Track.29
少女と見紛うほど繊細で、少年とは思えないほど完成された美しさ。
その彼が、カメラマンの指示に合わせて、滑らかにポーズを変えていく。
笑ったり、髪をかき上げたり、すっと首を傾けたり。
そのどれもが絵になる。
照明の角度が変わるたび、彼の雰囲気まで変わる。
(……なんだ、この完成度……?)
気づけば、完全に息をのんで見惚れていた。
「気になる?」
隣から小声がした。
「え、あ、いや……あの、すごすぎて……」
「彼も、一ノ瀬くんと同じ研究生よ」
「……へ?」
研究生……?
あの仕上がりで……?
俺のポカンとした顔に、美央さんは小さく笑う。
「朝倉レンくん。四年前に入所した子で、いま研究生の中でも頭角を現してるの」
朝倉……レン……。
名前を聞いた瞬間、胸が跳ねた。
2002年の今、彼はまだただの研究生。
けれど——2025年の朝倉レンを俺は知っている。
アイドルグループALIVEとして活動しながらも、30代に入ってから俳優としての才能が開花。
それまでの優等生役から一転、美しくクレイジーな殺人鬼役を狂演。
その類まれなる演技力で映画界を席巻した男。
公開後、世間は彼の名前で持ちきりだった。
原作では完全なヒール役。
それなのに観客の心を奪い、主人公の探偵役を食ってしまったとまで言われた。
日本アカデミー賞の最優秀助演男優賞、ブルーリボン賞——
主要映画賞を一気にさらっていく姿を、俺はリアルタイムで見ていた。
“人の心を動かす怪物”。
“時代を変える役者”。
そんな言葉が、当たり前のように彼の名前に並んでいた。
あまりにも俳優としてのインパクトが強かったせいで、
世間じゃ“役者・朝倉レン”として語られることが多かった。
でも——アイドルとしての彼も、本物だった。
鋭くて繊細なダンス。
ひとつステップを踏んだだけで空気が変わる、とファンのあいだでは有名で。
ライブ映像なんかでも、レンの動きに合わせて歓声が変わるのがわかった。
俳優活動が本格化してからも、その表現力はむしろ磨かれていって、
ステージに立てば何万人もの視線を一瞬でさらっていった。
……その“怪物”が、今はまだデビュー前の姿で目の前にいる。
十数年後、映画界を震わせるあの怪物が、
こんな少年の姿から生まれるなんて——想像もつかない。
未来の姿と、今のあどけなさが頭の中で重なって、妙なめまいすら覚えた。
そのとき、スタジオの空気がふっと変わった。
レンくんの撮影が佳境に入り、カメラマンのシャッター音が刻むリズムだけがスタジオに響く。
「じゃあ、一ノ瀬くん。メイクさんに軽く整えてもらいましょう」
美央さんに案内され、スタジオ横のメイク室へ向かう。
扉を開けると、鏡の前にはライトがずらりと並び、独特の化粧品の香りがふわりと漂った。
* * * * * *
「じゃあ、一ノ瀬くん。軽くヘアセットと、写真用のメイクをするわね」
「よ、よろしくお願いしまーす」
椅子に座った瞬間、三人のスタッフがすっと取り囲む。
「顔立ちは綺麗。アイドル向きだね」
「この前髪、生かす方向でいこうか」
「サイド、ピンで留めたほうが顔立ちハッキリしていいわね」
(う、うわ……プロの動き、速っ!?)
ファンデーションが肌の上を滑るたび、いつもの自分が少しずつ消えていくような感覚。
前髪はふわっと整えられ、トップを軽く立たせると——鏡の中に見慣れない男がいた。
(……誰!? いや、俺!?)
目の下のクマは跡形もなく、肌はつるんと整えられ、
髪は自然に立ち上がってボリュームと清潔感が出ている。
輪郭が引き締まって見え、目元もほんのり影を足されただけでくっきりしていた。
続いてフワフワした足取りのまま隣の衣装室へ。
「じゃあ、衣装合わせするね!」
今度はスタイリストさんが数着の服を肩に掛けて現れた。
「研究生っぽい、爽やか系でまとめましょう。白シャツにデニムが似合いそう」
白シャツの上に、淡い水色のメッシュベストをふわっと重ねられた瞬間、
全体が一気に爽やかに見えた。
「アクセもつけるね。……はい、横向いて」
ピンで留めた左耳に小さく揺れるイヤリング。
胸元には細い金色のネックレス。
どちらも派手すぎず、光を受けてさりげなく映える。
下は、淡いブルーのストレートジーンズ。
清潔感のあるゆとりが、バランスよくまとまっていた。
(キャッ!イケメン……☆)
(ナニコレ……めっちゃアイドルじゃん俺……!?)
