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Track.10

 日曜の午後、駅前広場の一角にギターと小さなアンプをセッティングする。


 最近のデジタル機材ならサクサク扱えるのに、20年以上前の古いアンプはどうにも気難しい。

(え、これどこに挿すんだっけ……?)

 ジャックを持ったまま固まる俺。おそるおそるスイッチを入れてみれば——


 キィイイイイィン!!


 マイクが盛大にハウリング。通りすがりの親子連れがびくっと振り返り、俺は慌てて深々と頭を下げた。


「す、すみませんっ……! 今日はリベンジ戦なんで……!」


 一瞬ざわついた広場も、俺の必死な姿にクスッと笑みがこぼれた。……ような気がした。

 ベンチに腰掛けていたおばあちゃんも、つい気になったのかこちらへ視線を向けていた。


 一週目の――あの「黒歴史ポエムの失恋ソング」の悪夢が、どうしても頭をよぎる。

 あのときは、誰も足を止めてくれず、ただ蝉の声だけが虚しく響いていた。


(……今日はリベンジだ。さすがに今日も誰も立ち止まらなかったら……泣く)


 気持ちを切り替え、マイクを握る。


「今日は、自分がこれまで仲間と一緒に作ってきた曲を中心にやらせてもらいます。

 ちょっと緊張してますけど……最後まで聴いていただけたら嬉しいです」


 少し間を置き、深呼吸。


「最初に歌うのは、自分がずっと歌い続けてきた曲です。何度も歌ってきたけど……今も、自分にとって祈りみたいな曲なんです。

 信じられなかった自分を許すために、もう一度だけ信じたいと思えた――そんな気持ちを込めて作りました」


 ギターの弦を軽く弾き、音を確かめる。


「……聴いてください。Tetrabloom」

 


 マイクを握った瞬間、自分でもわかるくらいに、空気が変わった。

 一歩踏み出して声を放つと、その響きが広場を突き抜けていく。


 振り返る人の気配、注がれる視線。路上ライブはこれまでも何度もやってきた。

 

 けれど——十九歳の俺が、この時代の駅前で、通りすがりの人々に向けて歌うのは、やはり緊張が違った。

 その緊張と、場慣れの確かさ。その奇妙な混ざり合いを、きっと誰もが感じ取っていた。

 

 サビに差しかかり、声がさらに伸びる。

 その瞬間、視界の端で小さな動きがあった。


 ベンチに座っていたおばあちゃんが、リズムに合わせてゆっくりと頷いている。

 さらに、二人、三人と足を止める人が出てきて、曲が終わったあと——ぱらぱらと拍手が広がった。


(……届いた。俺の歌が、ちゃんと届いたんだ)


 胸の奥がじんわり熱くなる。

 一週目の、あの黒歴史ポエム。蝉の声にかき消され、誰も足を止めなかったあの惨めな夏が、ふっと脳裏をよぎっては消えていく。

 それとは違う。今日は確かに、目の前の誰かに響いた。


「次の曲は、仲間と一緒に作った思い出の曲です。ここで歌うと……また違う景色が見える気がします」


 『Midnight Echo』。

 

 そう告げて、弦を弾き始める。

 アップテンポのリズムが、駅前の広場を弾ませた。


 『Midnight Echo』は、EveLink時代からライブでは欠かせない鉄板曲。

 イントロの瞬間にテンションが上がり、サビの掛け合いと跳ねるリズムが、自然と体を動かさせる。——そんな曲だ。


 俺はコードを一度止めて、ギターのボディを「ドン、カッ」と叩きながら首を小さく揺らし、観客にリズムを示した。

 その仕草に、ベンチのおばあちゃんが笑みを浮かべて軽く手を叩きはじめる。

 学生風の男子たちも顔を見合わせ、「お、これノるやつだな」と肩でリズムを刻み出した。


 歌声が広場に響き渡りはじめたころ、通りすがりのギャル二人組が足を止める。

「ちょ、この曲知ってる〜⤴?」

「知らな〜い。……けど」


 二人で顔を見合わせて、同時に叫ぶ。

「「チョ~、イケてる〜⤴!!」」


 そのまま厚底サンダルをパタパタと響かせながら前列に陣取り、笑い声混じりに手拍子を合わせる。

 手拍子もノリノリで、周囲の空気まで巻き込んでいった。


 学生たちも自然と前に出て手を叩き、親子連れの子どもも楽しそうに手を叩いていた。


 (……やばい。これ、最高だ)


 弾き慣れていないせいで何度かコードを外したが、客の手拍子がむしろ助け舟になった。

 ——間違えてもいい。今は、この熱気に応えるほうが大事だ。


 胸の奥から湧き上がる高揚感に背中を押されるように、奏の歌はさらに熱を帯びていった。


 サビの掛け合いと跳ねるリズムが広場を満たす。


 「You say——! Whoa-oh-oh!」

 

