Track.13
そして俺は、また次の路上ライブに向けて動き出した。
今度はオリジナルじゃなく、カバー曲を歌ってみようと思う。
カバー曲でも、営利目的じゃなければ著作権のことを考えなくていいだろう。
今回は投げ銭もなし、営業目的とみなされそうなフライヤーも配らない。
純粋に歌だけで勝負するつもりだ。
そう決めたところで、俺の日常はいつものように回っていく。
「奏くーん、今日のオススメなに~?」と女性の常連客に声をかけられ、笑顔になる。
名札には『一ノ瀬です。新人です。』と書いてある。
それでも、常連さんが気軽に名前で呼んでくれるようになったのが、なんだか嬉しかった。
(フ……俺の親しみやすさが、ついに隠しきれなくなってきたということか)
などと心の中で中二ポーズを決めつつ、かっこよく答えようと口を開いた。
「今日のオススメは、地鶏のユッケと、イカのホッケです!」
……イカのホッケ?
一瞬の静寂。
そのあと常連さんが吹き出した。
「失礼。イカの塩焼きです。(※イケボ)」
胸に手をあて、軽くお辞儀しながら無駄にイケボで取り繕う。
なかったことにしようとしたが——
「全然違うじゃんw」
「デスヨネーw」
店内に笑いが広がり、俺は耳まで真っ赤になった。
そんなこんなでドタバタしながらも、シフト終了の時間を迎える。
エプロンを外して控室に戻ろうとしたときだった。
ちょうど入れ替わりで、じゅん兄が店にやってきた。
「お! かなでぃ~ん、おつかれちゃーーん⤴」
「今あがり? また今度、茶ァ飲みいこーなっ☆」
「うっス!!」
「またお願いしまーす!!」
そんな軽口を交わして笑い合う。
控室に入ると、店長が茶封筒を差し出してきた。
「ほら、一ノ瀬くん。今月のぶんだ」
受け取った瞬間、ずしりとした重みを感じる。
封を切ると、思っていたよりも多い。夜勤手当の分だろう。
(……これでしばらくは飯の心配をしなくて済むな)
茶封筒が女神の祝福に見えて、思わずニヤけてしまった。
給料を受け取ったその足で、レンタルCD屋へ直行した。
店内のランキング棚には、2002年当時の流行り曲がずらりと並んでいる。
その中から五枚ほど手に取り、まとめて借りることにした。
今でもカラオケの十八番として歌える定番ばかりだ。
中には、DUELの最新シングルも混じっている。
(ルクスプロ系の曲って女子ウケいいんだよな〜……これ歌ったらモテ度アップ間違いなし)
ニヤつきながらレジに向かう俺。
数日後、アーティスト応援制度の窓口に出向き、機材の予約を済ませる。
レンタルCD屋で借りた曲を何度も聴き込み、歌詞カードに書き込みながら頭に叩き込む。
そしてカラオケにこもり、声を張り上げる日々が続いた。
* * * * * *
同じころ——都心の一等地にそびえる、ルクスプロダクション本社ビル。
ガラス張りの外壁は陽光を反射し、遠くからでもその存在を誇示している。
社員数は五千を超え、所属するのは男性アイドルや俳優、モデルばかり。
いまや「日本のトップ男性タレントの多くはルクスプロ所属」と言われるほどの巨大芸能帝国だ。
その最上階に構える社長室。
重厚な扉の奥、広々とした室内のデスクには、オーディションの応募書類が十数通、整然と積まれていた。
書類審査を通すかどうか——最終判断は社長の一存にかかっている。
真紅のスーツに身を包み、大ぶりのダイヤの指輪が煌めく。
胸元からのぞくのは、大きなロゴが主張する派手なブランドのシャツ。
背筋をぴんと伸ばしたその姿は、まさに女帝そのものだった。
六十歳を迎えてなお衰えを知らず、日本の男性芸能界を支配する絶対的な存在感を放っている。
その女帝の名は、鳳来カレン。
机の上の書類をめくる手が、ふと一枚の応募に止まった。
「おや、この子は……」
記された「一ノ瀬 奏」という名前を読み上げ、口元に笑みを浮かべる。
「こんなところで繋がるとはね。これは面白い子を見つけたわ」
その声は愉快そうでありながら、どこか底知れぬ響きを含んでいた。
彼女が何を企んでいるのかは——まだ、誰も知る由もなかった。
* * * * * *
——そして、運命の7月29日(日)がやってくる。




