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Track.28

 研修室のテーブルに、美央さんが分厚いファイルを広げた。

《LUX Production 研究生オリエンテーション資料》と印刷されている。


「これは所属契約と活動に関する基本ルールよ」


 カチリとファイルが開き、紙の擦れる音がする。

 この時代、まだ資料はすべて紙ベースだ。


 美央さんは研究生の活動に関する基本ルールを簡潔に説明してくれた。

 報酬は歩合制で、学業との両立が原則。

 服装や礼儀、遅刻にはとくに厳しく、仕事用の携帯電話も支給されるらしい。


(やっぱり……夢の世界っていうより、ちゃんと職場なんだな)


 ひと通りの説明を終えると、美央さんは書類を揃えて顔を上げた。


「——以上が、研究生としての基本ルールです。質問はある?」


「い、いえ! 大丈夫です!」


 声が裏返った自分に内心で慌てる。

 だが同時に、胸の奥で別の不安が膨らんでいた。


(……ダンスができなかったら、クビとか本当にないよな……?)


 そんな俺の不安をよそに資料を閉じた美央さんが、軽く姿勢を正した。


「では次に、事務所全体について説明しますね」


 スイッチを押すと、壁のスクリーンに企業ロゴが映し出される。


 金色の翼をモチーフにした《LUX PRODUCTION》の文字――

 場の空気がわずかに引き締まった。


「ルクスプロダクションは、鳳来ほうらいカレン社長が三十年前に設立した芸能事務所です。

 設立当初は小さなスタジオから始まりましたが、

 いまでは日本の男性芸能界を牽引する存在になりました」


「現在、所属しているタレントは三百名以上です。

 アイドル、俳優、歌手、モデル……多くの分野で活躍しています。

 そして彼らを支える社員数は、五千人を超えています。

 マネジメントから制作、宣伝まで、一貫して社内で行える体制が整っているんです」


(やっぱり……とんでもない大企業じゃないか)


「この本社ビルには、事務・制作・広報といった本社機能に加えて、

 レッスンフロアや撮影スタジオも併設されています。

 すべて東京に集約しているので、全国から志願者が集まるんです」


 スクリーンの映像が切り替わり、ステージ写真が映し出された。

 ライトを浴びるアイドルたち。その背後に揺れるペンライトの海。


「これまでに多くの人気グループを輩出してきました。

 八〇年代の《ダンディ組》《シャイニングボーイズ》、

 九〇年代初期の《ジェネレーションZ》など……」


 そこから、現在の三大トップがスクリーンに浮かぶ。


 ——《PRISM》

 ——《LINK5》

 ——《DUEL》


(この時代のルクス……ほんと全盛期だ)


 さらにスクリーンが切り替わり、七色の光を背負った五人の男たちが現れる。


「こちらが《PRISM》です」


 センターで笑うのは、メインボーカルのトニオ中崎。


(……若い。全員びっくりするほどイケメンじゃないか)


「九〇年代半ばにデビューし、数々のヒット曲を連発。

 日本の男性アイドルシーンを塗り替えたと言われています」


 トニオ中崎。PRISMの黄金期を支えた存在。

 日本人の父とイタリア系アメリカ人の母を持つハーフで、

 その整った顔立ちと歌唱力で社会現象を巻き起こした。


 ——2015年ごろ。

 彼はプロデュース側に回り、最終的に鳳来社長の後任として事務所を率いることになる。


(このスクリーンの中の人が、未来では社長になるなんて……)


 胸の奥で、時間がほんの少し逆流したような感覚がした。


「では、次に研究生制度について説明しますね」


 美央さんが資料をめくり、話を続ける。


「ルクスには複数の部門がありますが、現在もっとも力を入れているのはアイドル部門です。

 研究生は、そのデビュー前の準備段階にあたります」


「レッスンは基本的に土日。

 舞台やコンサートが近づくと、平日の放課後も追加で入ります。

 スケジュールは掲示板で確認してください」


 資料には「ダンス」「ボーカル」「演技」「表現力」の文字。


(…………演技なんてやったことないし、ダンスは……一番の課題だよな)


(ターンすら出来なかった俺が、本当にやっていけるのか……?)

