表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/36

Track.33

 講師――青木先生の視線が、完全に俺にロックオンされた。


 逃げ場ゼロ。

 言い訳不可。

 ブー太郎、人生終了のお知らせ。


 反射的に、体が動いた。


「失礼しましたっ!!」


 九十度。

 考えるより先に、腰が折れていた。


(やばい……)

(ここで印象最悪は、マジで洒落にならない)


 初級・中級・上級。

 歌唱やダンスクラスの昇格は、すべて講師判断。


 つまり――

 目をつけられたら、終わりだ。


 最悪の未来だけは、どうしても避けたかった。


 スタジオ内は、水を打ったように静まり返っていた。

 さっきまで床を転げ回っていた小学生たちも、嘘みたいに背筋を伸ばしている。


 青木先生は、俺を一瞥したまま、低い声で言った。


「……一ノ瀬奏(いちのせかなで)


「は、はいっ!」


 反射で返事をした。

 声、ちょっと裏返った気がする。


「今日から入った研究生だな」


「はい! 本日からよろしくお願いします!」


 もう一度、頭を下げる。

 さっきより声量は抑えめ。学習能力。


 青木先生は、ふうっと小さく息を吐いた。


「……なるほど」


 なるほど、とは。


 怒ってるのか。

 呆れてるのか。

 それとも、もうどうでもいいのか。


 どれにしても、怖い。


 ゴクリ、と喉が鳴った――その時だった。


「すみません! 遅れました!」


 勢いよく、スタジオの扉が開く。


 入ってきたのは、一人の少年。

 ……明らかに、小学生でも中学生でもない。


(高校生……くらいか?)


 明るい茶髪。

 整った顔立ち。

 どこか垢抜けた雰囲気。


(……あれ?)


 どこかで、見たことがある。

 いや、何度も――


「……五十嵐」


 青木先生の声が、ぴしりと飛ぶ。


「遅刻だ。気を引き締めろ」


 ——五十嵐。


(五十嵐……!?)


 脳内のピースが、一気にはまった。


(あ……!!)


 少しあどけなさの残る顔立ち。

 それでいて、完成されている空気。


 間違いない。


 朝倉レンと同じグループ。

 ALIVEの——五十嵐塁(いがらしるい)だ。


 さっきまで俺に向けられかけていた鋭い視線が、

 そのまま五十嵐くんへと移る。


(……助かった)


 正直、ほっとした。

 今だけは、心の底から。


 青木先生が遅刻について短く釘を刺し、

 それから、淡々と告げる。


「……じゃあ、始めるぞ。まずは、柔軟から」


 ——まずは、柔軟。


(……え?)


 発声練習からだと思い込んでいた俺は、完全に油断していた。


(やばい……)


 説明もほとんどないまま、小学生たちがパタパタと所定の位置に散っていく。

 迷いがない。どうやら、これが日常らしい。


 俺は状況を飲み込めないまま、空いていた一番後ろのスペースへ移動した。

 とりあえず、見よう見まねで同じ動きをする。


「いくぞー。まずは肩のストレッチから。はい!」


 パン!と手を叩く音。


(え、もう始まった!?)


 先生の号令と同時に、全員が一斉に腕を上げ、体を傾ける。

 ワンテンポ遅れてた俺は、すでにズレていた。


「……はい、戻して。次、開脚」


 パン!


(ちょ、急すぎない!?)

(説明とか……ないの!?)


 内心ツッコミを入れながら、必死に足を開く。


「——はい、座って。次は前屈」

 

 また一斉に動く。


 当然、俺だけ遅れる。


(やば……完全に浮いてる……)

(これ、もう目つけられてるよな……?)


 そんな不安がよぎった、その瞬間。


「——一ノ瀬」


 低い声。


 青木先生が、こちらへ歩いてくる。


(え、今!?)

(今来る!?)


「真面目にやらんか!!」


「は、はいっ!!」


 いや、真面目に前屈しているんですけど!?


 ——ただし。


 小学生たちは、柔らかさに差こそあれ、

 ちゃんと前屈の形になっている。


 五十嵐くんはというと、

 上半身がそのまま脚にくっつきそうなくらい、余裕のある姿勢だ。


 ……それに対して俺は。

 前屈というより、ほぼ「座って前に手を伸ばしている人」だった。

 横から見たら、たぶんカタカナの「ヒ」。


 (……誰か、これに正式名称つけてくれ)

 

 そう思った――次の瞬間だった。


「ふざけてるのか!」

 

 ——グキィッ!!


 

「ギャシャーッ!!」


 

 青木先生に背中を容赦なく押され、

 自分でも何の声かわからない悲鳴が、スタジオに響いた。


 一瞬の静寂。


 次の瞬間——


「今の、ギャ〇ドスじゃん!!」

「ギャシャーって言った!!」

「やばwww」


 小学生たちが一斉に吹き出す。


(ちがう)

(今のは断じて狙ってない)

(純度100%の悲鳴だ)


 ストレッチとは名ばかりの、ほぼ拷問。


(ま、待って……!)

(俺、柔軟って準備運動だと思ってたんだけど!?)


 じわじわと背中と太ももに走る激痛に、視界がにじむ。


 顔を上げると、

 青木先生がこちらを見下ろしていた。


 怪訝そうに、眉をひそめている。


「……どうした」


「す、すみません……」

 息を整えながら、必死に口を開く。

「これが……限界なんです……」


 一瞬の沈黙。


 青木先生は、信じられないものを見るような顔をした。


「……は?」


 短い一言。

 それだけで、十分だった。


(あ……)

(これ、冗談だと思われてる?)


 青木先生は、俺の体勢をもう一度だけ確認してから、

 低い声で言った。


「……準備運動で、限界?」


 それ以上は何も言わなかった。

 ただ、視線だけが、やけに重い。


 ——歌唱なら、自信があると思っていた。

 けれど、その前段階で、すでにこれだ。


(……中級クラスに上がる未来)

(まったく見えないんだが……)


 俺のアイドル人生は、どうやら——

 柔軟からして、前途多難らしい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