Track.31
撮影がひと段落した頃には、すっかり正午を過ぎていた。
美央さんが腕時計をちらりと見て、
「ちょうどいいわね。お昼にしましょうか。今日は社員食堂で食べましょう」
と、さらりと言った。
七階の社員食堂は、外の光がよく入る広いフロアだった。
入口の横には、小さな端末と両替機が並んでいる。
「これ、“EATSカード”ね。社食と売店で使えるの」
美央さんが薄いブルーのカードを渡してくれる。
企業ロゴが入った、名刺より少し小さいプリペイドカードだ。
「チャージはあそこの機械で現金を入れるだけ。
初日は1000円分チャージしてあるから、そのまま使えるわよ」
「ありがとうございます!」
(おお……プリペイド……!
タッチ式じゃないけど、2002年にしてはだいぶハイテクじゃん……)
思わずカードをまじまじと見つめる。
表面はつるりとしていて、なんだか未来感があった。
2002年でこういうのがあるなんて、正直ちょっと意外だった。
てっきり現金オンリーの社食だと思っていたから、妙に感心してしまう。
そんなことを考えながらプリペイドカードを握りしめ、俺たちは厨房前のカウンターへ向かった。
直前から、ほのかに漂ってくる出汁の香りがやたらと食欲を刺激してくる。
料理を受け取るカウンターの上には、温かい蒸気と、メニュー札がずらりと並んでいた。
「まずはトレイを取って、好きなのを選んでいくスタイルよ」
美央さんが見本のようにトレイをすっと持ち上げる。
「あ、そういう感じなんですね!」
(完全セルフ式……ここは大学の学食か!?
いや、大学よりキレイだしメニューも豪華だし……ていうか値段……安っ!?)
メニュー表を見るなり、思考が吹き飛びそうになった。
ハンバーグ定食:280円。
生姜焼き定食:250円。
日替わりパスタ:180円。
(やっっす!!!
これ……天国の続きか!??)
「私は軽めに、サラダとスープにしておくわね」
美央さんは慣れた手つきでヘルシーメニューを選んでいく。
(うわ……意識高い……)
俺はというと、気付いたらハンバーグ定食をがっちり取っていた。
2025年のコンビニ弁当の半額以下で、このボリューム。
思わず皿を二度見する。
「じゃあ、あとはカードをここに通して……」
会計機の前で、美央さんがやり方を見せてくれる。
端末の差し込み口にカードを入れると、小さく“ピッ”と音が鳴った。
(……ちょっとだけ未来っぽい!)
会計を終え、2人で窓際の席へ。
「奏くん、撮影お疲れさま」
「ありがとうございますっ……!
あの……めっちゃ楽しかったです……!」
そこまで言った瞬間、胸の奥が再びじんわり熱くなる。
思わず、さっきの撮影を思い出してしまって——
「ていうか……キャシーさん、あの人ほんとすごいです……!
なんか、気づいたら撮られる側のスイッチ入ってて……。
乗せ上手っていうか……プロの魔法って感じで……!」
勢い余ってフォークを握る手まで動いてしまい、
ハンバーグがぷるんと揺れた。
美央さんは口元を手で押さえ、くすっと笑う。
「ふふ。キャシーって、ああ見えて腕は確かよ。
素材の良さを引き出すのが上手いの」
「そ、素材……!? 俺が……ですか!?」
「ええ。あなた、映えるのよ。笑った時とか、特にね」
「っ……!!」
その一言だけで、俺は危うく椅子から転げ落ちそうになった。
(やば……褒められ慣れてなさすぎる……!)
昼食を終えると、美央さんが軽く背筋を伸ばして言った。
「じゃあ、午後は社内を案内するわね」
* * * * * *
15〜16階の宣材スタジオを横目に通り過ぎる。
照明が落ち、スタッフが機材を片付けている最中だった。
(……ここで撮ったんだよな、俺も……)
少しだけ誇らしい。ほんの少しだけ。
続いてエレベーターで
8階のタレントラウンジへ。
扉が開いた瞬間——空気が違った。
(えっ、なにこの……オシャレ空間……!?)
木目の壁に、間接照明。
奥ではファッション誌の撮影でもしてるのかってほど
洗練されたイケメンたちが、静かにコーヒーを飲んでいる。
(……テレビの中に入ったのか?)
俺が固まっているのに気づいたのか、美央さんは小さく笑った。
「タレントはだいたい、ここで休憩するの。
でも……今日は学校に行ってる子はいないから、ちょっと静かね」
「学校……?まだ夏休みじゃ…?」
「去年まではね。ほら、今年から土日が完全に休みになって夏休みが短縮されたでしょう?
だから今日は学校に通ってる研究生は、ほとんど来てないの。」
「あ、そうか……!」
(そういえば——俺がいた2025年の世界では当たり前になっていたけど、
この頃から土日が休みになったんだ。その流れで夏休みは八月三十一日までじゃなくなったんだっけか)
(半ドンなんて言葉……2025年じゃほぼ死語扱いだったのに。
この時代はまだ普通にみんな使ってたよな……うわ、懐かしい……)
つまり今日は——小中高の研究生はいない。
だから、タレントの大人組が多く見える、ということだ。
* * * * * *
そして、レッスンフロアへ。
9〜12階のフロアは、広い鏡張りの空間が並んでいる。
今日は静かだが、普段は研究生の声が響き、
皆が汗を飛ばしながら踊っているのだろう。
(やべ……ここで俺も踊るのか……?)
一気に現実味が押し寄せた。
* * * * * *
「さて——明日のレッスンだけど」
美央さんが小さな紙を取り出し、俺に手渡す。
「午前中は初級の歌唱レッスンね。
ボーカル講師の青木先生は厳しいけれど、実力を必ず引き出してくれる人よ」
(午前が歌唱……! よし、ここは勝てる!)
思わず胸を張りたくなった。
(歌なら……! 歌だけなら……いける……!)
だが——
「午後は初級のダンスレッスン。基礎の基礎からだけど、かなり汗をかくと思うわ」
「……あの、死ぬほど不安なんですが」
「ふふ。大丈夫。最初は誰だってそうなの」
あっさり言われたけど、こっちは深刻だった。
(ターンすら出来ない男が……明日、踊る……?
無理じゃない? 普通に考えて?)
不安の波がザブンと襲ってきて、
宣材写真のキラキラバフが一瞬で剥がれ落ちる。
でも、美央さんは優しく続けた。
「……一ノ瀬くんは、今日すごく頑張ったわ。
だから明日もきっと、ちゃんと前に進めるはずよ」
「っ……!」
(……やっぱりこの人、天使だな……?)
緊張と期待と不安がぐるぐる巡りながら、
俺の初日の午後はゆっくり終わっていくのだった。
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<奏の2000年代回顧録>
※もちろん、うろ覚えなので細かいツッコミは禁止※
■ 半ドン
昔は土曜日=学校ある日だった。
授業は午前中だけで、午後は休み。
だから “半分休み → 半ドン” と呼ばれていた。
土曜が完全に休みになったのは2002年から、らしい。
(それまでは第2土曜だけ休み → 第2・第4土曜休み……と段階的に増えていった)
ちなみに筆者がこどもの頃の土曜の楽しみは、
速攻帰宅して吉本新●劇を見ること。
あれを見るために、毎週走ってたと言っても過言じゃない。




