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Track.21

 時刻は、22時を少し回ったころ。

 客足も少し落ち着いたとはいえ、店内の半分ほどの席はまだ埋まっていた。

 あちこちのテーブルから笑い声や談笑が漏れ、どこかゆるやかな空気が漂っている。


 ——居酒屋『勝太郎』。

 聖地巡礼ブームも落ち着きを見せ、今日もいつもと変わらない夜のはずだった。


 カラン、と扉の鈴が鳴った。


 バケットハットを被った二人組が入ってくる。

 どこにでもいそうな私服姿——けれど、その空気だけが違っていた。

 周囲の視線を自然に集めてしまうような存在感。

 整った輪郭、まっすぐな姿勢。

 隠そうとしても隠しきれない何かがある。


 「二名様、ですか?」


 「うん」


 低く穏やかな声とともに、男が顔を上げた。

 その瞬間、胸の奥が跳ねる。


 ——天城 湊(あまぎ みなと)

 そして、その隣には東雲 真宙(しののめ まひろ)


 ルクスプロダクション所属のトップアイドル《DUEL(デュエル)》。

 テレビや雑誌で見たその顔が、今、目の前にあった。


 動揺を押し殺しながら、空いているテーブル席に案内する。

 芸能人が来店しても特別扱いしない——それがこの店の暗黙のルールだ。

 けれど、どうしても目が離せない。


 案内を終えたあと、トレイを手にしたまま、俺は厨房の奥へ駆け込んだ。


 「て、てんちょーーーー!!!」


 「ど、どうしたんだ奏くん。……顔が真っ赤だぞ。またおかめみたいになってるけど?」


 息を整える暇もなく、声が裏返る。

 「出たんです!!」


 「えっ!? まさか……!」

 店長の顔が引き締まる。

 

 「FF(※この店の“G”の隠語)か!?」

 「ちがいます!! DUEL(デュエル)が!!」


 「……なんだ、DUELか」

 店長はそう言って、再び菜箸で卵をかき混ぜる。


 

 

 が、その手がピタリと止まった。


 「……なにーーーーーっ!!? DUELだとぉぉぉ!?」


 「店長、落ち着いてくださいって!!」


 「落ち着いてられるか! あのDUELが来たんだぞ!?

 コンサートのMCでうちの湯葉天うまいって言ってくれたらしいけど……まさか本当に来てくれるとはなぁ」

 店長は菜箸を握ったまま、意味もなく空を仰いだ。


 「……ど、どうする? 個室は?」

 「団体がもうすぐ出ます。空き次第、案内しましょうか?」

 「よし、それでいこう!」


 トレイを手に取り、再びホールへ戻った。


 DUELの二人が座っている9番テーブルに近づき、水とおしぼりを静かに置く。

 「失礼します。個室が空き次第、ご案内いたしますね」


 できるだけ落ち着いた声で伝えると、湊くんが穏やかに笑った。

 「別にこのままでいーよ? 気にしなくて」


 その隣で、真宙くんが軽く手を振る。

 「そうそう、俺ら意外と気づかれねぇし。それより——ウーロンハイ二つと、湯葉天四人前頼むわ!」


 「え、四人前!?」と湊くんが思わず吹き出す。

 「真宙、どんだけ食う気だよ」


 「いいだろ? ずっと食べたかったんだから」

 真宙くんはいたずらっぽく笑いながら、メニューを指でトントンと叩く。

 「俺らさ、ここの湯葉天のファンなのよ」


 そう言って、軽くウィンク。

 白金の髪の隙間からのぞく笑顔に、胸の奥がバクンと鳴った。


 (な、なんだその笑顔……!! そんなん、こっちの方がファンになるわ!!)


 「ハ、ハイ! ライブのMCで紹介してくださったんですよね!」

 反射的に声が上ずる。


 「あら。バレてた」

 湊くんが肩をすくめながらクスッと微笑んだ。

 その可愛らしい仕草に、またも心臓が跳ねる。


 (……光線が強すぎる。アイドルオーラで焼かれる……!)


