Track.35
——鳳来カレン。
ルクスプロダクション社長。
芸能界の女帝が、そこにいた。
俺の路上ライブを見に来てくれていた、あの気さくなおばあちゃんとは、まるで別人だ。
——でも、間違いない。
これが、鳳来カレン社長の本来の姿だ。
「お、お疲れ様ですっ!!」
反射的に、声が出ていた。
そのまま、深く頭を下げる。
顔を上げると、小学生たちが、ぽかんとした顔でこちらを見る。
——だが、これは間違っていない。
鳳来社長は、ふっと口元に笑みを浮かべると、軽く手を上げて、それを制した。
「頑張ってるわね」
一拍。
「……期待しているわ」
それだけ言い残し、
何事もなかったかのように、踵を返す。
スタジオに残ったのは、圧倒的なオーラの余韻と——
俺と、小学生たちの、揃って間の抜けた表情だけだった。
まさか、鳳来社長が見に来てくれていたなんて……。
もし柔軟のときから見られていたら、正直、呆れられていたかもしれない。
『……期待しているわ』
社長の言葉を、胸の中で噛み締める。
次はダンスレッスン。
考えただけで胃が痛い。
——それでも。
諦めるつもりはなかった。
格好悪くてもいい。
俺なりに、必死に食らいつこう。
そんな闘志が、静かに湧き上がった、そのとき——
パンッ!
青木先生が、手を叩いた。
思わぬ来客の余韻に、気もそぞろになっていた研究生たちも、一斉に、そちらを向く。
「それじゃあ、続きだ」
「みんな、さっきの一ノ瀬の歌唱を参考にしろ」
そのまま、よどみなく、二番Aメロの歌詞と抑揚、ブレスのポイントを説明していく。
(……え)
(ちょっと待って)
正直、説明が頭に入ってこない。
(俺の歌唱を……参考にしろ、って?)
一瞬、ぽかんとする。
——そして、気づいた。
(……これ)
(褒められてる……よな?)
説明が終わり、Aメロの歌唱に入っても、俺はしばらく、その動揺を隠せずにいた。
青木先生的には俺の第一印象は、最悪。
完全に目をつけられたと思っていた。
——でも、違った。
この人は、好き嫌いでも、先入観でもなく、ただ、ちゃんと「見て」、評価する。
正直、怖い先生だと思った。
……けれど。
だからこそ、信じられる。
この人なら、ちゃんと評価してくれる。
そう思った。
Bメロまで歌い終えたところで、青木先生が、壁の時計に視線をやった。
「……よし。今日はここまでだ」
「次回は、二番サビから続ける」
「予習と復習、しておくように。解散!」
その一声で、空気が切り替わる。
「ありがとうございました!」
研究生たちの声が、綺麗に揃った。
俺も、反射的に一番大きな声で乗っかる。
(……一時間半、あっという間だったな)
そう思った、そのとき——
「一ノ瀬! ちょっと来い!」
青木先生の声が飛んだ。
ざわ、と散らかりかけていた空気が、
ぴたりと止まる。
小学生たちも、五十嵐くんも、一斉にこちらを見る。
(褒められたと思ったら、また怒られる流れ……?)
内心びくつきながら、青木先生の元へ向かう。
「おまえ、歌唱経験は?」
「……はえ?」
身構えていた分、思わず、間の抜けた声が出た。
青木先生の眉が、ぴくりと動く。
「……答えろ」
「は、はいっ!」
慌てて言葉を繋ぐ。
「高校の文化祭と……今月、路上ライブを二回ほどです」
「……それだけか?」
「それだけです」
——そう。
リスタート後は。
「ボイトレは?」
「あります! 五ね……あ、いえ、基礎だけ習いました」
危ない。
前の世界線では、三十を超えてから五年間、本気で通っていたなんて言えない。
青木先生は、短く頷いた。
「なるほど」
それだけ。
そして、少し間を置いてから——
「……私も、期待している」
それだけ言い残し、そのまま背を向けて歩き出した。
「あ! ありがとうございました!」
深く頭を下げる。
青木先生が出て行き、パタン、とスタジオの扉が閉まった。
——その瞬間。
「ブー太郎!!」
帽子少年を先頭に、小学生たちが、わらわらと押し寄せてくる。
「さっきの、ギャラ○ス!?」
「歌、めっちゃ上手い!」
ピカ〇ュウ少年と、
五十嵐くんも、少し遅れて近づいてきた。
「カレンさんと、知り合い?」
「ねえねえ! 名前は?」
——その質問に、答えようとした瞬間。
「……いちのせかなでだじょ」
誰かが、当たり前のように言った。
「かなでだじょ!?」
「ブー太郎じゃなかったの!?」
「ブー太郎はあだ名だじょ」
また別の声が、勝手に補足する。
「じゃあ、かなでだじょ!」
「かなでだじょだ!」
(……もう訂正する気、失せてきた)
「ねえねえ!」
「好きなポケモンは!?」
矢継ぎ早に唐突すぎる質問が飛んでくる。
「ギャシャーッ!!って言ってたから、ギャラ○ス!?」
「ちがうよ! ブー太郎だからブースターでしょ!」
(……勝手に決めるな)
それにしても情報量が多い。
「落ち着け」
俺は手を上げて制した。
「質問は、一人ずつだ」
——我ながら、
なかなか華麗な仕切りだったと思う。
一瞬、静まる。
「じゃあ、ぼくから!」
「ずるい!」
「じゃんけんしよ!」
(うん。無理だな)
俺がそう悟った、そのすぐそばで、五十嵐くんが苦笑いしながらこちらを見ていた。
「……人気者ですね」
「いや、違う」
「完全に制御を失ってるだけだ」
そう言うと、
周りの小学生たちが「ブー太郎!」「かなでだじょ!」「だじょっぷ!」と、
好き勝手に名前を呼びながら、また騒ぎ出す。
——うるさい。
でも、不思議と嫌じゃなかった。
ここでは、俺が一番後輩で、一番浮いてる。
それでも。
(……こうして受け入れてくれた)
胸の奥に、さっきよりも確かな熱が灯る。
この場所から、始めよう。
——ブー太郎でも、
かなでだじょでも、
だじょっぷでも。