 「ウォーオーオ!」

 奏の声に、真っ先に応じたのはギャル二人組。

 厚底でピョンピョン跳ねながら、手を突き上げて叫ぶ。

 「ウォーオーオ!!」

 「キャハッ、超たのし〜⤴⤴!」


 「You say——! Whoa-oh-oh!」

 「ウォーオーオ!!」


 何度か掛け合いが繰り返されるたび、笑い声混じりの声援が広場を揺らす。

 学生たちも顔を見合わせ、やけっぱち気味に声を張り上げた。

 「ウォーオーオ!」

 「……マジでライブ感あるじゃん!」


 サビを歌い切り、次のメロに入る前に奏がこぶしを振り上げる。

 「HEY!……HEY!」


 すぐさま前列のギャルがノリよく返す。

 「HEY!」


 学生たちは顔を見合わせて、遅れて声を上げた。

 「ヘイッ!……ヘイッ!」


 さらに、小学生くらいの子どもまでが真似して飛び跳ねる。

 「へいっ!」


 広場全体がひとつになったように熱気を帯び、リズムに合わせてこぶしが揺れる。


 (……やばい。最高だ。この一体感、バンド時代のフロアみたいじゃん!)


 全身を震わせながら、最後のサビを駆け抜ける。

 「サンキュー!」と叫んで音を切ると、広場には歓声と拍手が響き渡った。


 客席はもう十五人近くに膨らんでいる。最前列はギャルと学生たちが占拠し、親子連れやカップルも笑顔で拍手を送っていた。


 奏は深く息を吐き、ギターを軽く抱き直す。

 「……ありがとう。次が最後の曲です」


 そう言った声は、さっきまでの熱狂から一転、どこか静かで柔らかかった。

 広場の熱気がすっと落ち着き、空気が“聴く態勢”に切り替わっていく。


 ぴょんぴょん跳ねていたギャルたちの足も止まり、じっと奏を見つめる。

 奏は静かにギターをかき鳴らし、息を整えた。

 さっきまで熱気に包まれていた空間が、スッと凪いだように静まり返る。


 ——そして、バラード『レゾナンス・ブルー』の静かなイントロが流れ始めた。

 

 響き出したのは——柔らかく澄んだ声。

 まるで夏の夕暮れを一枚の絵に閉じ込めたみたいに、しっとりと広場に染み渡っていく。


 聴く者の心をそっと撫でるような歌声。

 観客たちは息を潜め、ひとつひとつの音を逃すまいと耳を傾けていた。


 片方のギャルが小さく鼻をすすり、もう一人が震える声で囁いた。

 「……ヤバい、泣けるんだけど」

 「マジ感動……鳥肌立ったわ」


 ——その言葉すら、すぐに夏の夕暮れに溶けていった。

 西日に照らされた広場は、いつしかざわめきを失い、

 聞こえるのは奏の声とギターの音だけになっていた。


 観客は皆、息をひそめて立ち尽くしている。

 その静けさを胸いっぱいに吸い込みながら——

 奏は、最後のフレーズを歌い切った。

 ギターの音が空気に溶け、マイクからは微かな呼吸音だけが残る。


 ——静寂。


 誰もが、息をするのも忘れたみたいに奏の声の余韻に聞き入っていた。

 ただ蝉の声すら遠のいたような、不思議な静けさ。


 その中で。


 ぱち、ばちと小さな拍手。

 ベンチに座っていたおばあちゃんが、目を細めてゆっくりと手を叩いていた。


 ——次の瞬間。


 堰を切ったように、観客全体から拍手が湧き上がった。

 「やべ、鳥肌……!」と震える学生の声。

 ギャルたちは涙ぐみながらも、「マジ感動!」「チョーしみたんだけど!」と声を張り上げていた。


 広場いっぱいに、惜しみない拍手と歓声が広がっていく。


 (……嘘みたいだ。俺ひとりでの路上ライブで、こんなに拍手が返ってくるなんて。

 強くてニューゲーム、サイコーじゃん!!!)


 胸の奥が熱くて、泣きそうになるのを必死でこらえる。

 その一方で、「フライヤー作ってこればよかったな」と、ちゃっかり後悔の念もよぎる。


 気づけば、口が勝手に動いていた。

「一ノ瀬奏です!! 歌うことが好きで……これまでずっと頑張ってきました。

 またここで歌わせてください!」


 歓声と拍手がさらに大きくなり、広場に反響する。


 そのとき——。

 最初からずっと聴いていてくれたおばあちゃんが、ゆっくりと近づいてきた。


 柔らかな笑みを浮かべたその瞳に宿る静かな光に、思わず目を弾かれた。


「良かったよ。本当に、いい声やねえ」


 差し出された手に、そっと五百円玉が握らされる。


 たった一枚。けれど、その温もりは未来への切符のように思えた。

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