 胸の奥が、じわりと重くなる。

 それでも——不思議と逃げ出したいとは思わなかった。

 

(この場所で、もう一度ちゃんと夢を掴みたいんだ)

 

 拳を軽く握る。


「以上でオリエンテーションは終わりよ。続きは実際の現場で覚えていきましょう」


 説明を終えた美央さんが時計を見た。

「じゃあ、このあと社内を案内するわね。

 ——その前に、撮影スタジオに寄りましょう。社員証と宣材の写真を撮る予定が入ってるの」


「しゃ、写真っすか!?」


「緊張しないで。これが最初の仕事だと思って。

 顔だけじゃなく、全身も撮るわ。

 力抜いて、自然な感じでね」


 ……顔だけじゃない!?

 一気に血の気が引いた。


「えっ、せ、宣材って……それ、プロのアレですよね!?」


「そう、そのアレです」

 美央さんは楽しげに微笑む。

「本格的な撮影になるから、メイクさんと衣装担当がつくわ。

 このあと撮影チームが空く時間に予約を入れてるから、急ぎましょう」


 俺は慌てて資料をまとめ、仮の社員証を首からかけ直した。


 エレベーターに乗ると、鏡張りの壁に自分の顔が映る。

(うわ……疲れてる。クマ、すごくないか……?)


「緊張してる?」

 横に立つ美央さんが、軽く笑いかけてくる。


「ハイ。かなり。」


 即答した俺に、美央さんが思わず吹き出した。


「正直でいいわね」


「……いや、嘘つく余裕もないんで」


「ふふ。最初は誰だってそうよ。

 でもカメラの前では、その緊張が案外いい表情になるの」


(……怖いけど、ちょっと救われる)


 エレベーターが静かに止まり、扉が開いた。


 そこは、白を基調とした明るいフロアだった。

 廊下の奥にはいくつもの部屋番号が並び、

 扉の上には「Studio A」「Studio B」とプレートが掲げられている。


(スタジオって……こんなにあるのかよ)


「こっちよ。一ノ瀬くんの撮影はスタジオCね」

 美央さんが歩きながら自然な口調で言う。


 案内されたスタジオCの前には、スタッフが出入りしていた。

 扉のすき間から、まぶしい光が漏れている。


「……前の撮影、ちょっと押してるみたいね」

 美央さんが軽くつぶやく。


 その言葉につられるように、俺もスタジオの中へ視線を向けた。


 まぶしい照明が交差し、

 白い壁、黒いケーブル、銀色のリフレクターが規則正しく並んでいる。

 照明の熱が廊下までふんわりと伝わってきた。


 そこは——本格的な撮影スタジオだった。


 ライトの中央に立つのは、ひとりの少女だった。

 さらさらの栗色の髪が光を受けて揺れ、角度によって金にも赤にも見える。

 白い肌に、長いまつ毛。伏せた横顔は息をのむほど整っている。


(……きれいすぎるだろ)


 思わず足が止まる。

 見惚れる、という言葉がこれほどしっくりくる人間を、初めて見た。


 そのとき——。


「いいねぇ、レンくん! 今の角度、最高!」


 カメラマンの声が響いた。

 ……レン、くん?


 “彼女”がゆっくりと顔を上げ、こちらに振り返る。

 長い前髪のすき間から覗いた瞳は、ガラスみたいに澄んでいた。


 胸の奥がドクン、と鳴る。


 なんという美少女——。

 いや違う。


 天才的な美少年だ。


 その存在感だけで、スタジオの空気が一段階変わる。

 スタッフの視線も、照明の熱も、なにもかもが彼に引き寄せられていた。

 

 

 ————————————————————————————————————

 

 ——朝倉レン。


 のちに《ALIVE》の絶対的エースと呼ばれる男。

 そして、俺にとって生涯のライバルになる存在。


 この瞬間が、俺と朝倉レンの——はじめての出会いだった。

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