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Track.34

「次は、発声練習」


 青木先生の号令で、小学生たちと五十嵐くんが、ぱたぱたと動き出した。


 やっぱり決まった立ち位置があるらしい。

 等間隔で、きっちり三列。

 無駄のない動きだ。


 俺はまたしても状況を飲み込めないまま、一番後ろの空いたスペースに入る。


(……説明、ほんとに一切ないな)

(俺が目つけられてるから?)

(それとも、元からこんな現場なの?)


 青木先生はキーボードの前に腰を下ろし、何も言わずに、キーボードで音を一つ鳴らす。


 続けて、

 ドレミファソファミレド。

 なめらかに音階を弾いていく。


 その音に合わせて、みんなが声を出す。


「あ・あ・あ・あ・あ・あ・あ・あ〜」


 半音ずつ移動しながら、

 スケールのメロディに乗せて、同じ発声を繰り返していく。


(あ、なるほど)

(音階発声ね。よくあるやつだ)


 俺もすぐに乗っかる。


「あ・あ・あ・あ・あ・あ・あ・あ〜」


 ——その瞬間だった。


 キーボードの音が、一拍だけ止まる。


 青木先生の眉が、ぴくりと動いた。


(……ん?)


 何も言われない。

 ただ、視線だけが、こちらに向く。


 地獄の柔軟が終わって、

 ようやく自信のある領域に入ったはずなのに。


 完全に目をつけられてるな、と苦笑した。


 音階は、さらに上がっていく。


 声変わり前の、澄んだソプラノ。

 それに混じって——

 いつの間にか、最後まで声が出ているのは、一部の小学生と、俺だけになっていた。


 もう半音。


「あ・あ・あ・あ・あ・あ・あ・あ〜」


 喉は締まらない。

 息も、音程も、自然に流れる。


 ——そのとき。


 キーボードの音が、止まった。


「…………」


 沈黙。


(今の、まずかった?)

(俺、やりすぎた!?)


「一ノ瀬」


「は、はい!!」


 反射で背筋が伸びる。


 ポーン。


 先ほどより、はっきり高い一音。

 一オクターブは、上だ。


 スタジオの空気が、わずかにざわつく。


「……出せるか?」


「はい……」


 青木先生が、なめらかに音階を弾く。


 それに合わせて、声を乗せる。


「あ・あ・あ・あ・あ・あ・あ・あ〜」


 無理はしていない。

 それでも、音はしっかり天井まで届いた。


 ——視線を感じる。


 横を見ると、

 小学生たちも、五十嵐くんも、

 目を丸くして、こっちを見ていた。


(え!!)

(なに)

(なんでそんな顔……?)


 最後の音が、すっと消える。


 ——パンッ!


「よし」


 青木先生が、短く手を叩いた。

 その声には、さっきまでの険しさがなかった。


 むしろ——

 どこか、確信めいた響きがある。


(……え?)

(今の、怒られてない……よな?)



 次は、課題曲の練習に入る。


 青木先生が、キーボードで旋律を奏でた。


(……この曲)


『NICE SUMMER』。


 DUEL(デュエル)の夏を象徴するヒットナンバー。

 俺の十八番。

 そして、つい最近、路上ライブでも歌ったばかりの曲だ。


(……ついてる)


 そう思った瞬間、自然と、身体がリズムを刻み始めていた。


「今日は、二番のAメロからだ」

「その前に、一番を復習する」


 青木先生の指示が飛ぶ。


「鼻から息を吸って」

「腹式呼吸。ブレスの位置に注意しろ」


 合図と同時に、みんなが歌い出す。


 ほとんどの子は、すでに歌詞もブレスの位置も頭に入っているようだった。

 迷いなく、音に乗せて声を出している。


 けれど、中には——

 ポケットから小さな紙を取り出す子もいる。


 自作の歌詞カードだ。

 少しクセのある、小学生らしい文字で書かれた歌詞。

 行間や端には、必死に書き足したような印があって、

 ブレスの位置まで、丁寧に書き込まれている。


 さらに、歌いながら、

 その場で鉛筆を走らせている子までいた。

 音を聞き、必死に追いかけながら、

 自分なりに覚えようとしている。


(……すげぇな)


 覚えているか、覚えていないかじゃない。

 ここにいる全員が、それぞれのやり方で、必死に食らいついている。


 胸の奥に、熱いものが込み上げた。


 俺も、歌詞は頭に入っている。

 ——覚えていて、よかった。


 ブレスの位置は正直あやふやだが、周りに合わせ、目立たないように声を重ねる。


 Aメロ。

 Bメロ。


 ——そのときだった。


 青木先生の視線が、こちらに向く。


「一ノ瀬」

「次のサビ、一人で歌えるか?」


「はい、もちろん!」


 即答だった。


(……全力でいくべきか)

(それとも、抑えるべきか)


 一瞬、迷う。


 ——いや。


 練習だからといって、手を抜く理由なんて、どこにもない。


(……全力だ)


 息を吸う。


「Nice! 手を伸ばせば!」


 自然と、気持ちが乗る。


「Nice! 夢はそこに!」


(……ああ)

(今の俺の心情、そのままだ)


 感情が、一気に溢れ出す。


「ここから始まる、Brand new days!!」


 サビを、うたい上げた。


 ——キーボードの音が、止まる。


 小学生たちも、五十嵐くんも、息をのんだように、こちらを見ていた。


 そのとき——


 パン、パン、パン……


 拍手の音が、静かなスタジオに広がる。


(……拍手?)


 音の方を見る。


 入口のドア脇に、一人の初老の女性が立っていた。


 黄緑色の鮮やかなスーツ。

 派手なはずなのに、下品さは微塵もない。


 ただ、そこに立っているだけで、場の空気を、完全に掌握してしまう存在感。


 ——鳳来カレン。


 ルクスプロダクション社長。

 芸能界の女帝が、そこにいた。

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