 「ハイ! 真心こめてつくっておなりになりますっ!」

 わけのわからない言葉を口走ってしまい、慌てて取り繕う。

 「ご、ごゆっくりどうぞーーー!!」


 逃げるように一礼して背を向けた、その瞬間——


 「ヒッ!!」


 横から小さな悲鳴が聞こえた。

 振り向くと、ホールのもう一人のスタッフ——笠井さんが、顔を真っ赤にして立ち尽くしていた。


 「か、笠井さんっ!」

 お互い目が合った瞬間、無言で察する。

 ふたりして、慌てて裏へ下がった。



 * * * * * *


 裏へ戻った瞬間、俺は息を荒げながら叫んだ。


 「て、てんちょーーーー!!!」

 「大変ですっ!! 真宙くんがっ……ここの湯葉天のファンってーーー!! ウィンク! ウィンクしてくれました! 確定ファンサですっ!!」


 「マジですかーーーっ!? はあああ! どうしましょどうしましょ!? わたし、何を隠そうDUELファンで!!」

 笠井さんがすぐさま反応し、手に持ったトレイを胸に抱きしめる。


 「落ち着け、二人とも!」

 店長が慌てて割り込んだ。

 「芸能人が来ても通常通り! 平常心だぞ!」


 そう言いながら、店長はボウルを持ち、菜箸で勢いよくかき混ぜ始める。

 ……が、中身は水だった。


 「店長! 粉入ってないですけどぉぉぉ!!」


 「なにぃ!? しまったぁぁぁ!!」

 バシャッと水をこぼし、さらにテンパる店長。


 「店長が一番動揺してるじゃないですか!!!」


 「だ、だってDUELだぞ!? あのDUELがうちに!? 湯葉天食いに!?」

 もう止まらない。


 笠井さんは顔を覆いながら小刻みに震え、

 「ど、どうしましょう!? あの笑顔、生きててよかったレベルの破壊力ですよ!!」

 と叫ぶ。


 「わかる……」思わず本音が漏れた。


 店長は頭をかきながら、深呼吸をひとつ。

 「……まったく。あの二人の破壊力は反則級だな。いいか、通常運転! 普段通りにやるんだ!」


 「了解です!」

 「ハイっ!!」


 ふたりして声が重なった。

 ……けど、顔の熱はまったく冷めそうにない。



 「はあ……夢みたいです」


 チラリとホールのほうを見て、笠井さんは震える声を上げた。

 彼女は家庭の事情で夜の数時間だけ働く、三十代半ばの女性。

 普段は落ち着いていて、大人の余裕を感じさせる人なのに——今は別人のようだった。


 「まさかまさか、憧れのアイドルに会える日が来るなんてっ!!」


 その興奮ぶりに、思わず笑ってしまう。

 「じゃあ、九番テーブルの湯葉天とドリンク、笠井さんお願いします」


 「ハ、ハイーーー!!!」


 ホールまで響きそうな声に、店長が苦笑した。

 「……ま、無理もねぇな。こりゃ今夜は伝説の夜になるぞ」


 俺も心の中で同じことを思っていた。

 ——まさか、彼らが本当に来てくれるなんて。


 * * * * * *


 「湯葉天四人前と、ウーロンハイお待たせしました〜っ!」


 笠井さんが満面の笑みでトレイを持ち、DUELの二人のもとへ向かう。

 ……が、その足取りは明らかに浮ついていた。


 「わっ……!」


 手前のテーブルの角に腰をぶつけた。

 ガタン——!

 湯葉天の皿が傾き、グラスが揺れる。

 トレイごと、今にも倒れそうになる。


 「おっと!」


 反射的に俺の体が動いた——その瞬間、空気が凍りついた。

 時間が、スローモーションになる。


 傾く皿、こぼれかけたグラス、そして——。


 (つづく)

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