Track.17
翌日。
俺はルクスプロダクション本社の前に立ち尽くしていた。
都心の一等地にそびえる巨大ビル。陽光を反射するガラスの壁面は、昨日までの路上の世界とはまるで別物だ。
(……ここが日本トップクラスの芸能事務所か)
思わず足がすくむ。
昨日の路上ライブの熱気は、まだ胸の奥で燃えていた。
広場中に響いた大合唱、揺れる拳、溢れる笑顔——たったひとりで夏の駅前をフェス会場に変えた、あの瞬間。
鳥肌が立ち、涙腺が熱くなったあの余韻の中で、あのおばあちゃんに名刺を差し出されたのだ。
——まさかあのおばあちゃんが鳳来カレン社長だったなんて。
ルクスプロの鳳来社長といえば、2025年でも芸能界を牛耳った伝説の敏腕社長。派手な女帝のイメージが強い。
八十を超えて第一線は退いたものの、その影響力はいまだ健在で、彼女の名を知らぬ者はいない。
そんな人物が俺をスカウト? ……嘘だろ。送った履歴書、本当に目を通してくれたのか?
まさか一回目の路上ライブから見てくれていたなんて——どうりで、ただの“優しいおばあちゃん”にしてはノリが違ったわけだ。
ポケットから名刺を取り出す。
煌びやかなロゴと「鳳来カレン」の文字を見つめていると、自然と過去が脳裏に蘇った。
——42歳、肩書きなし。ただのフリーターだった俺。
それでも、どうしても歌だけは諦めきれなかった。
令和7年7月7日。
街では「777の奇跡」なんて騒がれていた、その日、俺はトラックに轢かれ、あっけなく命を落とした。
意識が遠のく中で浮かんだのは、くだらない後悔だった。
(……なんて空回りな人生だったんだ、俺)
(女子にモテたい。それだけだったのに……)
(ああ、そうだな……生まれ変わったら……)
——アイドルになりたい。
その願いが奇跡を呼んだのかもしれない。
次に目覚めたとき、俺は大学生の自分に戻っていた。
2002年。そこから俺のリスタートが始まった。
バイト無双、そして路上ライブ。
強くてニューゲームを体感した俺が、その路上ライブをきっかけに——まさか芸能界の女帝に目を留められるなんて。
興奮のあまり昨日は一睡もできなかった。
とんとん拍子すぎて正直怖い。だけど——逃したら二度と巡ってこないかもしれないチャンスだ。
だからこそ、掴みに行くしかない。
そう自分に言い聞かせ、意を決して受付に向かう。
「失礼します。一ノ瀬 奏と申します。鳳来社長はいらっしゃいますか?」
バイト経験豊富な42歳の俺は、この辺りの礼儀はしっかりしている。……つもりだ。
だが受付の若いお姉さんは営業スマイルを崩さずに答えた。
「一ノ瀬様ですね。アポはお取りですか?」
(アポ……? そんなの取ってないけど……)
「鳳来社長に“いつでも来て”と言われたんですが……」と、名刺を差し出す。
一瞬、若い受付は「??」という顔をした。
だが隣のベテラン女性がそれを見るなり、息を呑んだ。
「……!!」
——それは特別な時にだけ渡される“スカウト専用の名刺”。
最後に使われたのは5年前。今や国民的スターとなった某タレントを見出した時だった。
空気が一変する。
「一ノ瀬様、大変失礼いたしました。あいにく鳳来は出張中でして、別の担当者が対応させていただきます。
恐れ入りますが、あちらのスペースでお待ちいただけますか?」
丁寧に案内され、待合スペースのソファに腰を下ろす。
周囲を見回せば、社員たちですらどこか“舞台映え”する雰囲気で、みんなシュッとしてキラキラして見える。
(さすが大企業……タレントとかと思ったぜ)
あの受付のお姉さん二人に至っては、女優かモデルと見まごうほどの美人だった。
場違い感に胸がざわつく。だが同時に、昨日の高揚がまだ残っているせいか、不思議とわくわくもしていた。
緊張と、寝不足のせいもあって、まぶたがだんだん重くなる。
……気づけば眠りに落ちていた。
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登場人物紹介
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一ノ瀬 奏
本作の主人公。元・売れないインディーズバンド《EveLink》のボーカル。
42歳でトラックに轢かれ、2002年の大学時代にタイムリープ。
やり直しの人生で再び音楽に挑み、アイドルという新たな夢に踏み出す。
どこかズレていて、肝心なときほど空回りしてしまう。
歌は抜群、でも運動神経は壊滅的な残念イケメン。
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◆ ルクスプロダクション
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鳳来 カレン
ルクスプロダクション代表取締役社長。60歳前後。
日本の男性芸能界を牽引する女帝。
人のオーラが見える特技を持ち、その光で才能を見抜く。
鮮烈な光を放つ者は例外なくスターとなる。
一ノ瀬奏の中に“百年に一度の閃光”を見た。
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◆ 奏の周りのキャラ
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ヤマジ(石山 浩司)
奏の大学時代からの親友。
ヒョロっとした眼鏡男子で、外見に無頓着なオタク気質。
服を貸したり、恋の相談に乗ったりと気の置けない仲だったが、
三十代後半、とある出来事をきっかけに関係がこじれ、疎遠に——。
じゅん兄(八坂 潤)
大学時代のバイト先で出会った陽キャ先輩。
流行語を連呼し、初対面でもガンガン距離を詰めてくるが、面倒見は抜群。
奏の20歳の誕生日にはクラブデビューを強行させた張本人。
のちに家庭を持ち、奏の路上ライブにも家族で駆けつけるなど、
豪快で憎めない兄貴分。
藤堂 智也
高校時代の学園祭で、奏のバックでギターを務めた先輩。
卒業後も連絡を取り合う兄貴分的存在で、機材や作曲の相談にも乗ってくれる。
のちに《EveLink》のギタリストとして、奏をバンドに誘うことになる人物。




