Track.18
「……一ノ瀬くん? 一ノ瀬くん?」
柔らかく揺さぶられる声に、はっと目を開ける。
その瞬間、視界いっぱいに迫っていたのは——巨大な大福が二つ。
な、なんだこれ……!?
「でっかい大福……」
こんなサイズ見たことない。柔らかそうで甘そうで……。
思わず手を伸ばしかけたその瞬間、「コホン」という咳払いで我に返る。
目の前にあったのは……いや、目の前にいたのは一人の女性だった。
ソファに座る俺の前にしゃがみこんで、真っ直ぐ覗き込んでくる姿勢。
自然と胸元が視界のど真ん中に来てしまい、逃げ場がない。
可愛らしい顔立ちに、クリっとした大きな瞳とキリリとした眉が印象的。
明るい茶髪をポニーテールにまとめ、大きな白い大福を胸元に——じゃなかった、白いピッチリ目のTシャツを着こなしている。
ハア!? 人間?
……つまりこれは大福ではなく……たわわな……お、胸じゃないか!!
慌てて手を引っ込める。
そして最悪なことに、寝起きの俺の口元からは見事によだれが一筋垂れていた。
やばい……! 巨乳にヨダレ垂らして触ろうとした変態に見られてないか!?
周囲の社員さんの視線がチラチラ突き刺さる。
いかん!このままではっ!……何か起死回生の技をっ……!!
「ふぁ~~!! 良く寝たぁぁ!」
馬鹿でかい声を張り上げて思いきり伸びをし取り繕った俺。
だが空気は余計に変な方向に傾いていった。
目の前の女性は冷ややかに俺を見上げる姿勢から、ゆっくりと立ち上がった。
今度は逆に、俺を見下ろす形になる。
その表情は、にっこりと笑みは浮かべているのに、目の奥はまったく笑っていない。
「……ルクスプロダクション、マネジメント部の早乙女 美央です」
にっこりと笑みを浮かべながら、彼女は続けた。
「一ノ瀬 奏くん。——まずは、変態に見えない振る舞いを覚えてくださいね」
絶対零度の声色。
「ひぃっ!」
俺は思わずソファごと飛び上がりそうな勢いでオーバーリアクションしてしまった。
声色は静かで冷静。けれどその裏に、“これ以上やらかしたら完全にアウト”という空気がひしひしと伝わってきた。
背筋が思わず伸びる。
ぜ、全然取り繕えてなかった!!
やばい……これ、第一印象最悪……ってやつじゃないか?
……いや、でもさ! そんなに豊満な胸に白い服着て近づかれたら、大福にしか見えないだろっ!!
心の中で逆ギレしつつも、次の瞬間——
「すっ、すみませんでしたーーーーッ!」
接客業で鍛えた、綺麗すぎるほどの謝罪のお辞儀を即座に繰り出した。
「……そのお辞儀は評価します」
美央さんが冷静にそう告げる。
にっこりと笑みを浮かべながらも、声色はひやりと冷たい。
褒められたはずなのに、背筋が思わず伸びた。
……やばい。これ、完全に引かれてるかも。
名刺を頼りに飛び込んできたはいいものの、この先なにが待っているのか——俺にはまだ、見当もつかなかった。
* * * * * *
美央さんに案内され、ルクスプロダクション本社の長い廊下を歩く。
磨き上げられた床にスポットライトが反射し、ひとつひとつが眩しい。
そのとき、向こうから少年が歩いてきた。すれ違いざまに美央さんへ軽く会釈すると、そのまま通り過ぎていく。
(え、い、今の……!?)
思わず二度見して息を呑む。
(A・L・Bのアヤトじゃないか!? やべぇ、テレビで見てた顔が今、俺の目の前を通ったぞ!? まだあどけないけど間違いない!!)
心臓がバクバクして、足が床から三センチくらい浮いてる気がする。
頭の中で花火が上がり、脳内BGMは勝手にA・L・Bの曲になっていた。
(マジか……俺、ほんとに芸能界のど真ん中に来ちゃったんだ……!!)
案内された応接室は、高級感にあふれていた。ソファは革張り、テーブルには煌びやかな花が活けられている。
ほどなくして美人なスタッフが現れ、高級そうなグラスにジュースを注ぎ、さらに上品なお菓子を差し出してくれた。
(すげえ……大企業はやっぱり違うなあ……)
ニヤニヤが止まらず頬がゆるむ。
だが、向かいに座る美央さんの冷たい視線に気づき、思わず「はっ」と我に返った。
美央さんはスッと名刺を差し出す。
「改めまして、タレントマネジメント部の早乙女です」
俺は思わず姿勢を正し、両手でそれを受け取った。
「頂戴します。……あいにく名刺を切らしておりまして」
社会人経験が思わず出てしまい、自分でも可笑しくなる。
美央さんは一瞬目を瞬かせ、ふっと小さく笑った。
「ご丁寧に恐れ入ります」
空気が少しだけ和らいだ気がした。
やがて美央さんが真顔に戻り、口を開いた。
「一ノ瀬君。君は、うちの所属タレントになる気はある?」
「はいっ! もちろん!」
即答した自分に、胸が高鳴る。
美央さんは静かに頷いた。
「鳳来社長があなたを気に入っていてね。
普通はオーディションを受けてもらうんだけど……君の場合は特例。オーディションなしで契約に進めるわ」
「……!」
思わず息を呑む。夢みたいな言葉が、現実として目の前に落ちてきた。
続けて美央さんが説明を始める。
「まずは研究生として所属してもらうことになるわ。うちでは、まだデビュー前の子は全員“研究生”という扱いなの。
レッスンを受けながら、テレビや雑誌出演、先輩グループのコンサートのバックダンサーなどで下積みを積んでもらう。
そして実績を認められれば、グループを結成し、デビューへと進む——流れはそういう形よ」
(なるほど……まずは研究生から、か。さすがにいきなりデビューはないよな)
(でも……レッスンってことは、もしかしてレッスン料とかかかるんじゃないのか!?)
おそるおそる口を開いた。
「け、研究生のレッスン料って……?」
美央さんは即答する。
「うちはもらってないの」
「ほっ……」
胸をなでおろす俺。だが、その安堵も束の間の事だった。




