな」
「そっか」
「じゃ、また明日」
「生きてたらな」
「縁起でもないこと言うなよぉ」
軽く笑って、五十嵐くんは奥のスタジオへ向かっていった。
——俺は、初級。
十三時から始まるダンスレッスン。
胃の奥が、じわっと重くなる。
(……さっきまで歌で調子乗ってたの、忘れろ)
そう自分に言い聞かせながら、
俺は、初級クラスの表示があるスタジオ前に立った。
* * * * * *
レッスン室の扉を開け、ひとつ深呼吸する。
一ノ瀬奏です――
そう名乗る前に。
「出たな!! ブー太郎!!」
「かなでだじょ、きた!」
「だじょっぷ! お昼ご飯なに食べたー?」
一気に、囲まれた。
(……はいはい)
視線を上げて、レッスン室を見渡す。
研究生は十数人。
その大半が、さっきのボーカルレッスン初級にいたキッズたちだった。
中学生くらいに見える子が、二人ほど。
見覚えのない小学生も、三人ほど混じっている。
(まあ……そうなるよな)
そんなことを考えていた、そのときだった。
レッスン室の扉が、バーン!と勢いよく開く。
「はーーーい!! こんにちはっ!」
明るい声が弾けるように響いた。
入ってきたのは、メッシュの入った黒髪を後ろで束ねた女性だった。
動きが大きく、表情も豊かで、いかにも快活そう。
年は三十代前半くらいだろうか。
「こんにちはーー!」
研究生たちが、声を揃えて挨拶する。
俺も反射的に、乗っかった。
すると、その女性がこちらを見て、ぱっと笑う。
「おっ!! 君が一ノ瀬君ね!」
「今日からよろしくぅ~~!」
そして、胸に親指を向けて。
「わたしは講師のAYA!」
「気軽にAYA先生って呼んでね☆彡」
(……間違いない)
完全に、陽の者だ。
朝の青木先生とは、あまりにも対照的すぎて、
一瞬で空気に飲まれそうになる。
「よ、よろしくお願いします!」
どうにか挨拶を返すと、AYA先生は満足そうに頷いた。
「OK!!」
「じゃあ今日は、新入りくんも入ったことだし——」
「いつもの自己紹介セッション、いくよー!」
「はーい!」
研究生たちが、元気よく返事をする。
(……自己紹介セッション?)
首をかしげていると、AYA先生があっさり説明してくれた。
「新しい子が来たときの恒例ね」
「ミュージックに合わせて、ダンスしながら即興で自己紹介するの」
……ダンスしながら?
「なんだっていいの!」
「好きなターンでも、好きなステップでも」
「ビートに合わせて身体を動かして、名乗って一言!」
にっこり笑って、追い打ち。
「最後は、一ノ瀬君ね。バッチリ決めて☆」
——は?
俺の思考が、完全に止まった。
「最初は、わたしからやるわ」
「こんな感じね!」
AYA先生は、机の上に置かれたコンポのスイッチを入れる。
軽快なダンスミュージックが流れ出した。
次の瞬間。
そのビートに合わせて、AYA先生が身体を揺らし始める。
正直、ダンスの細かい技術はわからない。
でも、ライブの幕間で、ダンサーが一人ずつ前に出て、名前を紹介されながら踊るあれ。
たぶんフリースタイルショーケースとか呼ばれるやつ。
ただし。
(……レベルが、違う)
もう、容赦がない。
全力。
笑顔。
キレッキレ。
「AYAでーす!!」
「よろしく~~う!!」
ばっちり決めて、ポーズ。
「じゃ、次! 達也!!」
名指しされた、中学生くらいの研究生が、何の躊躇もなく前に出て、踊り始めた。
(え……?)
(え……??)
即興で?
ダンスして?
自己紹介?
(は、ばっか……)
(無理すぎるだろ……)
俺は、静かに悟った。
——歌のレッスンより、こっちのほうが、よっぽど命の危機だ。