鏡の中の“俺”は、メンズヌックル先取りのちょいワル系男子な大学生でも、冴えない元バンドマンでもない。
これからステージに立つ“誰か”の顔をしていた。
思わず鏡に近づく。
いつもより肩幅があるように見えるし、清潔感の暴力みたいだ。
(メイクって……怖っ……!!
いや凄い……!!
俺、今だけならデビュー出来る気がする!!)
「うん、完成。爽やか路線ど真ん中って感じ。似合ってるよ」
スタイリストさんが腕を組んで満足そうに頷いた。
「ほんとですか!? ありがとうございます!」
浮かれながら衣装室を出ると、今度はメイクスペースの前でメイクさんが手を挙げて呼び止めた。
「あら、一ノ瀬くん。ちょっとだけ——はい、こっち向いて」
すっと指先が前髪に触れ、ふわっと自然な角度を作る。
「うん、これで完璧。“アイドルの顔”になったわ」
「っ……! ど、どう見てもアイドルです。本当にありがとうございます!!」
勢いよく頭を下げると、メイクさんはクスッと笑った。
「そんなに喜んでくれると、こっちも嬉しいね」
(や、やば……スキップしたい……!スキップできないけど!!)
心の中でバク転しながら廊下へ向かうと——
美央さんが腕を組んで待っていた。
「……一ノ瀬くん?」
振り返った美央さんの目が、ほんの一瞬丸くなる。
「えっ……すごく似合ってる!」
「っ……!!」
そのたった一言が、胸に直撃した。
(や、やばい……美央さんに褒められた俺ってだけで世界の光が増して見える……!!
今日……もう帰ってもいいかもしれん……)
「……ふふ。自信持って。写真、きっと良く撮れるわよ」
「は、はいっ!!」
気分が天井突破のまま、俺たちは再び撮影スタジオへ向かった。
「——OK! レンくん、お疲れ!」
スタジオの中央で、撮影がちょうど終わった。
レンくんがタオルを受け取り、軽く頭を下げた。
それだけの動作なのに、映画のワンシーンみたいに綺麗だ。
(……すげぇ……。人間ってあんなに絵になるのか……?)
そのときだった。
(え、ちょ、待って……なぜこっちに歩いてくる??)
撮影スペースを抜けたレンくんが、
なぜかまっすぐこちらへ向かってくる。
逃げ場がないまま固まっている俺の横で、
美央さんがふわりと声をかけた。
「レンくん、お疲れ様」
その瞬間——。
「美央さん! お久しぶりです!」
パーッと花が咲いたように笑うレンくん。
柔らかくて、透明で、見てるだけで息が止まりそうな笑顔だ。
(な……なんだこの光景……?
天使と女神(美央さん)が並んで会話してるんだけど……?
ここ異世界? 光属性しかいない世界??)
尊すぎて視界がチカチカしてくる。
そして——レンくんの視線が、
美央さんの後ろに立つ俺に、すっと向けられた。
透明な瞳と真正面から目が合う。
(……同じ人間かな?)
鏡の中でさっきまで輝いていた“俺のビジュアル革命”が、
一瞬でしぼむ音がした。
(いや、無理。
俺……北斗町代表の一般人じゃん……?
レベル違いすぎんだろ……??)
「紹介するわね。
彼は今日から研究生に入った——一ノ瀬奏くん」
レンくんの瞳が、すっとこちらへ向く。
透明で、吸い込まれそうな眼差し。
「こんにちは。一ノ瀬くん」
その声だけで、胸の奥がビリッと震えた。
優しいのに芯があって、耳に触れただけで落ち着きを奪われる。
(天……天使……!?
間違いない、この人は光の世界の住人だ……!)
気づけば口が勝手に——
「も、もったいないお言葉ッ!!」
スタジオに響き渡った。
美央さんは「ぶっ」と吹き出し、
レンくんは一瞬きょとんとしてから、くすっと笑う。
「えっと……そんな大層なこと言ってないよ……?」
(ひぃ……! やさしい……!!
やさしい天使だ……!! 恐れ多い!!!)
顔が熱くて倒れそうな俺に、レンくんがゆるく微笑んだ。
「撮影、頑張ってね。一ノ瀬くん」
「お、おそれ多いですッッ!!」
(やべぇ……初対面で完全に怪しい新人になった……!)
胸の鼓動は落ち着かないまま——次は、俺自身がカメラの前に立つ番だった。




